めのうさとえすこな散歩

神社な日常 知って得する神社のあれこれ ~ スサノヲの足跡 磐船神社 金屋子神社 編 ~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

先日の4月7日(水)に美保神社の
「青柴垣(あおふしがき)神事」に
参列してきました。

国譲り神話の故事に由来する神事ですね。
詳しくは「古事記と出雲」の
オオクニヌシ編で
ご紹介を予定しています。

コロナ禍の今、規模が縮小されました。
昨年は神職の方と祭典奉仕員のみで
斎行されましたので、今年は参列出来ただけ
良かったのかもしれません。
昨今、中止になったりと、
残念な事も多い神社の神事ですが
工夫されて行われた美保神社に
感謝したいと思います。

 

さてさて。
今回ご紹介するスサノヲ由来の神蹟・神社は
磐船神社です。

磐船神社と聞くと大阪の交野市にも
同名の神社があります。
「天の磐船」という巨石のある神社で
ニギハヤヒという神様が降臨された時、
乗って来られた船が岩となったと
伝承があります。

そう、神様が乗って来られた船伝承って
実は幾つか有るんです♪

今回はスサノヲが新羅から乗って来られたと
伝承のある岩船です。
私の書いているブログでは

スサノヲの乗ってきた岩船は
これで5つ目ですね!
では改めまして
安来市広瀬町西比田の磐船神社を。

目指す神社は磐船山の中腹です。
駐車場は無く、登り口の墓地に
車を停めさせて頂き、坂道を登ります。

以前、この道を車で登って行ったのですが

途中の急勾配でタイヤが空回りして無理でした。
ですが上の平らな所には4WDの軽トラが
停まっていましたね(^^;)
今は道幅も狭くなった感じですので
歩いて登るのが
いいと思います。


やがて開けた所に田んぼがあります。
登り口の所のお宅の方が

柵の説明をしてくださいました。
こういったイノシシよけの柵が
2箇所ありますので
開けて通ります。
イノシシよけに足元の線には
電流が通ってますので注意してまたぎます。

やがて鳥居。
平成22年に建てられた鳥居。
作られた大工さんの銘がありました。

ハイキングコースと石段の
繰り返しのような参道です。

手水鉢があります。
間もなくです。
手前の舟形の石は鳥居の台座でしょうか?
反対側は崩れたのかもしれません。

最後の石段を登り境内に到着。
新しい狛犬さんが迎えてくれました。

まずは参拝を。

背後の巨石が気になりますよね。
こんな感じです。

お社が小さいわけではありません。
スケール代わりに近くに立ってみました。

で・でかい ‼15mあるそうです(゜▽゜;)
広角レンズで撮ってますが
いっぱいいっぱいです(^^;)

こちらの神社は出雲国風土記にも
掲載がある古社で「解説出雲国風土記」
(島根県古代文化センター[編])に
市原神社とあるようです。
また、関和彦氏の「出雲国風土記註論」には

由緒書の写真の掲載があり、ご祭神は
スサノヲ、クシナダ、新羅からスサノヲと
一緒に渡来したイソタケルとあります。

さあ、スサノヲ達が乗ってきた船は
この巨石の上の方にあります。
左手の登り口から行ってみましょう!

滑るので気を付けて登ると・・・

船の様な巨石、「磐船岩」があります。
7~8mはありそうです。
スサノヲが御子神イソタケルと新羅から
渡ってきた伝承の船です。

この岩の上からの眺めがこちら。

のどかな山間の風景が見えます。

船岩の背後には友綱石
(ともづないし)があります。

屏風のような薄い巨石なので
船の帆かな?と最初思いましたが
この岩に船をくくりつけたので
「友綱(ともづな)」の呼び名の様ですね。

また前出の「出雲国風土記註論」の
ご由緒の写真には「陰陽和合の原理」と
説明があり、「男女の結びつきと出産を
基本として、より幸福な未来世界を
追求しようとすること」とあります。
磐船岩と友綱石で
夫婦岩に見えなくもありません。

さて、以前ご紹介した韓竈神社の岩船。
その傍らの看板にはスサノヲが植林法や
鉄器文化を開拓された、とありました。
その伝承を踏襲するかのように
この神社の北東に金屋子神社があります。
安来市広瀬町西比田307−1。

ご祭神はカナヤマビコ、カナヤマビメ。
イザナミが火の神様を産んだときに
その火傷に苦しんで嘔吐した吐瀉物から
成った神々です。

大変立派な造りですね。
こちらは全国1200社の金屋子神社の総本社。
製鋼の神様を祀る神社といわれ
日立金属安来工場の敷地にも
こちらの御分霊のお社があるのだとか。

「金屋子」は製鋼に関わる神様の様です。
ですが本殿には祀られていないようです。

本殿脇の石の祠がどうやら金屋子山さんの
お社のようです。

この神様は女神で沢山の伝承があります。
犬が嫌いとか、死体を好むとか、
カナヤマビコ、カナヤマビメの
御子神だとか・・・

中世の頃から信仰が始まったようで
古事記にも日本書記にも見えません。
伝承によると播磨国から白鷺に乗って
この地にやってきて、桂の木に止まって
休んでいるところを金屋子神社の宮司が
見つけたとあります。

奥宮がありますので、もしかしたら
その場所はそちらかもしれません。
神社の脇の道を500mほど登っていくと

左手に鳥居と狛犬があります。

鳥居前に車を失礼して参拝します。

古代の祭祀の場所の様な佇まいの巨石。
この上に奥宮のお社があります

桂の木はもう無いのかもしれませんが
この場所に降臨した雰囲気がありますね。
夏に来ると緑豊かで
木の上に神様がいらっしゃる雰囲気が
あったりします。

※撮影2017年7月。

先程の磐船神社にスサノヲが
製鋼・製鉄を伝え、金屋子神社が
製鉄の神様として信仰される。と
道筋が素直に語れる二社です。

・・・ですが金屋子神社のご祭神
金山彦、金山姫は「金」の文字から
明治に入り製鋼の神様と祀られる
様になったとの話も聞きます。

本居宣長は「古事記伝」の中で
金山=「枯れ悩みこし」と訳し
「病苦で苦しむ様子」の意味と
解説しています。

日本書記には
熱にうなされ悩みもだえ、
それによって吐く。
「悶熱懊悩因為吐」(日本書記神代上第5段一書四)
とあり、そこから「製鋼・製鉄」の
神様につなげるのは難しい気がします。

私も「かなやま」は
「火奈病(かなやみ)」=「火の病」
つまり火傷の苦しみを表す名前ではと
思っています。

私の得意の妄想ですが、
先の磐船神社は古代、神聖な祈りの場所で
やがて記紀神話から
スサノヲ伝説と結びついたのでは。
カナヤマビコ、カナヤマビメはその名前から
製鉄の神様として信仰されるようになったと
想像します。

やがて磐船神社と金屋子神社は
関わりの有るような神社にくくられて
いったのではないでしょうか?

もともと金屋子神社は苦しんだイザナミを
弔う神社で、それで病の苦しみの夫婦神を
祀っていたのではないでしょうか。

古事記にはイザナミは
出雲国と伯耆国の境の「比婆山」に
葬られているとあります。
金屋子神社のある安来市は
正に出雲国と伯耆国の間です。

もしかしたら磐船神社はイザナミの
お墓だったりして!?

まあ、私の妄想であって、
立証の根拠は何も無いのですが(^^;)

お付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛下さいますように。

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