こんにちは。
オンラインショップ担当の畑です。
大阪の天満天神祭や
広島県宮島の厳島神社管弦祭とともに、
日本三大船神事の一つとされる
『ホーランエンヤ』。
この度は、令和最初の船神事でもあり
島根県が誇る一大イベントである、
この『ホーランエンヤ』に行ってまいりました。
お伝えしたいことが多く、
少し長い記事ではございますが、
最後まで読んでいただけますと幸いです。
祭りは下記の日程で執り行われました。
【開催日】
2019年5月18日(土)~2019年5月26日(日)
渡御祭:5月18日(土)-とぎょさい-
中日祭:5月22日(水)-ちゅうにちさい-
還御祭:5月26日(日)-かんぎょさい-
まずはホーランエンヤというお祭りが、
いったいどういうものなのか…。
その起源について調べましたので、
紹介したいと思います。
『ホーランエンヤ』って何?
10年に一度、松江市を流れる大橋川と意宇川を舞台に
約100隻からなる大船団によって
繰り広げられる絢爛豪華な大船行列です。
歴史的にも非情に長く、
370年も前から執り行われている神幸祭で
正式には『松江城山稲荷神社式年神幸祭』と呼ばれます。
また、『ホーランエンヤ』は
『宝来遠弥』、『豊来栄弥』とも表記され、
豊作祈願、神事の際の掛け声ともいわれています。
そのため、全国各地にも存在しているとのこと…。
しかし、ここ松江市の『ホーランエンヤ』は
歴史的にも規模的にも別格で
日本三大船神事となっております。
『ホーランエンヤ』の歴史
“国宝松江城”の築城開始から1年が経過した
1608年(慶長13年)のこと。
本丸の石垣を築こうとしますが、何度も崩壊し、
怪我人がでてしまっておりました。
この時、出雲郷(あだかえ)という村の
阿太加夜(あだかや)神社に占いのできる
神主・松岡兵庫頭(まつおかひょうごのかみ)が
いるとの評判があり、祈祷を依頼することとなります。
何日間も祈祷が行われた結果、
原因は荒神と首の祟りであると伝えられます。
現地を採掘してみると、そこから出てきたのは
戦国時代の刀剣や人の首でした。
その後、刀や首は手厚く葬られると、
石垣は二度と崩壊することなく、
1611年(慶長16年)に松江城は見事に完成します。
時代は流れて、
1638年(寛永15年)松平直正公が
出雲国松江藩主として松江城に入ります。
稲荷を崇敬していた直正公は、
城内に稲荷本殿を築かせ、
この神主を名高い阿太加夜神社神主である
松岡兵庫頭に兼務させます。
直正公が松江城主となって
10年目の1648年(慶安元年)
出雲の国は天候不順で大凶作が予想され、
事態に心を痛めた直正公は、
稲荷神社の御神霊を神輿にのせて、
船で兵庫頭の本務所である阿太加夜神社にお運びし、
何日にもわたり豊作の大祈祷をさせました。
大祈祷は見事に成就し、
その後、御神霊は稲荷神社にお戻りいただとのこと。
これをきっかけに以降、この神事は
10年から12年毎に行われておりましたが、
現在では10年毎の式年神幸祭として
行われるようになりました。
この式年神幸祭、
もともとは御神霊の乗る御神船と
僅かにお供をする船だけで
阿太加夜神社と稲荷神社を
行き来していたといわれています。
ではなぜ、日本三大船神事といわれるまでに
華やかな神事となったのでしょう…。
これにもきっかけがありました。
1808年(文化5年)、神事の最中に
悪天候によって御神船が転覆しかけたのです。
それを馬潟地区の漁師が助けに出て、
無事に阿太加夜神社まで送り届けたことに始まり、
以後は馬潟の櫂伝馬船が曳船(ひきふね)を
務めるようになります。
その後、10年毎に馬潟の周辺地区である
矢田、大井、福富、大海崎の5地区からも順次、
櫂伝馬船が参加し、御神船のお供をするようになり、
現在の大船団となっていったとのことです。
この5地区のことを五大地と呼びます。
船上を彩る櫂伝馬踊り
五大地の櫂伝馬船の上で踊られる櫂伝馬踊りは、
幕末の頃に漁村の船頭が越後地方で習ったものを
各地区が教わりホーランエンヤに取り入れたもので、
当時、大変な人気があったそうです。
また、船上での激しい舞は、
御神船を助けた漁師達が喜びのあまり
