みなさまこんにちは。
いつもお読みくださり
ありがとうございます。
読み物を更新しました。
しばしお付き合いください。
2月は祝日が2回ありますね。
「建国記念の日」と「天皇誕生日」。
私事ですが、小学生の頃、
1年生だったと思います。
担任の先生から
「『建国記念日』ではなく
『建国記念の日』です。」と
教わったのを覚えています。
「の」が入る理由は教えては
もらえませんでしたが、
当時の私は教わるがまま、
不思議にも思わず大人になった様です。
今回は「建国記念の日」の由来と
まつわる神社をご紹介します。
まずは「建国」。
いつもお世話になっている
Wikipediaにとると
建国(けんこく)
国によって定義は異なるが、
国家の基礎が確立して
主権国家として態を為すこと、
国家として成りたたせること、
国家として創建されること。
とあります。
ちょっと難しい・・・(^^;)
要は国が出来た事を指す様です。
日本の建国は定かでは無い様です。
たぶん確実に立証出来ないのかもしれません。
ですが日本書紀の巻第三 神武紀には
「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」
と書かれています。
これは「建国神話」と称されることがあり、
紀元前660年1月1日、橿原宮にて
神武天皇が即位された事を記しています。
神武天皇は初代天皇です。
今上天皇は126代目にあたり
この事は天皇家が世界最古の王家となり、
建国以来、一度も滅びること無く
現存する世界最古の王権国家として
ギネス世界記録でも認定されています。
あれ?中国4000年の歴史は? と思った方!
中国、正式には中華人民共和国は
1941年10月1日に建国された国です。
歴史は古い国ですが、「国」としては
主権が変わり、夏・殷・周・秦・漢・・・と
国が滅び、新たな建国を繰り返しています。
最も長く続いている現存する国は
日本なんですね。
2番目は900年に建国されたデンマーク、
3番目は1066年に建国された英国だそうです。
さて、「建国記念の日」は
紆余曲折を経て今に至っている様です。
始まりは1872年(明治5年) 旧暦1月1日に当たる
1月29日が祝日とされました。
翌年1月、「神武天皇即位日」と名称が変更、
更に同年3月に「紀元節」と、またまた
名称が変わりました。
この時、日本は太陰暦から太陽暦へ
1872年12月をもって変更しています。
1872年(明治5年)12月3日が
新暦明治6年1月1日なんですね。
なんかややこしい・・・
その事に伴ってか紀元節の日付は
1873年(明治6年)の7月に2月11日に改められ、
翌1874年(明治7年)2月11日から適用されます。
ですがですが、この「紀元節」は
1948年(昭和23年)終戦後、GHQにより
廃止の憂き目を見ます。
改めて1966年(昭和41年)に
「建国記念の日」として国民の祝日となり、
翌年(1967年昭和42年)から適用されました。
この2月11日は紀元前660年1月1日を新暦に
当てはめた日のようです。
前述の「天皇即帝位於橿原宮」。
「天皇は橿原の宮において即位なされた。」
この「橿原宮」の調査は明治10年頃から進み
民間からその跡として石碑の建立や
社殿の建築の声が上がるようになりました。
1889年(明治22年)、明治政府は
神社創建を認可しました。
民間の声から神社創建が実現したんですね。
社殿は京都御所の賢所と神嘉殿の2棟を
下げて移築したそうです。
1890年(明治23年)1月に移築が完了。
同年3月、社号を橿原神宮とし
神武天皇が即位された
橿原宮の旧址に創建されました。
大変広い敷地にある橿原神宮。
日本の国はここから始まったんですね。
そうそう、
神社などで「皇紀2682年」といった
年代表記を目にすることがあるかと
思います。これは
日本書紀にある先程の神武天皇即位の年、
紀元前660年から数えた今年の2022年の
事ですね。(660+2022)
最後に。
「建国記念の日」の主旨は
「建国をしのび、国を愛する心を養う。」
だそうです。
「建国記念日」となると
「建国した日を記念する日」といった
意味合いが強いようで、「の」の
存在は重要な様です(^^;)
この記事を書いていましたら
私、日本国旗が欲しくなりました。
小さいのないかぁ・・・
本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛くださいますように。