ライター・夏生さえりが聞く「出雲に伝わる日本神話と、勾玉のお話」。ショートコラムでは、記事には書ききれなかった内容をご紹介します。
【前編】出雲大社は巨大神殿だった…? 縁結びと言われる理由とその歴史は
【後編】出雲は“トレンド発祥の地”?勾玉から紐解く出雲の歴史
話し手:笹生衛先生(國學院大学教授)
聞き手:夏生さえり(フリーライター)
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Q.日本書紀と古事記の違いがよく分かりました。では実際、「日本神話」は民間の人たちによって語り継がれていたのでしょうか?
どの程度、民間で神話が伝承されていたのか詳しいことはわかっていません。しかし、当時のことを記録している「風土記」を読む限り、神話は人々の間にも根付いていたようです。
風土記は、いわゆる「国政調査」です。713年に、当時の天皇の命により全国で聞き取り調査をして作られました。「地名の由来は何か?」「その土地で、どういうものを作っているのか?」「どういう人が住んでいるのか?」「この土地に伝わる昔話はあるか?」など、たくさんの項目を調査したもので、読むと当時の人の暮らしがわかって、とても面白いんですよ。ただ、当時は合わせて60以上の土地で編纂されたはずですが、現在では常陸(ひたち)・出雲(いずも)・播磨(はりま)・肥前(ひぜん)・豊後(ぶんご)のわずか5カ国分しか残っていません。
その風土記を読むと、日本神話は民間でも伝承されていた描写が出てきます。ただし、土地ごとに内容が異なる場合もあったようですね。ヤマトタケルと、その妻オトタチバナヒメの登場する有名な神話を例に説明しましょう。
ヤマトタケルが大荒れしている海を渡ろうとした際、海神の怒りを鎮めるためにオトタチバナヒメが東京湾に身を投げ、ヤマトタケルを救った……という悲劇の神話があります。しかし、このお話は「常陸風土記」では全く違う形で記録されている。なんと、二人は常陸国で落ち合って、そこで勝負をしたというほのぼのした話になっているんです。
オトタチバナヒメは海へ魚捕りに、ヤマトタケルは山に狩猟へ行き、夫のヤマトタケルは一匹も狩ることができなかったが、妻のオトタチバナヒメは100種類以上の魚を獲って帰ってきて、見事、妻の大勝利でした〜……と。全然違うお話になっていますよね。おそらく、その神話を通じて、常陸がいかに海産物が獲れる場所なのか?を伝えたかったのではないかと考えられています。
ということで最初の質問に答えるのならば、日本神話は民間にも伝承されていたが、その話の内容は土地によって異なる、というところでしょうか。
フリーライター、CHOCOLATE.inc プランナー。大学卒業後、出版社に入社。WEB編集者として勤務し、2016年4月にライターとして独立。企画、取材、エッセイ、シナリオ、ショートストーリー等、主に女性向けコンテンツを多く手がける。著書に『今日は、自分を甘やかす』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『揺れる心の真ん中で』(幻冬舎)、他。
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