みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。
最近行った場所がもう、アドレナリンの
放出量がとんでもなかったのです。
いまだに興奮してます(^^;)
今回はその興奮が
冷めないまま書いています。
前回のブログで
スサノヲの鬼退治の神蹟を追いました。
鬼の棲みかの伝承地の一つが
「乙立(おったち)」でした。
乙立には「立久恵峡(たちくえきょう)」
という、奇岩の景勝地があります。
そこが棲みかだったのでしょう。
スサノヲとの繋がりは
そこだけなのですが
中々興味深いところでした。
今回は奇岩の前にある「霊光寺」という
お寺と霊光寺の「奥の院」のご紹介です。
立久恵山霊光寺
今から約1200年前
高野山の学僧浮雲律師がこの地方を行脚の折
河の深洲に毎夜光を放って
呼ぶ声がありました。
近くへ行くと、大きな青甲の亀が
一体の如来を乗せ浮上してきました。
律師はこの如来を天柱峯(てんちゅうほう)
中腹の巌窟に定置されました。
そして、大正8年に霊光寺として
引きつぎ建立されました。
天柱峯の頂上付近に奥の院ががあります。
この奥の院に人は住んでいませんが、
夜中に木魚を叩く音が聞こえるといいます。
それは昔からこの地に住む
天狗の仕業と土地の人々はいうそうです。
(一社)出雲観光協会 出雲観光ガイドHPより転載。
お堂前に立つと擬宝珠(ぎぼし)の上に
岩というか、頂が見えます。
それが説明にあった天柱峯!
目指すはあの中腹にある奥の院です。
この峯は「自然仏」といわれている様です。
屹立する立姿に仏様を見るのでしょう。
と、その前に
どんな仏様がいらっしゃるのかな?
むむむ(゜へ゜;)
「立久恵神社」とあります!
本堂に祀られているのはお釈迦様の様です。
奥の院には「立久恵薬師」。
ですが「立久恵神社」と併記されています。
神仏習合の様相です。
前述の青字の説明には
「大正8年には霊光寺として引き続き建立」
とあり、「飛光寺」として建立されましたが
明治時代初頭に発令された神仏分離令と
廃仏毀釈運動で廃寺寸前までなったとの事。
大正時代に復古したようですね。
という事は意識的に習合したいるのでは?
お堂をよく見ると
柱が鳥居の様に見えます。
というか、ズバリ注連縄がありますね!
鳥居は偶然かもしれませんが、注連縄は
古事記に尻久米縄(しりくめなわ)として
登場していて、神道の流れです。
やはり意識的な習合なのでしょう。
あ、赤い服の紳士は私の友人の三代氏です。
「古事記と出雲」に続き2回めの登場です。
今回の写真は彼の登場率高いです(^^)b
さて、入山します。
本堂左手の鐘楼脇から山へ入っていきます。
枯れ葉で滑る斜面を登り、
削られた様な岩肌を傍らに進み・・・
辿り着きました。奥の院。
立久恵神社です。
薬師如来を祀る神社?
その辺りの理解がちょっと及びません。
背後の岩窟にねじ込むように建っています。
元々はその岩窟に
薬師如来を祀ったのでしょう。
建物は新しいものと推測します。
そして上の方にも岩窟が見えます。
あそこに籠もったのでしょうか?
板壁は元々朱塗りっだたのでは?
朱が剥げた様な雰囲気です。
「権現造り」の様な
外観だったかもしれません。
本来の目的地はここでした。
午後から登る山も決めていましたので
参拝→下山という流れでしたが
右手から更に上へ行けそうでした。
行けるところまで、と更に進みます。
行ってみると独りで籠もるような
岩屋が見つかりました。
石が敷かれ、座禅を組む雰囲気があります。
その座禅の岩窟の先には
先程、社殿の上に見えた岩窟が通じてました。
この辺りは風化が激しく、脆くなっています。
更に登ります。
壁面に打たれた鉄杭を見つけました。
人が入っている証ですね。
何があるか解らないまま、二人は
吸い込まれるように進みます。
やがて、この先は難しいだろうと
判断せざろう得ない場所まで来ました。
「下りましょう。」
私は口ではそう言ったものの
ちょっと気になる物を
見つけてしまいました。
目印のテープです。
三代氏に「ちょっと行ってみます。」と
告げ、そのテープの方向へ登ってみます。
膝まで埋もれる様な枯れ葉の川を登ります。
両脇にそそり立つ岩壁の先に、
上から挟まった様な岩がありました。
この岩をくぐると足元が細くなり
左手には岩壁がありました。
目印のテープの先は道がありません。
行き止まりです。という事は・・・
私は左手の岩壁を登っていきました。
この辺りの岩は脆さは無く、
割としっかりしています。
「しっかりしている」とはいえ
油断は禁物です。
慎重に慎重を上塗りし、辿り着いた場所は
幅1mほどの尾根。
その先に烏帽子を被った神像の様な岩が!
「榛名神社」の御神体を思い出しました。
榛名神社本殿。2017年2月撮影。
三代氏に画像を送ります。
やがて彼も件の岩壁を登って来ました。
送った写真を観て
居ても立っても居られなかったようです。
三代氏の立っている先にはまだ
数mの尾根が続くのですが
幅は20~30センチほど。
修験者はきっとその先で読経したのでは
ないでしょうか?
流石にソコまで行くのは控えました。
名残惜しいですが下ります。
この時、下りる大変さの現実を知ります。
切り立った崖ですので登るときより
更に慎重に下ります。
怪我もなく、なんとか無事に尾根から下へ。
その中の一つには天狗の立像がありました。
鼻が折れてしまっているようです。
さあ、いよいよ下山です。
先に「登山とは全く別物でした。」と
書かせて頂きましたが、下山も
登山のそれとは全く別物でした。
滑るし急峻で、余裕がありませんでした。
結構な時間をかけて下山しました。
体力も気力もかなり消耗して下山。
それもそのはず、昼食も取らず
入山から4時間以上過ぎていました。
ですがどうしてもチェックしたい事が!
上から温泉宿が見えたので
温泉宿から天狗の岩窟が見えるはず!
案内図で天柱峯を探します。
アップにすると明らかに岩と色の違う
シルエットがあります。
鼻の折れた天狗像です!
では、あの尾根、何処だったのでしょう。
GOOGLEで探してみました。
赤丸の場所にいたようです。
そして四角の岩はどうやら・・・
擬宝珠の向こうに見えたあの岩のようです。
あの岩は天柱峯。
私達は天柱峯に登ったのですね(^^;)
直接あの岩塊に立ったわけではありませんが
あの岩塊から伸びる後方の
尾根に居たかと思うと興奮せずには
いられませんでした。
また行くかもしれません。
三代氏は法螺貝を吹きに。
私はあの場所でコーヒーが飲んでみたくて。
お付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛下さいますように。