めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲① ~黄泉の国譚 比婆山その1~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

現存する日本最古の歴史書といわれる「古事記」。

「上巻」「中巻」「下巻」の3巻から構成されます。
「上巻」の内容は神話で構成され、
その神話の舞台の3分の1はここ出雲なのです。
そんな出雲の古事記ゆかりの神社・神蹟を
これから訪ねて行きたいと考えております。

まずは簡単な古事記のあらすじです。
ざっと目次を付けていきますと、
①天地のはじまり。

②イザナキノミコト・イザナミノミコト。

③黄泉の国。

④スサノヲノミコト。

⑤天の岩戸隠れ。

⑥ヤマタノオロチ退治。

⑦オオクニヌシノミコト。

⑧国譲り。

⑨天孫降臨。

⑩日向神話。

⑪海幸彦・山幸彦。

となりましょうか。
下線を引いた部分の舞台が出雲地方となります。
出雲國として最初に登場するのが
③黄泉の国」のお話になります。

とその前に・・・
①②のお話を簡単に説明しますね。

古事記の冒頭は一柱の神様が天上界に
出現するところから始まります。

神様は「一人二人」ではなく「一柱二柱」、
「柱(はしら)」と数えます。
鬼滅の刃みたいです(笑)
ちなみにこの神様、体がありません。
この最初の神様から
更に二柱の神様が出現します。
この二柱の神様たちも体がありません。

三柱になったこれらの神様たちは
「造化三神(ぞうかさんしん)」と呼ばれます。

 

そして現れて直ぐ隠れてしまいます。
この時、
まだ世界ははっきりとしていません。
地面は「水に油が浮かぶよう」
「クラゲが漂うよう」なんて、
下の方になにやら有るような表現で
大地がしっかり出来ていない様です。
面白いですね。
さらにさらに天上界に二柱の神様が誕生します。

次に地上らしきところで神様が誕生していきます。
その地上らしきところで二柱の神が誕生し
そして次に5組の男女神が誕生します。
二柱+5組で「神世七代」と呼ばれます。
神代七代の最後の1組がイザナキノミコトと
イザナミノミコトです。

 

ここまでの神様たちは
誰かから産まれたわけではなく
自然発生的に誕生しています。
これは「成る」という言葉で表現されます。

イザナキ・イザナミは先に成った神々から
この不安定な地上を固定し整備するよう
国造りを命じられます。
神様って年功序列なんですかね。

イザナキ・イザナミはまず、
日本の国を次々に産んでいきます。

そして次に神々を産んでいきます。
イザナミノミコトが
「母神」といわれる所以ですね。

しかし!!
火の神様を産んだ時に火傷をしてしまい、
その火傷が元で命を落としてしまいます。

 

イザナミノミコトの凄いところは
死を目前に苦しみながらも、
嘔吐物や、失禁・脱糞からも
次々に神々を産んでいくところ。
死の間際まで
国造りの使命を全うしようとします。

イザナミノミコトが亡くなり
夫のイザナキノミコトは悲しみのあまり
声を上げ大声で泣きます。。
なんとその涙からも神様が産まれます。
しかしながら、イザナミは帰ってきません。

諦めたイザナキは亡骸を「比婆山」に埋葬します。
古事記に比婆山は、
「出雲國と伯耆國の間・・・」と書かれています。

埋葬した後、イザナキノミコトは
火傷の原因になった火の御子神の首を
剣でハネて斬り殺してしまいます。

その首を切った時に飛び跳ねた血や
切られた首から滴る血、
剣を持った手に滲んだ血から
十六柱の神々が産まれています。驚きです。

神様って想像を超える場面や場所から
成ったり産まれたり。驚きが隠せません。

と、ここまでが冒頭からのあらすじです。
そしていよいよこの次から
出雲が舞台となる物語へ入っていきます。

さてさて。
本日ご紹介するのは
母神イザナミの埋葬地です。
実はこのイザナミの埋葬地、
つまりお墓は候補地が全国にいくつもあり、
ここがそうだという場所が
確定されていない様です。

その中から、この地方に伝承される
埋葬地を
紹介していきます。

まずは本日の題名にもありました「比婆山」。
出雲地方で比婆山といえば
安来市伯太町の比婆山。

前述した通り、古事記に埋葬地は
「出雲國(島根県東部)と
伯耆國(鳥取県西部)の境と記載されています。
これが正解だとすれば安来市のこの場所は
正に出雲と伯耆の境となります。

