みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。
前回のこのブログで
イザナミの吐瀉物から成った
カナヤマビコとカナヤマビメ。
鉱山の神様といわれていますが、
私、「製鋼・製鉄の神様につなげるのは
難しい気がする・・・」と
書かせて頂いたのですが、
なるほど、吐瀉物の状態が
ドロドロに溶けた金属と重なるのでは?
とのご意見を頂きました。
なるほど なるほど φ(。。;)
自身の想像力の無さを
反省している次第であります( ̄ - ̄;)\
さて。
去る4月13日の火曜日、
熊野大社で斎行されました
「御櫛祭(みぐしさい)」に
参列してきました。
ダイジェストでご紹介を。
ヤマタノオロチ退治の際に
クシナダを櫛に変えて髪に刺し
オロチ退治に挑んだスサノヲ。
無事に大業を成し、二神は結ばれるのですが
その際にスサノヲは櫛を贈ったという
熊野大社に伝わる故事に則った神事です。
今年はかなり規模を縮小しての斎行でした。
この神事で八体のお守りが授与されます。
戴く条件はクジに当たる事です(^^;)
本殿に櫛のお守りを供えた後、
クシナダのいらっしゃる稲田神社に供え
祝詞が奏上されます。
スサノヲからクシナダに櫛が渡された事に
倣っている訳ですね!
古事記のヤマタノロチの場面で
クシナダの父神は
「我が娘は元より八乙女ありき・・」と
語っていました。
八柱の娘神がいた訳ですが、
オロチの生贄として差し出し、
残ったのはクシナダだけだったのです。
八人の乙女の舞はまるで犠牲になった
七柱の娘神への鎮魂の様にも思えます。
宮司の挨拶です。
「櫛は元々は乱れたものを
まとめ、整え正す・・・。」
といったお話をされ、新型コロナ収束のために
より一層祈りを捧げていかれるといった
内容のお話をされました。
最後に「大神様(スサノヲさん)の
お陰を頂いてお帰りください。」と
締められました。
クジは4種類。松・竹・梅・櫛です。
どなたでもひく事が出来、
私もひかせて頂きました。
今年は参列者が極端に少なく
確率はグンと高くなっています!
・・・参列者のどなたも「櫛」を
ひけなかった様です(T_T)
私は「梅」をひき「長寿箸」を戴きました。
つまりはハズレですが、空クジ無しで
洗剤かティッシュか箸か当たりの4つ・・・
2等賞でしょうか!?
今年で3回目のチャレンジでした。
また来年!
さてさて。
では今回のブログの本題、
スサノヲの足跡を追ってみましょう。
今回は松江市のお隣、
安来市の神社のご紹介です。
安来市はスサノヲに縁の深い土地なのです。
出雲國風土記にはスサノヲが国土の果てまで
巡られた時、ここに来られておっしゃった
「私の心は安らかになった。」それで
安来という。とあります。
【原文:安平(やす)けくなりましぬ】
地名由来がスサノヲの発した言葉なんです。
なぜ安らかになったか、何処でおっしゃたか
定かではありませんが
この土地を行脚された事が
風土記にあります。
まずご紹介する神社がこちら。
安来神社 安来市安来町西御幸通1404。
駐車場があるのですが
車がすれ違うのが困難な狭い道路を進み、
たどり着いた安来神社。
拝殿の後ろに橋が架けてあり
その背後には小さな門の役目の様な建物が
もう一棟あります。
更に拝殿らしき社殿、そして幣殿の奥に
流造の本殿が鎮座するといった
不思議な配置です。
扁額には「素戔嗚尊(スサノヲノミコト)」。
日本書記の漢字使いですね。
流造の本殿。
以前は「祇園社」と呼ばれたそうですので
八坂神社の本殿の造り、
「祇園造(または八坂造)」の雰囲気は
こうなんだろうと想像しました。
ネットで調べましたら、色合いはともかく
長く伸びたヒサシはその雰囲気ですね。
遷座でこの地に遷ったとのことで
以前の社殿は焼失してしまった様ですが
風土記「安来郷(やすぎのさと)」の
郷名を冠するだけあって立派な神社です。
境内を眺めると摂社・末社が
密にある神社ですね。
もしかしたら戦火で焼けて
どんどん集まってきたのでしょうか?
背後に一社、本殿の向こうに
もう三社あります。
三つ巴は八幡さんのご神紋だと
記憶していますが、こちらもその様です。
八幡さんは「ホンダワケのみこと」。
この神様は「応神天皇」です。
境内を探してみると
摂社にいらっしゃいました。
ブレた写真でスミマセン!
アマテラスもいらっしゃるようです。
八幡神は武将に好まれた神様。
尼子氏の勢力の中の神社でしょうから
神紋は三つ巴なのかもしれません。
そして「安来」、「スサノヲ」で
気になった神社がもう一社。
こちら。
都辨志呂神社 安来市広瀬町広瀬1415
都辨志呂は(つべしろ)と読みます。
スサノヲが安来に来られたときに
石に腰を掛けお休みになられたのだとか。
その時、杖を石の脇に
忘れてしまったそうです。
里人が、その石と杖を霊代(たましろ→
神様の魂が宿るもの)として祀ったのが
起源だそうです。
ですので「つべしろ」は
「杖代(つえしろ)」ではないかと
いわれている様です。
スサノヲ巡行の際、道案内をした岐神
(クナドのかみ)を配祀しているそうで
安来神社もそうでしたが
本殿の扁額にはご祭神が書かれるようです。
御由緒を調べると、スサノヲの休まれた
場所の地名まで残っている様ですが
その時休まれて腰をかけた岩は
解らないそうです。
関和彦氏の「出雲国風土記」註論に
その様にありました。
こちらの神社はお隣がお寺。
境内の脇は墓地になっていました。
そして先程の地図で興味ある方は
見つけたかもしれませんが
この神社のある山の向かいは
「月山富田城」の城址が在る山です。
鳥居の先には石垣が見えます。
先程の墓地は尼子経久の菩提寺の様ですね。
洞光寺というお寺だそうです。
武将・お城・神社好きの方は
合わせてどうぞ!
二重亀甲に「有」!
これは松江市のイザナミに関係する
神在神社のご神紋ですね。
神魂神社、六所神社など。
真名井神社は一重の亀甲ですが
やはり「有」の文字が使われています。
出自は解りませんが10月に何か
関わりがあるのでしょうか!?
今回は未解決のまま
終わりとさせて頂きます。
お付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛下さいますように。