本日は十三夜。
十三夜のお月見は日本で始まった風習だそうです。
十五夜と十三夜を合わせて
「二夜の月(ふたよのつき)」と呼ぶそうですね。
今日は16時過ぎに月が出て、22時頃、南の空に
最も高く輝くそうです(^^)b
皆様のところは晴れていますでしょうか?
さてさて。
ひょんな事ってあるんだなと
思える様な事が最近ありました。
今回はそんなご縁から例大祭に
参列した神社のお話を。
発端は8月の初旬、磐座や巨石に
関心の強い知人から「松江市か雲南市方面で
オススメの巨石はないか?」と聞かれました。
私は何気に「矢櫃神社跡か幡屋神社の元宮は?」と
オススメしたんです。
知人が選んだのは「幡屋神社」でした。
出雲國風土記の大原郡の項に記載のある
29社の神社のうちの一社です。
古社ですね!(゜0゜)
知人が訪れた磐座の事をブログに書きました。
そのブログが幡屋神社の宮司さんの目に止まり
10月9日に斎行される例大祭の
参列のお誘いを受けたのでした。知人が(^^;)
私も着いていきました。
奇しくも私は「古事記と出雲」の読みもので
オオクニヌシの八十神征伐に関わる
旧跡や神社を訪ねている時でした。
風土記掲載の「屋代(やしろ)郷」、
「屋裏(やうち)郷」は元々「矢代」「矢裏」の
字で書かれ、弓矢の「矢」に関わる地名でした。
「幡屋神社」の社名「はたや」の響きから
織物に関わる「機織り」から来ている感じにも取れます。
事実、幡屋神社のご由緒には「出雲国内における機織りの
発祥地でもあった。」と書かれています。
ですが、私としては屋代、屋裏と同じ
「屋」の字が見えることから
意味はともかく「幡矢」の可能性もあるのでは?
と思うのでした。御由緒の「・・・発祥地でもあった。」
この「・・でもあった」ということは、他にも由緒が
あるという事、と思わずにはいられません。
神社の位置も屋代郷と屋裏郷の郷境近くの場所で
矢に関わる郷の間に存在しています。
そんな思いを持ちながら、10月9日、例大祭当日。
知人と参列して参りました(^^)
当日は8:30より神楽の奉納で始まりました。
受付を済ませ、拝殿で舞われている神楽を観覧します。
七座神楽と伺いました。場を清める為の神楽でしょう。
次々に演目が代わり、参列者が三々五々集まってきます。
神楽が一段落し、宮司さんに
ご挨拶出来るタイミングが来ました。
私は思いきって社名に関わる質問を!
宮司さんも矢に関わる「竹」に関係していると
お考えで、この場所に竹を植えたのでは?と
思っていらっしゃるそうです。
宮司さんのお名前も「竹彦」さんでした(笑)。
宮司さんは、忙しい中でも丁寧に質問に答えてくださり、
元宮の谷にある「船石」の説明や
裏山の山頂が元々社殿があった場所で、
現在の場所に遷座されたのではないか、など
興味が湧くお話を幾つかしてくださいました。
なるほど、鳥居は社殿に向かってというより
社殿の裏山に向かって建っています。
裏山、もしくはあったであろう山頂の社殿、
または山頂の祭祀の場所に向かって建っている様です。
裏山の神社跡には自己責任で行ってもいいと
許可頂きましたので、行くことが出来ましたら
元宮の磐座と合わせてまたこちらの読みもので
ご紹介したいと考えております。
恙無く例大祭が終わり、次にカワイイ参列者がやってきました。
「紐落とし」です。あまり耳にしないですよね「紐落とし」。
説明の際によく山陰地方の「七五三」とありますが
まん3歳(数え年4歳)の時に男の子も女の子も行います。
生まれてすぐのお宮参りの祝い着には紐が付いていますが、
3歳になるとその紐を取り、帯を締めて宮参りをすることに
由来するといわれています。
この日は3人のお子さんが、参列されました。
私、紐落としの神事は初めてでした。
祝詞の奏上と、昇殿した参列者の前で神楽が奉納されます。
紐落祭も無事終わり、宮司さんは親御さんたちに
「祭記(さいき)」の説明をされていました。
祭記とは願主の指名、生年月日、住所、
父母、続柄などの個人情報神様の魔法の言葉、
お祭りの名称、お祭りの日付そして宮司氏名が
書かれているそうです。
詳しく書いてある宮司さんのブログは下記から。
幡屋神社は注連縄と日月旗(じつげつき)を新調された
ばかりの例大祭でした。
神様も喜んでいらっしゃったでしょうね♬
日月旗の上の飾りは「幸鉾(さちほこ)」というそうで
何でも責任役員さんの方の手作りだそうです。
邪気を祓い幸福を呼び寄せるという意味があるのだとか。
なんだろう?と思いながら開けてみましたら
微笑ましい戴き物でした。
全部いただきました。
神事で戴いたお菓子ですからね!
本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛下さいますように。