めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲74 スサノヲの系譜② ~ 2つの三歳社 編 ~

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みなさまこんにちは。
いつもお読みくださり
ありがとうございます。

読み物を更新しました。
しばしお付き合いください。

 

前回は国作りの後に書かれている
スサノヲの御子神の一柱、
オオトシの系譜をご紹介しました。
ここでもう一度その系譜を見てみましょう。

上の枠で囲った神名に共通するのは「年」。
本居宣長は著書「古事記伝」の中で

「年(トシ」)の語源は「田寄(タヨシ)」で
「タヨ」が縮まって「ト」となった。
「田寄」とは「田から寄せられるもの」で
「穀(たなつもの)」を意味する。
「タヨシ」→「トシ」=「穀物」である。
穀物を一回取り収める事を
「一年(ひととせ)」という。
だから「トシ」という名は、「穀物」が元で
「年月」の「トシ」は後に生じたものである。
以上により「この神は「穀物(収穫)」に
大貢献したからこの様に名付けられた。
と解説しています。

つまり
オオトシ自身とその系譜にある「年」の付く
それぞれの神は全て「穀物神」という
性格の名前が付いている事になります。
「大」「御」は尊称、「若」
祖父神「大年神」、伯父神「御年神」が
いらっしゃる事から「若」という。
と前出の古事記伝にあります。更に
「久々年」「久々(クク)
「茎(クキ」)の意味で稲が良く育つ意味と
解説しています。
また「若年」を稲の成長の始まりの意味を
補足しています。

さてさて。
今回はその「年」にまつわる
神社をご紹介します。
まずは出雲大社の境外摂社のこちら。
三歳社(みとせのやしろ) 出雲市大社町杵築東。

出雲大社境内と神楽殿の間の道を
鷺浦へ向かう峠道の途中にあります。
正式には「大穴持御子神社」。

読みは「おおなもち みこの かみやしろ」。
大穴持(オオナモチ)はオオクニシの別名。
その御子神の神社となります。
ご祭神は「コトシロヌシ」
「タカヒメ(シタデルヒメ)」

そして「ミトシ」。
・・・あれ?

社名の「大穴持(オオナモチ)」は
オオクニヌシの別名です。
「御子」という事はオオクニヌシの
御子神の神社という事、と思いきや
「ミトシ」が祀られています。ミトシは
既知の通りオオトシの御子神です。
社殿前の案内板には
「後世、大年神の御子 御年神を合祀し
三歳社と称します。」とあります。
という事はオオクニヌシの御子神の
二柱が当初祀られていた神社なので
「御子神社」の正式名称で、
後ほど合祀されたミトシが「山の神」の
性格を持つことから山中の神社として
「三歳社」と通称呼ばれるのではないかと
個人的に思っています。
なんか混合しちゃいますね(^^;)

穀物神の「年神(としがみ)」は
お正月に家庭にやって来て鏡餅に宿るとか
田植えの時期に山から里に降り、
桜の木に宿るといわれる神です。
前回ご紹介したミトシの親神オオトシは
里にお社があり、既に祀られていることから
山の神としての歳神様としてミトシが
祀られたのかもしれませんね。

 

さて、もう一社「三歳社」をご紹介します。
こちら。

三歳社 出雲市大社町遙堪。

3月7日の「神社な日常」冒頭でご紹介した
K氏と参拝してきたあの山中の神社です。

神社な日常 知って得する神社のあれこれ ~ 日御碕神社 三貴子参り 編 ~ 

大社町が編纂した「大社まちかど百花」には
主祭神は大歳神、御歳神、若歳神の
御三神を祀るといわれ、阿須伎神社の
末社である。
と書かれています。
阿須伎神社 出雲市大社町遙堪1473。

こちらの三歳社は三柱の歳神(年神)を祀るので
「三歳社」と呼ばれるのでしょう。
前出の「大社まちかど百花」には
五穀豊穣を願って、八十八夜に
神主はじめ、農家の人たちの参詣がある。
とあります。
現在も参詣があるかわかりませんが
谷を息を切らして登っていった時にあった
ロープはもしかしたら、神事の際に
神主さんや参詣者が登るためのもの
なのでしょうか?


おっと!
もう一柱「年神」がいらっしゃいましたね。
「久々年神」!!
若年神と兄弟神です。
この年神様を加えて「四歳社」とは
ならなかったのでしょうか?
これは、「造化三神」「三貴子」や
綿津見三神」「宗像三女神」といったように
「三神」のくくりが一般的だから
なのではないかと想像します。
「祓戸四神」といった「四神」のくくりも
もちろんありますが、
日本は「三大〇〇」といったように
「三」のくくりを好むような気がします。
末子神の久々年神は気の毒ですが d(^^;)

 

本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛くださいますように。

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