みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。
先日の読みものでヌナカワヒメをご紹介しました。
古事記と出雲59 大国主命㉔ ~ 翡翠の女神 ヌナカワヒメ ~
影の薄いヌナカワヒメ、と書かせて頂きました。
さて、出雲國風土記にはどう書かれているのでしょう。
この事で今回は私の持論などを書かせて頂きます。
どうかお付き合いください。
さて、件のヌナカワヒメが風土記で登場する場面、
島根郡美保郷のところで、地名由来が次の様に書かれています。
所造天下大神(アメノシタツクラシシ大神→オオクニヌシ)が
高志の国にいらっしゃるオキツクシイの子、
ヘツクシイの子、奴奈宜波比売(ヌナカワヒメ)と
結婚してお産みになさった神、
御穂須須美(ミホススミ)、この神が
鎮座していらっしゃる。だから美保という。
と、美保の地名由来の神、ミホススミの
母神として登場します。
気になるのは「オキツクシイ」「ヘツクシイ」。
風土記の内容としてはオキツクシイの子である
ヘツクシイ、その子であるヌナカワヒメ。と
解釈するようです。
ですので、ヌナカワヒメの祖父神、父神が
紹介されています。
私、ちょっと違和感がありました。
何故わざわざ祖父神まで書いたのでしょう?
島根県古代文化センター[編]の
解説出雲国風土記にはこの祖父神、父神の名前を
次の様に解説しています。
オキツクシイ=沖の奇居(沖に神秘の御霊を留めている神)
ヘツクシイ =辺の奇居(海辺に神秘の御霊を留めている神)
いずれも海上神であるとの事です。
その子孫、ヌナカワヒメは古事記では
「沼河比売」と字が充てられ
沼=玉、宝石。河=川。つまりは翡翠の川の事で
糸魚川を連想させます。
海上神と河川の女神・・・
海と川、水の対比でしょうか?
この違和感は、糸魚川の「長者原考古館」を訪れた時に
私なりの解釈が頭に浮かびました。
そのきっかけは、「打製石器」としての翡翠です。
元々この土地でヒスイは石器として使われ、木をくり抜き
船を作る道具だったそうです。
ヒスイは石の中でもトップクラスの割れにくさを誇り
それ故、加工の難しさもあったようです。
大型のヒスイが残っているのは不自然です。
なんと10tを超える巨大な翡翠が飾られています。
では、石器時代、ヒスイをどの様に加工したのでしょう?
どうやら、手頃な大きさを海から拾っていたようです。
川から海に流されたヒスイ。小さいものは波に寄せられ
浜辺近くに戻ってきますが、大きいものはちょっと沖の方に
あったのだと想像します。オキツクシイは「沖の霊妙な石」、
ヘツクシイは「浜辺の霊妙な石」と考えればどうでしょう?
「オキツクシイシ」と「ヘツクシイシ」が元の神名では?
沖の大型のヒスイは斧に、浜辺の小さいものはノミに
石器として加工した、その石器は船を作るためのもの。
船を作った民族、つまりは海洋民族だったと
先祖神で示している様な気がします。
そして今は「玉」の女神、ヌナカワヒメへと変遷したのでは
ないでしょうか?
これは、ヒスイの変遷にも当てはまります。
ヒスイは最初、打製石器として利用されますが
やがて「大珠(たいじゅ)」や「勾玉」などの
玉として使われていきます。
ではミホススミは?
前出の解説出雲国風土記には「稲穂の豊かな実りが
進む事」と解説しています。
船によって稲作が広まったと最初は考えましたが
私なりにしっくりくる答えが見つかりました。
昭和16年に出版された「神國島根」という本の
第四章美保神社の項には「元来この美保というのは
水脈の義であります。」と著者朝山晧 氏が書いています。
この「水脈」は「海の水脈」と考えれば海流、潮の流れになります。
「潮の流れを進み見る」=「ミホススミ」と考えれば
出雲國風土記のヌナカワヒメの出自は
「以前は沖のヒスイや浜辺のヒスイの石器で
船を作った海洋民族であったが、やがてヒスイは
石器から祭祀用の玉へと変遷し、受け継がれた航海術もあり
全国へ広まっている。」
持論です。
事実、糸魚川産ヒスイの打製石器は北海道や岩手でも見つかっており
古い時代から海運で広まっていったと考えられます。
やがて、祭祀の道具としてまたは、権力の象徴として
珍重された勾玉などの玉類。航海術に長けた民族であることを
出雲國風土記は暗に語っているのではないでしょうか。
今回ご紹介するのは美保の地名由来の神様ミホススミを祀る
二つの神社です。もちろん美保関にあります。
まずはこちら。
御穂神社。
美保関にある関の「五本松公園」の片隅に
鳥居があります。その鳥居から100mほどのところに
ひっそり鎮座しています。
1980年代に建立された新しい神社ですが
去る10月7日は例祭が斎行されました。
美保神社が祭祀を行います。
そしてもう一社。地主社。
名前が示す通り、この地を鎮めている神様の神社です。
祭主は宮司が執り行います。
伺った話ですが、摂社の祭祀の始まりは
この地主社からなのだとか。
昨年の例祭の様子。
この社殿の下にはストーンサークルがあるそうです。
美保関の祈りの起源なのではないでしょうか?
この2社は美保関の案内には
ご祭神はコトシロヌシもしくはミホススミ。
と何故か曖昧な表記になっています。
神社の事情もあるのかなぁと、慮る私でした。
水面下に隠れてしまったかの様なミホススミ。
現在の美保神社のご祭神はコトシロヌシとミホツヒメ。
同じ「ミホ」の名前を冠する女神です。
記紀神話の隆盛時に入れ替わったという話もあるそうです。
今回はヌナカワヒメの御子美保関の地名由来の神様、
ミホススミをピックアップしました。
本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛下さいますように。
このミホススミに光を充てようというプロジェクトもあります。
良かったらそのHPは下からどうぞ。