比婆山の麓にある比婆山久米神社里宮。
拝殿。

本殿。

本殿は伊勢神宮を連想させる神明造りですね。
出雲地方には珍しい造りです(゜゜;)
参拝後、山頂にある奥宮を目指します。

登山道途中には「玉抱石」の看板がありました。

看板に従い山道を逸れると岩が散在しています。

よく見ると・・・

くり抜いた様に穴がボコボコ空いた岩が
あちらこちらにあります。

 

魂が抜けた後か、はたまた魂が入る場所か・・・
「玉抱石」はきっと「魂抱石」。
とすれば、魂がここに集まる様な
もしくはこの穴から魂が入っていくのか・・・

鳥居が見えてきました。

やがて社祠峰山頂に到着。
こちらには以前、社殿があったようです。

もともとは御陵のある山自体を
神聖な場所と考え、隣の山から
遥拝したのではないでしょうか?
社祠峰山頂から尾根を歩きます。

比婆山だけに生息する「陰陽竹」がありました。
竹に笹の葉が生えているという不思議な竹?笹?

奥の宮が見えてきました。

35分ほどかかって到着。
この日は気温37℃。汗だくです。
息を整えて参拝。

奥宮拝殿。

奥宮の本殿は大社造りですね。
里宮と雰囲気が違います。

そのまた後ろには
「伊邪那美大神御神陵」の文字が!

「陵」は「みささぎ」。
天皇や皇后、またその御子の
お墓に使われる言葉。
つまりはイザナミのお墓ということです。
ここにイザナミは
埋葬され眠っているのでしょうか・・・!?

円墳のようにこんもり盛られた土の上に
草木が生い茂っています。

あくまで私個人の意見ですが、
実際のところ、
出雲と伯耆の間という情報のみで
確実なイザナミの御陵の場所は
定かで無かったように感じます。
推測するに、山道途中にあった「玉抱石」は
この山を「比婆山」と考えるのに
重要なきっかけだったのではないでしょうか?

本当の御陵では無いかも!?
そのことを踏まえた上でも
奥宮に参拝する意味は
大いにあると考えています。
それは祈りが集まれば、
その場所はイザナミを想い
そして偲ぶ場所になり、
その場所に神様が祀られるということは
重要な意味が有ると思うからです。
ちょっと生意気な事を言っちゃいました。

 

実はまだイザナミのお墓の候補地があります。
その一つが「母塚山(はつかさん)」。

鳥取県西伯郡南部町にあります。
鳥取県ではありますが、
程比婆山久米神社から距離にして12㎞ほど、
車で20分足らずで着きます。
名前もズバリ
母神イザナミの「塚」=「お墓」です。

この山がある、鳥取県西伯郡南部町の町史には
大正時代まで山頂に
イザナミを祀る神社があったと
記録されているそうです。
場所としても出雲と伯耆の間。
この場所をイザナミの御陵と考える人も
少なく無いようです。

説明板の奥へ進むと展望台がありました。
見える景色は美保関から
中海の東端まで見渡せます。

ここでハッと思いました!!(゜□゜;)
現在の米子と境港の間は古事記の時代、
砂州だったようで、陸から離れていました。
出雲國風土記には「夜見島(よみのしま)」と
記されています。

「夜見」=「黄泉」。

この山が御陵だとすると、
彼方から遥拝したのかもしれません。
亡くなったイザナミの別名は
「黄泉津大神(よもつおおかみ」。
黄泉の大いなる神ということですから
黄泉の神様を仰ぎ拝む場所が
夜見の島だったのかもしれませんね。
展望台まで車で行けるこの山。
大山の眺めもバツグンでした。

ちなみに今は身の丈11mの観音様がいらっしゃいます。

展望台から下る路駐に見つけた神蹟「ふろや」。

イザナミをこの山に葬った八百万の神々は
この湧き水で身を清めたのだとか。
手を浸すと冷たく、
猛暑日で火照った手を冷やしてくれました。

さて。
今回は2箇所の
イザナミの御陵(候補地)をご紹介しました。
次回も続きます。どうかお楽しみに。

お付き合いくださいまして
ありがとうございます。
本日はこの辺で。また機会に。
ご自愛くださいますように。

 

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