めのうさとえすこな散歩

神社な日常 知って得する神社のあれこれ 佐太神社 神在祭 編

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

さてさて。
本日は佐太神社の神在祭を
神迎えから神送り、
そして二回目の神送りまでを
一挙ご紹介します。

佐太神社は神事の撮影が
禁じられてまして、
その様子を写真で説明出来ないのです。

今回は文章多めになりますが
どうかお付き合いください。

佐太神社は出雲国の二之宮。
二番目に勢力のある神社という訳です。
ちなみに一之宮は熊野大社と出雲大社です。

また佐太神社は「神在の社」ともいわれ
文献上最も古くから神在祭を営む神社
でもあります。

その由来は出雲大社を始めとする
出雲市内の神在神社とは異なり
母神、イザナミが亡くなった
10月に仏教でいう「法事」の様に
イザナミを敬い参集すると伝わっています。
11月14日にご紹介した神魂神社の
神在の由来と同じなんですね。

佐太神社は裏山に
イザナミの御陵があります。
これは安来から遷したと伝わります。

ところで、
この神在祭。明治の時代までは
戒律がかなり厳しかったようです。

歌舞音曲を禁じるというのは
いまでも共通で、歌や舞い
楽器の演奏が禁じられるのは
もちろんのこと、慶弔や新築の棟上げ
細かくは刃物や針の使用まで
禁じられていたようです。
これが神様のいらっしゃる間
15日間続いたようですね(゜゜;)

これでは厳しすぎる!と反発があったようで
やがて戒律を解く中日が3日ほど
設けられた様です。
前半を上忌(かみいみ)、
後半を下忌(しもいみ)と呼んだそうです。

時代の流れとともに
神在期間は短縮され更に短く。
前半もしくは後半の祭祀を中心に
行うように変化していきます。

佐太神社はより神事の重要性の高い
下忌の祭祀を選択したそうです。

そして今でも11月の神在祭と
5月の神在祭(裏月祭)を斎行されます。

お待たせしました。
では、神迎祭から。

11月20日 神迎神事

佐太神社は新暦で神迎祭を斎行されます。
今年も11月20日の夜8時から行われました。

18時過ぎに境内に着くと
手水がコロナ禍に合わせたのか
柄杓を使わなくてもいい仕様に
代わっていました。

手水を済ませ、参拝。
境内の写真を撮らせていただきます。

既に神在期間の参拝の仮の拝殿には灯が灯り
御幣や提灯が整然と並んでいます。

結界の入り口はまだ開いていました。
「青木」と呼ばれる葉がそこに。

通れる隙間を残し
結界が張られるのを待っているかの様です。

参道にも人気が無く、
明日からの神在に備えた屋台も
静かにその時を待ちます。

一人、また一人と参拝者が集まり
気づけば30人ほどでしょうか?
例年と同じくらいの参列者です。

私もそろそろカメラを仕舞い、
開祭の20時を待ちます。

20時。
直会殿内では修祓の祝詞が奏上されます。
神官、そして境内を祓い、
参列者もお祓いを受けます。

一通り祓い終わり、境内の灯りが落とされます。
直会所から神官たちが参進されます。

入口前で祝詞が奏上された後
神官は入り口から境内に入っていきます。

真ん中の正中殿、向かって右の北殿
そして左の南殿前で祝詞を奏上されます。
祝詞は全て「秘音」。聞こえません。
最後に南殿脇で四方拝をなされ
社殿前から下がられます。

