鉱物と暮らしのアイデア帳

【前編】出雲大社は巨大神殿だった…? 縁結びと言われる理由とその歴史は|夏生さえりさん×笹生衛國學院大学教授

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みなさんは“出雲大社”をご存知でしょうか?

何を聞いているんだ知らないわけがないだろう!と怒られてしまいそうですが……、

みなさんは “本当に” 出雲大社をご存知なのでしょうか……?

こんな風に聞かれると「え…知っているとは…思うけど……」と不安になってきたのではないでしょうか(にやり)。

「なぜ出雲大社ができたのか?」
「なぜ縁結びの聖地と言われるのか?」
「出雲は歴史的にどういう場所だったのか?」

出雲大社は縁結びで有名な神社! ということだけは知っていても、いざ聞かれるとわからないことだらけ。何も知らないまま「うぉっしゃ〜!! いい出会いがありますようにアーメンアーメン!」と雑なお参りをしていた(かつてのわたしのような)方もいるのではないでしょうか?

本当の出雲をもう知りたいと思いませんか?知りたいですよね!
(一人でコールアンドレスポンス方式です)。

今回は、國學院大學教授で日本神話などを研究している笹生衛(さそう・まもる)先生にお話を伺ってきました。これまで出雲大社について何も知らなかった、という方。もっと言えば、“出雲”を知らなかったという方。ぜひ最後まで読んでくださいね。

(プロフィール)
笹生 衛(さそう・まもる)
國學院大学教授・祭祀考古学

昭和36年千葉県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程前期修了。千葉県教育庁、國學院大學神道文化学部准教授を経て現職。『日本古代の祭祀考古学』(吉川弘文館・2012年刊)、『神と死者の考古学』(吉川弘文館・2016年刊)など。

今日は出雲についていろいろと教えていただければと思っています。
はい。よろしくお願いします。

出雲大社は巨大な神殿だった…!?

出雲の有名なものは出雲大社だけではありませんが・・・、でもみんなが「出雲」と聞いてパッと思いつくのは、きっと「出雲大社」だと思うんです。なぜ出雲大社は「縁結び」で有名な場所になったんでしょうか? どんな歴史があるんでしょうか? っていうか本当に縁結びのご利益はあるんでしょうか!?
いろんな疑問があるようですが、ひとつひとつ説明していきますね。
まず、見て欲しいものがあるのですが……。これは、古代に建てられていたとされる出雲大社の、イメージ図です。

写真/出雲大社所蔵、古代出雲歴史博物館提供

えっ! かっこいい!!! こんなに大きかったんですか!?
そうなんです。大きいですよね。
これって「信じるかどうかはあなた次第」系の、“一説によれば”みたいな話ではなく、事実ですか……?
細部はわかりませんし、あくまで“イメージ”ではありますが、大きさは大体このくらいのものだったと思われています。というのも、実際に2000年に発掘された出雲大社の柱があるんです。鎌倉時代のもので、一本の柱をつくるために、三本の大木を束ねていました。


▲発掘された出雲大社の柱。古代の出雲大社には、こうした三本を束ねた柱がいくつも存在した
写真/出雲大社所蔵、古代出雲歴史博物館提供

すごい!!!三本束ねて一本の柱……! 巫女さんと比べてみても、ものすごく大きな柱なことがわかりますね。

現在の出雲大社でも、高さ24メートルとかなり大きいですが、昔の本殿の高さは48メートルくらいあったのではないかと言われています。これはだいたいビル17階ほどの高さに相当しますね。

木造なので地震や災害には耐えられず、何度も建て替えをして、現在の姿に落ち着いたようです。

ビル17階に匹敵する大きさ!! 階段を登らなければならなかったとすれば、お参りをするだけでもすごく疲れそうですね……。でも、どうしてこんなに大きかったんでしょうか?
これは、出雲大社ができた理由……つまり“日本神話”と大いに関わっているんです。ゆっくり説明しましょう。

日本神話が教えてくれる出雲の歴史

日本神話……ってなんでしたっけ……? あの、“ヤマトタケル”とか“ヤマタノオロチ”とかそういう人が出てくるやつですか?

