めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲㊳ 大国主命③ ~ オオクニヌシのお父さん 日御碕神社 編 ~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

前回はスサノヲの四代目の孫、
「オミヅヌ」とその妃神が祀られている
長浜神社を
ご紹介させて頂きました。
お爺さんときたら次はお父さんかなと。

新コスメにまつわる神話や風土の話その32で
海側に立つ鳥居を説明する際、
日御碕神社の神幸神事(みゆきしんじ)を
かい摘んで
ご紹介させて頂きました。

新コスメにまつわる神話や風土の話 その32 
~ 日御碕神社 海側に立つ鳥居の理由 編 ~

神様がお神輿に遷り、鳥居をくぐり
「お旅所」という場所にご神幸されます。

そして経島で斎行される神事を
お旅所から見守ります。

※2019年の神事の様子です。

そのブログには何という神様が
お神輿でご神幸されるのか
書かなかったのですがその神様は
オオクニヌシの父神、
「アメノフキネ」なのです。
(古事記では「アメノフユキヌ」)

この神事は日沉宮からお神輿が
御旅所にご神幸されるのと
2名の神官が経島の祠に出向かれ
祭祀を斎行されるのが同時に進行します。

お神輿のご神幸の時、港前の鳥居の所で
一旦止まられ、鳥居をくぐりません。
このタイミングは神様にググっと近づき
御神威(ごしんい)を戴くチャンスです。

お神輿の下をくぐる皆さん。
そして向こう側からまたくぐって
戻ってきます。


お神輿の下です(^^;)
この中には御神体が!
神様にこれだけ近づける機会って
そうそう無いような気がします。

 

さて、アマテラスが鎮座されている
「日沉宮(ひしずみのみや)」の起源は
オオクニヌシの父神アメノフキネがこの浜に
おいでになった時、経島の上の松の木に光が射し
「吾はこれ日ノ神(アマテラス)なり。
此処に鎮りて
天下の人民を恵まん、
汝速かに吾を祀れ」

とアマテラスの御神託に由来するそうです。

アメノフキネは悦び、そしてかしこまって
直ちに経島の上に大御神を祀った。と
日御碕神社由緒略記にあり、
やがて経島から現在の位置に
遷座されます。

日御碕神社の宮司家の始祖と伝わるのが
オオクニヌシの父神、アメノフキネです。

「近畿・大社会」とおっしゃる
近畿地方に在住する
島根県出雲市大社町の
出身者および
大社町に縁のある方々で
組織された親睦団体の
HPに
詳しい解説がありました。

それによると経島にある神社、
経島神社のご祭神は

アマテラス、アメノフキネ、オオクニヌシ
そしてなぜか勾玉の神様アメノハカルタマ。

日御碕神社の社伝には日沉宮が
経島から遷座されたのが948年。
その後に小祠を建てたのが
かの経島神社とあります。
それ以前は経島を神様が宿る島として祀り
祠やお社は無かったのでしょう。

はて?アメノフキネは経島神社に
いらっしゃるのですがお神輿で
ご神幸される・・・あれ?
あまり深く考えないことにします。

日御碕神社も神在祭を斎行する神社。
出雲大社とほぼ同じ時期に八百万の
神々が集われます。

もう7年位前でしょうか!?
なぜ八百万の神々集まられるのか
日御碕神社のお札所で伺った事があります。
「オオクニシさんの御親神だからね~。」
と言われたのを覚えています。

その時は日本書記に従いスサノヲが
オオクヌシの父神と認識したのですが、
これが古事記ですとアメノフキネが父神。

どちらでしょう?
また神在祭の由来を教えてもらいに
行かなきゃと思っています。

日御碕神社の現在の社殿は
1644年に建立されました。
出雲大社の現在の社殿は「延享のご造営」と
いわれる1744年の建立。
実は日御碕神社の方が100年も古く
建立された社殿なのです。

海側の神社は潮風で損傷が早いそうで
ご修造が大変なのだとか・・・

参拝の際は出雲地方では珍しい
「権現造り」の丹塗りの社殿で
オオクヌシの始祖神、スサノヲ、そして
アメノフキネの
おかげを
戴いてくださればと思います。

日御碕神社はいずれまたご紹介する機会が
有ると思いますので、どうかお楽しみに♪♪

お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。

 

過去のブログはこちら

古事記と出雲㊱ 大国主命① ~ その出生地はどこか?~

古事記と出雲㊲ 大国主命② ~ オオクニヌシのお爺さんお婆さん 長浜神社編 ~

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