櫂をあげて踊ったことが始まりだといわれています。
船の先頭で華麗な刺繍がほどこされた
化粧まわしをまとって、
激しく舞う剣櫂(けんがい)。
船の最後尾で長襦袢に友禅などの上衣をまとい、
艶やかに舞う采振り(ざいふり)。
いずれも鬘(かつら)と特殊な化粧がほどこされ、
まさに船上歌舞伎です。
この煌びやかな舞や衣装は、
「神様が退屈をなさらないように…」という
地元の人々の願いが込められているそうです。
そして、船上で舞う櫂伝馬踊りは
松江市指定無形民俗文化財に指定されております。
ホーランエンヤの風景とみどころ
ホーランエンヤは3つの祭で構成されております。
【渡御祭】
松江城山稲荷神社から御神輿を10km離れた
松江市東出雲町の阿太加夜(あだかや)神社本殿まで
船団でお運びする船渡御祭。
4つの大橋の間では、5隻の櫂伝馬船が
勇壮かつ華麗な櫂伝馬踊りを披露します。
約100隻からなる大船団は、約1kmにもおよびます。
【中日祭】
7日間の大祈祷の中日に阿太加夜神社で行われる祭。
櫂伝馬船は阿太加夜神社近くの意宇川で
櫂伝馬踊りを披露すると、
踊り手たちは陸船に乗り換え参道を進み、
境内で再び踊りを奉納します。
【還御祭】
7日間の祈祷を終え、
船団によって御神霊を
もとの松江城山稲荷神社にお送りする船渡御祭。
櫂伝馬船は再び繰り出し、
4つの大橋の架かる大橋川で櫂伝馬踊りを披露します。
その後は陸路で稲荷神社境内を目指し、
櫂伝馬は全身全霊最後の力を振り絞り、
櫂伝馬踊りを奉納すると、
9日間に及ぶ神幸祭は幕を閉じます。
本当は全日程に足を運びたかったのですが、
どうしても都合がつかず、
初日の渡御祭は行くことができませんでした…。
しかし、中日祭と還御祭は
行くことができましたので、
その時の様子をお伝えしたいと思います。
【中日祭】
平日にもかかわらず、櫂伝馬踊りが披露される
1時間前には、観覧者で埋め尽くされました。
さすが、日本三大船神事のひとつと
いわれる所以ですかね…。
『ホーオオエンヤ ホーランエーエ…』
来ました!櫂伝馬船です!
耳に残る心地よい唄声とともに
凄まじい歓声と拍手が沸きあがりました。
櫂伝馬船と呼ばれるこの船は、
五大地である
馬潟・矢田・大井・福富・大海崎から出され、
川幅いっぱいにぐるぐると回り、
観客の前で松江市指定無形民俗文化財となっている
櫂伝馬踊りを披露してくれました。
船の舳先に陣取る剣櫂。
剣をかたどった1m強の櫂(剣櫂)を振り回し
勇壮な踊りを披露してくれました。
その姿は正に櫂伝馬船の主役といっても
過言ではないでしょう…。
その激しい身のこなしが要求されることから、
中学生から青年が努めるといわれています。
剣櫂と対をなし、鮮やかな着物に身を包む
女姿の花形役者の采振。
両手に采(ざい)と呼ばれる竹の棒を持ち、
体をくねらせ采を振り、
上半身をそり返して天空目がけて華麗に振る…。
船から落ちんばかりの身のこなしは必見ですね。
女子供衣装に烏帽子や花笠をかぶり、
唄に合わせてリズムをとって可愛らしく叩く太鼓。
また同じく女子供衣装をまとい、
招待と呼ばれる4人の子供が立ち通しで笑顔を振りまく。
愛くるしさが、10年に一度の祭に
花を添えているようでした。
ちなみに招待と呼ばれる役柄は、
馬潟地区の櫂伝馬船にしかない役柄だそうです。
漕ぐ櫂の調子を合わせるために唄われる舟唄。
五大地はそれぞれに独自の唄を持っていて、
独自の節回しで唄っているそうです。
各地区を代表する音頭取りによる、
威信をかけた唄合戦にも注目が集まりました。
水上での櫂伝馬踊りの披露を終えると、
踊り手たちは陸船に乗り換え、
阿太加夜神社を目指します。
道中も船唄にあわせ踊りも披露し、
沿道を埋め尽くす観覧者は
拍手と声援を送り続けていました。
(私もしました…)
阿太加夜神社に到着すると、
いよいよ中日祭最後のクライマックスを迎えます。
櫂伝馬踊りの奉納です。
五大地は順番に櫂伝馬踊りを奉納していきます。
本日、最後の力をふりしぼった舞と、
漕ぎ手も集まっての船唄…。
そして、子供たちの一生懸命なリズムとり。
どれもが胸に突きささり、
大きな感動をいただきました。
伝統はこうして受け継がれていくのだと…。