最後に結界の端の青木が結ばれます。

これで神送りまで結界の中には
宮司さえも入る事がありません。
社殿後ろの山からこの結界までの空間が
神様の領域なのだそうです。

普段なら直会があり、お神酒を頂くのですが
やはり割愛されました。

25日までの5日間。
八百万の神々が滞在されます。

龍蛇神参拝

神在期間中、御札所に申し込み、
龍蛇神参拝が出来ます。

昨年まで初穂料が1000円でしたが
今年から任意の金額になったようです。

八百万の神々が参集される頃、
先駆けて浜に上がることから
先導の神と考えられ、
佐太神社は神在期間のみ参拝が可能です。
水難除け、火難除けの御神徳の神様です。

出雲大社の神迎えのブログでも書きましたが
トグロを巻いたお姿で、松江の殿様から頂いた
蒔絵が施された三宝に鎮座されています。
参拝の後、御札を戴いてきました。

ちなみに、普段はどこにいらっしゃるのか
以前伺ったところ、
宮司さんしか知らないそうです。

龍蛇さんの隠し撮り(^^;)

11月25日 神等去出祭

25日の20時。
5日間の滞在を終え、
八百万の神々がお帰りになります。

離れた山の中にある
ご神域から日本海へ出られ、
来られた国へ帰られるといわれています。

神迎えの時とは違い、この時は
氏子の方々も参列されます。

参列者も神迎えの時より多く
送られる御神域の2㎞先の山の上の
斎場まで参列されるであろう方も
多く見受けられます。

というのも、防寒の装いを
しっかりしている方や
足元がトレッキング仕様の方が
チラホラと(^^)

参列前に求めるものがあります。
御幣と直会の時にお神酒を頂く
土器(かわらけ)。

そして
提灯を持ってい無い方は提灯を。
私は一昨年の提灯を持参しました。

この神事は提灯の灯り以外は
禁止されています。
御幣は100本用意されているようで
100本はければ、
定員が埋まるのでしょう。。

御幣は周りの参列者に習い、
首の後ろに差し込みます。
何故かは知らないのですが(^^;)

迎えた20時。
神事の始まりは修祓。
この日もお祓いから始まりました。
そして境内の灯りが消され
神官たちが神迎えの時に
閉じた結界の入り口に向かい
整列されます。

祝詞の奏上。
この時も秘音。耳には届きません。

奏上が終わると三段に張られた
青木の結界が包丁で切られ
5日ぶりに神様の領域に
神官たちが入っていきます。

提灯灯りに照らされ
神迎えの時と同じ順番
正中殿、北殿、南殿の順で
祝詞が奏上されていきます。

更に玉垣の中に入られる神官たち。
しばし神事の進行が参列者には
解らない時間が過ぎていきます。

やがて、境内北端にある社殿に
三人の神官が入ります。

しばらくして「おおおぉぉーーー」と
警蹕が聞こえてきます。

八百万の神々が宿られた榊、ヒモロギが
社殿から出てこられました。
一旦直会殿に控えられます。

境内では氏子の方々の役割が伝えられます。
大きな提灯や御幣などをもち、
八百万の神々と御神域の山、
神ノ目山まで列を組みます。

名前を呼ばれた氏子の方は
「おおーお。」と返事をし
楼門前に伝えられた順番で並びます。
隊列が完成すると
ヒモロギを抱えた神官がやってきました。
参進です。

一般の参列者は後を追い、
山へ入っていきます。

民家の脇を抜け、山へ。
軽いトレッキングですが
慣れていない方にはちょっと
キツイようです。

私の前は60代の女性で、お連れの方は
40代の方にお見受けしました。
60代の方は慣れて無いのか
息も絶え絶え、
ちょっと距離が出来てしまいましたが
なんとか斎場まで着きました。
この斎場は「高天原」と呼ばれています。

着いたのが遅かったのか
日本海に繋がっているといわれる
「池」と呼ばれる御神域のくぼみには
円錐状に竹が組まれ縄が巻かれていました。
これは神々を海へと送る
祭壇の様なものの様です。

