みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。
本社が移転しまして、
駐車場から10分ほど歩いて通勤してます。
道路から宅地を挟んで「玉湯川」が
流れているんですね。
その土手には温泉街から
桜並木が続いているんです。
何故か温泉街より開花が遅いみたいです。
先日ちょっと遠回りをして
写真を撮ってきました♪
この時は3~4分咲きくらいでした。
日向ぼっこしたくなりました(^^;)
中学生の通学路でもあるようです。
この後、ランニングしている男性と
すれ違いました。それぞれの朝の風景。
この日は日中20°くらいまで
気温が上がった日でしたので
開花が進んだんじゃないかなと思います。
さてさて。
前回は韓竈神社の鳥居前にある
「岩船」をご紹介しました。
途中から脱線してしまい失礼いたしました。
今回もスサノヲが乗ってきたと船と
伝わる岩をご紹介します。
仏経山の登山口手前にある
駐車場のガードレールの向こうに
平らなテーブル状の岩があります。
ガードレール下の手書きの板が目印です。
舟石 フナイワ
雲陽誌にスサノヲ降臨の舟が
岩と成ると記す。
カゴ岩は下の広場に埋没
と仏経山石神会による
説明が書かれています。
その舟石がこちらです。
四角形の平たい岩が露出しており
真ん中ほどに集められた石に御幣が立ち
縄が巻かれています。
左端が舳先にも見えますね。
厚みもあります。
先の看板の「降臨」はアマテラスの天の国、
高天原を追放された時の事でしょう。
古事記では降臨(天降り)の地は
鳥上の地(とりかみのところ)と書かれ、
現在の仁多郡奥出雲町といわれています。
日本書記の異伝には朝鮮半島のソシモリに
降臨されますが、そこには居たくないと
スサノヲは埴舟(はにふね→土の舟)で
日本へ息子の神様と渡ってきます。
これらの伝承とまた違う伝承として
雲陽誌にあるようです。
面白いですね。
看板に加えて書いてありました「カゴ岩」。
「下の広場に埋没」とあります。
この岩の下は企業の土地になっていますので
無断で入れません。
上から覗いてみると広場というより
その企業の社地で、それらしき岩の
面影も見当たりませんでした。残念。
この近くにスサノヲを祀る神社があります。
出雲市斐川町直江 祇園神社。
先程の地図の舟石の近くです。
この辺りは「祇園原」というそうです。
「祇園」といえば京都の八坂神社の愛称が
「祇園さん」ですね。
そして「祇園祭」が有名ですが
もしかしたら同じご祭神に合わせて社名を
替えたのかもしれません。
ご祭神はもちろんスサノヲさんです。
※2019年1月撮影
山頂や中腹から里に遷座することは
珍しい事では無いように思います。
長年の間に豪雨や地すべりによって
社殿が傾いたり流されたりして
結果、里に落ち着くみたいですね。
「斐川の地名散歩」という本によると
この地区の人は先の祇園神社のお祭りの時、
キュウリを食べないそうです。
・・・聞いたことがありますね!
前述の八坂神社、祇園祭のお祭りの時も
氏子さんはキュウリを食べないとか。
神社の神紋(五瓜に唐花)が
キュウリの断面と似ていることから
恐れ多いのだとか。
確かに!(画像はネットから拝借しました)
ではこちらの皆さんも同じ理由でしょうか?
これは独自の伝承があり、
「斐川の地名散歩」によりますと、
その昔疫病が流行り、お祈りをしたところ
「キュウリの様な生ものを食べないこと
水にはいらないこと」といった
ご神託があり、その通りにしたら
治ったのだそうです。
以来この土地の人は今でも
キュウリの栽培もしないそうです。
なるほど!
「祇園」の名称は「疫病」から来ていた
社名なのかもしれませんね。
ご神託も確かなもので
キュウリは夏野菜で体を冷やす野菜です。
水に入ることも体を冷やすことですから
同じことを告げられています。
体を冷やせば免疫力も下がる。
理にかなっている話ですね。
降臨されたスサノヲの後日談が
探せないのですが、この近くに
ヤマタノオロチ退治に関わる場所があり
この降臨の地から繋がる伝承があります。
その話は「古事記と出雲」のブログで
ご紹介したいと考えております。
お付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛下さいますように。