石州和紙 西田製紙所~時を超え、守られるもの、守るもの~

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会社紹介

【西田製紙所とは?】

通称石見地方と呼ばれる島根県西部、浜田市にある三隅町。

古くから和紙作りが盛んなこの地は、「慶雲・和銅(704~715年)の頃、柿本人麻呂が石見(石州)の国の守護で民に紙漉きを教えた」と記されており、約1300年もの間、手すき和紙が漉き続けられ、守られてきました。

強靭で光沢があり、更に水にも強く何百年の保存にも耐えられるという石州半紙の特長から、石州半紙は古くから全国各地に広まっていました。

特に江戸時代には大阪の商人が石州半紙を帳簿や顧客台帳として活用し、火災の時にはそれらをいち早く井戸に投げ込んだと言われています。
井戸から引き揚げた帳簿や顧客台帳はその強靭さや水への強さから、溶けたり破れたりする事も無く無事であったため、すぐに商売を再開できると重用されていたようです。

そんな水にも強い石州半紙は、帳簿や障子紙などの日用品のほか、意外な使い方もされています。

例えば京都の二条城二の丸御殿や西本願寺阿弥陀障壁画等の修復、そして島根県石見地方を代表する伝統芸能である「石見神楽」の大蛇やお面等、我々の日常生活はもちろん、我々が守り、伝えてきた大切な文化財を陰で支えています。

しかし時代の変化、
そして機械化・工業化の流れによって和紙を取り巻く環境も大きく変わりました。
我々が知っている安価で大量生産された「紙」、いわゆるパルプ紙の台頭により、手作業だからこそ値の張る和紙の需要は激減。
明治22年には三隅町内で6,000軒を超えていた事業者数も、現在ではわずか4軒のみとなりました。
そのうちの1軒が西田製紙所になります。

西田製紙所の代表・西田裕氏はもともと京都府生まれ、
父が京都で紙の加工業を営んでいた他、祖父や叔母が三隅町で紙漉きに従事するなど、幼い頃からモノ作り、そして「紙」に親しんできました。

そういった環境から気が付けば紙漉きに魅了され、三隅町にIターンし、叔母である西田喜栄に師事し、石州和紙製造に従事。

現在ではわずか4名となった石州半紙技術保有者、そして石州和紙伝統工芸士。
その中の最若手として技術・技法を後世に伝えるために、そして石州半紙の素晴らしさを多くの方に広めるために日々「紙」と向き合っています。

西田製紙所では、紙作りに必要な原料である「楮(こうぞ)」の栽培から手掛けており、原料作りから和紙の完成まで、全ての工程で手作業を守り続けています。

また、
水は地下水と豊富な山水を使い、窯の燃料には薪を使用し、除草にはヤギやニワトリなど動物の力を借りる等、できる限り自然と融和した和紙作りを心掛けています。

ベースとなるのは、子供のころから親しんできたモノづくり。

決して妥協が許されない一つ一つの工程だからこそ、人任せにせず自分自身の手で行う事によって、本当に納得のいく紙を作り上げる事が出来ます。

手塩にかけて育てた楮が紙になっていく楽しさ、日々の気温や条件によって毎日同じものが出来ない難しさ、そして和紙と触れ合う事でしか得られない特別な何かを求め、世界が認めた1300年の歴史と伝統、技術と技法を受け継ぎ、今日も紙を作り続けています。

【会社概要】
会社名 :西田製紙所
住所 :〒699-3225 島根県浜田市三隅町古市場 1752
代表者 :西田裕

 

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