持参した御幣は斎場の周りの
開いている場所に刺します。
以前の神事で刺された御幣が
雨風に打たれ、古くなって残っています。

神事が進みます。
ヒモロギはその「池」に置かれ
神送りの秘音の祝詞が奏上されます。
斎主がやおら二拝二拍手一拝をされます。
祝詞が終わったようです。

続いて斎場の中央にあるご神木に
儀式の用意がされます。

柳の木に上下を刃物で木肌を削ぐ様に
ササクレ立たせたもの、桜の木の皮
そして御幣の3種が一対ずつ。
蔦のツルで御神木に結ばれていきます。

準備が出来ると斎主は
御神木前で秘音の祝詞を奏上します。
祝詞が終わり御幣を手にし、
その御幣を左右に18回振ります。
これを3回。

これは再生の儀式だと佐太神社で以前
禰宜の職に就いていらっしゃた方に
伺った事があります。

神事が終わりました。
八百万の神々はこの場所から日本海に出られ
お国へ帰っていきます。
帰られた後に
神職のみで行う儀式があるとの事で
直会を済ますと、そそくさと
山道を帰ります。
今年は穏やかな神送りでした。
帰り道の提灯。

歩きながらなのでブレブレですが(^^;)

境内に戻ると神楽が響きます。
神在の期間は笛も太鼓も
禁じられていますので
神様が帰られたことを知らせる
意味もあるのでしょう。

宮司からお話がありました。
その中で気になったお話があります。

神ノ目山の御神域から
神様を送る時、秘音で「カコ」と
言われます。もちろん聞こえません。
社伝ではこの時、鳥が三羽必ず死ぬとか。
この「カコ」とは船の漕手のこと。
もしくは海鳥をカコと呼ぶのだそうです。
海に関わる言葉が使われるんですね。

ここ数年の神送り神事の中では
格段に穏やかで暖かかったこの日。
宮司も非常に雄弁でした。

止神送神事(しわがみおくりしんじ)

25日の神送りの際、
お帰りにならなかった神様を送る神事です。
止神(しわがみ)とは帰らずに
留まっている神という事でしょう。

正中殿に御幣が一本ポツンと残っています。
これはまだ神様がお帰りになってない
印なのだそうです。

11月30日の午後から、25日と同じ神事を
神の目山の斎場で行われます。
私、今まで機会が無く、
今回が初参列でした。
この日も土器(かわらけ)を求め
参列します。

直会を終え残られた神様も
無事にお送りしました。
この日は続けてもう一つ神事があります。

柴刺神事(しばさししんじ)

元々は佐太神社の領地。「神領」を
示す神事だったと伝わるようです。
以前は28箇所の場所に御幣を刺して
回ったそうです。
現在は5箇所御幣を刺して回ります。

私が伺ったのは元々八百万の
神様がいらっしゃる期間は
慎む様にと
刺していったのだとか。

今では神様がお立ちになられたと
知らせるため刺していると伺いました。
ですので、神様が全て
お帰りになったタイミングで
この神事を行うような気がします。
止神送りの後、神官の後を
付いて行きました。

まずは、神ノ目山の参道途中。
多分、ここが俗世との境目なのかも。

二箇所目は神ノ目山の入口です。

三箇所目は通りの角にある石碑でした。

四箇所目はちょっと歩きます。
山が途切れている場所とでも
言いましょうか、もしかしたら
佐太神社の裏山の端っこかも。

五箇所目はまたまたちょっと歩きました。
山の中にへ行っていく???

とにかく後を付いていきます。

山へ入りかけた頃でしょうか?
竹林の先に御幣を刺されました。

以上五箇所。
これで止神送りも柴刺神事も終わりです。

帰り道の神官さんたち。
先程までのキリリとした後ろ姿とは
打って変わって終わったーといった
リラックスの雰囲気があります。
左の神官が手に持っているのが
八百万の神々が宿るヒモロギを
運ぶ台です。

神事の終了を告げる参拝でしょうか。

佐太神社は5月に「裏月祭」という
神在祭を斎行されます。
今度はお昼の神迎え、神送りです。

本日は佐太神社の
神在の様子をご紹介しました。
お付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛くださいますように。

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