そうです! ほかにも、天照大神(アマテラスオオカミ)や、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと・スサノオノミコト)なども出てきますね。 “ギリシャ神話”や“北欧神話”という言葉を聞いたことがあると思いますが、日本にも同じように神話があります。

「日本という国がどうやって作られたのか?」が物語調で書かれていて、“古事記”と“日本書紀”にその内容を見ることができます。

古事記、日本書紀…。学校で習いましたね…。懐かしい響き…。
『古事記』は8世紀のはじめ頃、太安万侶(おおのやすまろ)がまとめた(※1)ものですが、原本は現存していません。

※1 『古事記』序文によれば、7世紀末期の天武天皇の命令で、記憶力に優れた稗田阿礼(ひえだのあれ)に昔語りを記憶させ、それを太安万侶が筆で書き取り、まとめたとされる

なるほど。その神話に「出雲大社がなぜあんなに大きいのか?」も書かれているんですか?
はい。出雲大社ができるまでには、さまざまな神様の物語がありました。できるだけわかりやすく説明していきますね。できるだけ誰にでもわかるように、省略しながら話すので、興味を持った方はご自分で調べてみてください。
お願いします!

はい。そもそも、『古事記』によると、この日本の国土は伊邪那岐命(イザナキノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)が生んだとされています。このふたりは、多くの神々を生み、最後に火の神を生みます。しかし、その際の火傷がもとで妻のイザナミノミコトは亡くなってしまうんです。

夫のイザナキノミコトは妻を恋しく思うあまり、死者の国「黄泉国(よみのくに)」まで追って行きます。

死んだ妻を追って死者の国へ…!
黄泉国から帰ったイザナキノミコトは禊(みそぎ)を行ないますが、最後に目と鼻を洗うと、貴い神々が誕生します。左目を洗うとアマテラスオオカミ、右目を洗うと月読命(ツクヨミ)、鼻を洗うとスサノオノミコトが生まれました。

か、神様ってそんな感じで生まれてくるんですね。

おもしろいですよね。アマテラスオオカミは天上の世界(高天の原)を治め、ツクヨミは夜の世界、スサノオノミコトは海を治めることになります。

後編で詳しく触れますが、スサノオノミコトは高天の原で色々な事件を起こし、追放された後、出雲に天降(あまくだ)り、ヤマタノオロチを退治するなど活躍します。

このスサノオノミコトの子孫に当たるのが「大国主神(オオクニヌシノカミ)」なのです。このオオクニヌシが、出雲大社と深い関わりを持つんですね。

(ちょっと難しくなってきたな…)。えーと、その”オオクニヌシ”という神様が、出雲においては重要な神様なんですね?

はい。オオクニヌシは様々な試練の末、地上を開拓し、人々が住みよくなるように整えました。そのため、オオクニヌシは「国造りの神」と呼ばれていました。

さて、オオクニヌシが造った地上の世界ですが、天上の世界(高天の原)にいらしたアマテラスオオカミは「あの豊かな国が欲しいな〜。わたしの息子が治めるようにしたいな〜」と思われたんです。

(それは横取りなのでは?)

このため使者をオオクニヌシのもとへ送りますが、なかなか事は進みません。そこで最終的に、刀剣の神を遣わすことになりました。

彼は、逆さまに剣を立て、その上に胡座をかいて座り「アマテラスさまはこの国を息子に治めさせたいらしいから、この国くれや!」と交渉するんです。

(剣の上に座る?危なくない?)
「アマテラスオオカミのご命令で、この国を譲ってくれるよう交渉に来ました。あなた様の意見はいかがですか」と。一部の反対はあったものの、最終的にオオクニヌシは国譲りに同意します。
わりとあっさり手放しちゃうんですね。

いやいや、オオクニヌシノカミは、ここで一つの条件を出しました。「この国を譲るかわりに、天皇のお住まいと同じくらい立派な宮殿をつくってくれ。そうすれば、暴れたりせずにそこに鎮まってあげてもいいよ」と。この結果、建てられたのが出雲大社(※2)の巨大な神殿なのです。

※2 古来は杵築大社とも呼ばれた

なるほど……! それであれだけ大きなものを作る必要があった、と。
そうです。オオクニヌシが暴れたりしないように、恵みをくれるように、人間たちは大きな神殿を作って祀り続けている……ということですね。
ふーん。日本神話ってメチャクチャで面白い。でも、それは神話上のお話で、作り話なんですよね?
いいえ、神話は作り話ではありませんよ。
えっ、実話ってこと!?
いえいえ、神話は、「現在の世界や生活がどのようにできたのか説明する物語」なんです。つまり、出雲国や出雲大社の成り立ちと深く関係している、と。
出雲の成り立ちと関係している?…どういう風に繋がっているんでしょう?
出雲という地域は、弥生時代以来「交易」で栄えていたようです。特に海の向こう、朝鮮半島との人の行き来が盛んだったようなんですね。
ふむふむ。出雲は、海の向こうから先進的な文化や技術がどんどん入ってくる地域だったと。
ええ。そうした文化や技術を使って住みやすい国土を作る「国造りの神」がおられる場所。出雲は、そんな風に考えられていたのではないでしょうか。
おもしろい……! 栄えている場所に、人々は「国造りの神」を見たと言うことかもしれないんですね。あんなに大きなものを作ったモチベーションもそれなら納得です。

縁結びの理由は、オオクニヌシと女神の神話にあり。

出雲大社が作られた経緯はよくわかったのですが、“縁結び”のご利益はどこから来たお話なのでしょうか?

