めのうさとえすこな散歩

神社な日常 知って得する神社のあれこれ ~ 石見銀山に寄り添うようにある 城上神社参拝 編 ~

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みなさまこんにちは。
いつもお読みくださり
ありがとうございます。

読み物を更新しました。
しばしお付き合いください。

 

3月に入り気温が高い日が数日ありましたね。
日本海側は冬は季節風の影響で
どんより曇った日が多いのですが、
久々の晴れ間で、この時季恒例の
稲佐の浜の弁天島の夕景写真を
収めることが出来ました。

2022年3月6日撮影。

2月の末頃から海面に映る夕日の水光の中に
弁天島が入るんですね (^^)b
撮影場所は奉納山の中腹の
「阿国の塔」です。

※稲佐の浜から望む。
山頂にも展望台があり、
稲佐の浜で夕陽をご覧になった事がある方は
こちらからの眺めもオススメですね!

 

さてさて。
もう一本の読み物「古事記と出雲」では

オオクニヌシ編が終わり、
最後はオオクニヌシの和魂(にぎみたま)、
オオモノヌシを祀る神社のご紹介でした。
おかげさまで新章に突入しました。

今回もそうだったのですが、
新章の進行をあれこれ調べている時に
忘れ物に気が付きました・・・
オオモノヌシを祀る神社の紹介です。
という訳で「古事記と出雲」の補足的に
こちらの読み物で紹介してしまいます(^^;)

その神社がこちら。
城上(きがみ)神社。島根県大田市大森町イ1477
ご祭神はオオモノヌシ。

世界遺産の石見銀山近くにある神社です。
御由緒には「平安時代の儀式や制度を記した
「延喜式」にもあり・・」と書かれてますので
10世紀頃にはあった古社の様です。
初め大田市仁摩町「高山」にあり、
そこから現在の社殿の東側にある
「愛宕山」に遷座され、更に1577年に
毛利氏によって現在地に遷座されたようです。
1800年の大火で消失してしまいましたが
1812年に再建され、現在にいたっています。

本殿は春日造。
よく見ると神紋が2つあります。
一つは「亀甲」。

そしてもう一つは桐。

花の数が5-7-5と見えますので「五七の桐」。
豊臣の家紋だそうですね。
私、この辺は全然詳しくないのですが、
こちらの銀山と関係があるのでしょうか?

また、社殿には特徴的な「猪目」があり、
社殿周りを探しながら歩くのも
面白かったですね♫
先程の亀甲紋下の猪目をもう一度。

大きな桃みたいに見える猪目もありました。

また境内でちょっと目を引くのがこちら。
亀石。

亀石の前にある案内を要約すると
「高山」から「愛宕山」へ遷座した時は
亀石は愛宕山へ運ばれたが、
愛宕山から現在地へ遷座した時には、
亀石を運ぶ事を忘れられてしまった。
亀石は『自分の甲は、城上神社の紋所だから、
行かなければ。』と自力で山を下ったが、
自分の重さで山麓の川底に沈んでしまった。
それから、その川側を通ると、川の中から
小豆を研ぐような不思議な音が
聞えてきた。
物好きな人がこの石を引き上げ、
大正時代まで道端に置かれて
小豆石と呼ばれていた。
ある夜、この石が田中某の夢に現れ、
事の次第を打ち明けて、
境内に落ち着くこととなったという。

この亀石は意思を持っているんですね。
「行かねば!」とか思うところが
なんとも可愛く、
重くて
川に沈んでしまう所なんか
失礼ながら笑わずにはいられません。
参拝の際はぜひ会いにいってください。

そしてこの神社の最大の特徴は
自由に拝殿に昇殿が出来、天井には
「鳴き龍」が描かれていることでしょうか?

さらに格間には、当時建設に関与した
銀山や大森町の役人たちの
家紋が描かれています。

「鳴き龍」ですので
拝殿中央で手を叩くと音が反響します。

このからくりは拝殿中央に向かい天井が
微妙に湾曲しているためだそうで、
中央に音が集中する作りなのだとか。
中央からずれると
音は響きません。

石見銀山に観光の際はぜひ
城上神社も参拝なさってください。
そうそう、拝殿に昇殿する際、
履物はつま先を社殿に向けて脱ぎます。
「入船で入る」といいます。
履物は手で揃えたりしません。

これは履物を脱ぐ時、神様にお尻を向けるのは
失礼にあたるという礼儀と、脱いだ履物を
触ることによって手水で清めた手を
穢してしまうといった意味があります。
また、拝殿内で腰を下ろす場合は
あぐらでは無く正座です^^b

 

本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛くださいますように。

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