境内で鳴り響く、大きな拍手は
最後までとまることはありませんでした。
【還御祭】
ホーランエンヤ最終日となった還御祭。
4日前に行われた中日祭同様、
開始1時間前には凄い人だかりでした。
最終日となる還御祭は、
松江市を流れる大橋川に架かる
4つの大橋の間という広大な範囲で
櫂伝馬踊りが披露されたのですが、
広い会場にこれだけ多くの観覧者が
県内外から集まったという事に驚かされます…。
10年に一度という日本三大船神事に
よせる期待の大きさがうかがわれました。
各櫂伝馬船は橋をくぐる際は、
宝珠や幟のついた棹をたおして進みます。
かなり大きい棹をつけているのが分かります。
約10km離れた阿太加夜神社を出発し、
1kmにもおよぶ大船団が
ぞくぞくと到着してきたことで、
いよいよ始まるという期待とワクワク感で
胸も高鳴ってきました。
8日前に松江城山稲荷神社を出発し、
7日間に及ぶ大祈祷を終えた御神霊は、
御神船に乗せられ大船団に護られ到着されました。
この神事にかかる期間にも驚かされますが、
ここまでの道程にも驚嘆していまいます。
そして五大地を代表する櫂伝馬船は、
御神船を中心にぐるぐるとまわり、
これまでの疲れを感じさせない程の
全身全霊を込めた櫂伝馬踊りの奉納を始めます。
沿道でこれをみる観覧者たちからの
大きく温かな声援と止むことのない拍手が、
全ての櫂伝馬船に降り注がれました。
これは本当に胸が熱くなりました…。
歌舞伎風衣装に横綱や化粧回しをまとい、
力強く踊る剣櫂の姿は圧巻です。
古くから民衆が憧れた、
歌舞伎役者や力士を象徴しているそうで、
天に向かって大見得を切る姿も印象的でした。
しなやかに体をくねらせ采を振る采振。
本日も艶やかに舞い、
観覧者たちを魅了していました。
すごく綺麗な顔立ちにも言葉を失ってしまいます。
ただでさえ不安定な船上でありながら、
樽の上に乗って舞うわけですから、
そのバランス感覚にも改めて驚かされてしまいました。
非常に暑い日でしたが、
子供たちも最後まで笑顔を振りまき、
その役目を務める姿に感動しました。
でも、本当に暑かったので心配しました…。
愛くるしい笑顔や可愛らしくリズムをとる姿は、
この大きな神事にしっかりと花を添える存在でしたね。
櫂掻きと呼ばれる漕ぎ手の方たちの
力強さにも圧倒されてしまいます。
全力で漕ぐにもかかわらず、
しっかり音頭に合わせて櫂が動かされるので、
綺麗に並ぶ櫂の様子にも
目を奪われてしまいました!
そして、なんといっても音頭取りによる舟歌は、
一度聴いたら忘れられないものとなりました。
両手を腰に置き、
舟歌を腹の底から堂々と唄い上げる姿…。
それはもう、かなり恰好よかったです!
各地区独自の舟歌と
喉の競い合いも見応えがありました。
五大地の櫂伝馬船の飾りなども
伝統を継承していて、
その特徴の違いをみるのもおもしろいです。
馬潟の紫の幟は、
御神船が転覆しそうになった時に、
いの一番にかけつけた馬潟船のみ
使用が許されている色とのこと…。
知れば知るほど、奥が深いです。
2時間以上にも及ぶ、櫂伝馬踊りの奉納を終えると、
今度は陸路で松江城山稲荷神社を目指しました。
そして、御神霊が無事に
お帰りになられると祭礼が執り行われ、
その後、再び櫂伝馬踊りの奉納がされると、
9日間にも及んだ神幸祭
『ホーランエンヤ』は幕を閉じました。
10年に一度という間隔で執り行われる、
日本三大船神事のひとつ『ホーランエンヤ』。
この神幸祭を執り行う為に、
370年の伝統を変わることなく、
次世代に継承していく事は
並大抵のことではない…。
それをここ水の都松江では絶やすことなく、
今もなお受け継がれ、
大船神事となっている事に賞賛するばかりです。
次はまた10年後。
人から人へ伝えられ、
先人たちからの伝統や思いの詰まった、
この『ホーランエンヤ』を
是非、みにきていただきたいと思います。
勾玉という伝統を継承し、次世代にも同様に
伝えていかなくてはならない弊社としても、
改めて責任の重さを
認識させられた機会となりました。
▼ホーランエンヤ2019 公式ホームページ
https://www.ho-ran2019matsue.jp/