オオクニヌシが多くの女神や女性に好かれ、助けてもらう物語が『古事記』にあるんです。詳しい内容は、また別の記事で紹介できればと思うので、今回は物語の概要を紹介しますね。

稲羽(いなば/かつての地名。因幡とも)にヤガミ姫というものすごい美しい人がいて、オオクニヌシと兄弟たちはみんな求婚しに行ったんですね。その途中で、かわいそうな白ウサギをオオクニヌシは助けてあげるんです。すると、ヤガミ姫は「優しいオオクニヌシと結婚します!」と言い出すと。

するとお兄さんたちがやっかんで、オオクニヌシをイノシシ型の大きな石で殺すんですけどね、神様の中のお母さんみたいな神様になんやかんや復活させてもらったり……。

(神話、突飛すぎて何から突っ込めばいいのかわからない)。
それで復活したあとに、またお兄さんたちが木の股に挟んで殺そうとしたときも、おばちゃん的な神様が救ってくれたり……。
(木の股に挟んで殺すとは?)
そうしてヤガミヒメを手に入れたことで殺されかけたにも関わらず、今度は逃げた先で、スセリヒメという人とひと目で両思いになっちゃうんですよ(笑)。それで、スセリヒメの父であるスサノオノミコトに無理難題をつきつけられるも、ネズミに助けられたり……。
なんだか現代人の感覚ではツッコミどころが多すぎましたが、要するにものすっっっごくざっくり言うと、オオクニヌシノカミはあらゆる女性や動物に助けてもらえた、つまりモテる存在だったってことですね。

まあ、オオクニヌシノカミは頼り甲斐があって優しい、生命力のある神様ということなんでしょうね。
そんな物語の主人公的な活躍を見せたモテる存在「オオクニヌシ」が祀られているのが出雲大社なんだと思うと、たしかになんだかご利益がありそうだし、行くだけでモテの恩恵を受けられそう……。
出雲の大国主神様が「縁結び」の神と言われるようになったのは、神話にも理由があるでしょうね。「神無月(かんなづき/かみなしづき)」って知っていますか?
知ってます! 昔の“月”の呼び方で、10月のことですよね。

そうです。全国では10月は神無月と呼ばれますが、出雲だけその時は「神在月(かみありづき)」と呼ばれます。全国の神様が、出雲に集まるからなんですね。

江戸時代には浮世絵で、全国の神様が出雲に集まって「自分の土地の独身者リストを持って、他の神様に“ウチの独り身をなんとかしてくれ”と相談している様子」を描いた絵があります。

え〜!神様同士が、「こいつとこいつ出会わせようぜ」と相談してくれていると!?
そういう絵ですね。面白いですよね。江戸時代には少なくとも、出雲は「縁結びのご利益がある場所」と思われていたようですね。
本当に昔から“縁結び”スポットとして知られていた場所だったんですね……。最近のブームに乗っかって適当に「縁結び〜」と言い始めたわけじゃないことがわかって安心しました。

それにしても「大きい神殿を作ってくれたら静かにしてやってもいいけどぉ?」と言うオオクニヌシ、面白いですね。神様なら何も求めずに「はい、どうぞ」と言って微笑んでくれても良さそうなのに。
古代の日本の人々は、神様を「プラスにもマイナスにも大きな力を持つもの」と考えているんです。
マイナスにも?

神様は、きちんとお供えをして丁寧に祀れば、豊かな恵みを与えて、私たちを守ってくれる。しかし、それを怠れば祟り、災害が発生する。だから毎年、時を決めて丁重に神々を祀る必要があると、人々は考えたわけです。

この背景には、日本の環境が大きく影響していると思うんです。日本は、自然の恵みが多い一方で、台風や洪水、地震や火山噴火などの災害も多い。人はそこに、神の存在を見出したのだと思います。

(後編へ続く)

撮影:友光だんご
編集:Huuuu.inc
イラスト:藤田マサトシ

執筆:夏生さえり


フリーライター、CHOCOLATE.inc プランナー。大学卒業後、出版社に入社。WEB編集者として勤務し、2016年4月にライターとして独立。企画、取材、エッセイ、シナリオ、ショートストーリー等、主に女性向けコンテンツを多く手がける。著書に『今日は、自分を甘やかす』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『揺れる心の真ん中で』(幻冬舎)、他。
Twitter:https://twitter.com/N908Sa

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