めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲㊴ 大国主命④ ~ 稲羽の素兎 白兎神社 編 ~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

 

前回はスサノヲの5代目の孫、
オオクニヌシの父神のアメノフキネが
関わる日御碕神社の神事をご紹介しました。

今回は初めに古事記の
ストーリーを進めて行きます。

スサノヲの八岐大蛇退治が終わり
オオクニヌシのお話になるのですが
冒頭は次の様に書かれています。
ご存知の方は青文字の文章を
飛ばしてくださいますように。

オオクニヌシには沢山の
異母兄弟がいました。
ですが、みんなオオクニヌシに
国を譲り身を引いてしまいました。

それには理由があります。
オオクニヌシの異母兄弟たちは

稲羽のヤガミヒメを娶りたいと思い
一緒に稲羽(現在の鳥取県東部?)へ

出かけて行きました。
異母兄弟たちは
オオクニヌシを
荷物持ちとして
大きな袋を担がせ、
従者として連れていきます。

その途中、氣多(けた)の岬まできた時、
毛がむしられたウサギが伏せていました。
八十神はウサギに「海の潮水を浴び
風があたるよう、山の上に寝ていなさい。」
と言いつけました。

ウサギは八十神に言われた通りにして
寝ていると、浴びた潮水が乾くにつれ
皮膚がひび割れていきました。

痛みに苦しみ泣いていると
八十神の最後についてきた
オオクニヌシがウサギを見て
泣いている訳を聞きました。

ウサギは沖にある島にいて
陸に渡りたいと思っていましたが
その手段がありません。
そこでサメを騙し、「サメの一族と
ウサギの一族、どちらが多いか比べて
数えてみよう。」と持ちかけます。
そして「サメの一族は皆、氣多の岬まで
並べ。私がその背を数えて渡ろう。」と
言います。

サメの背を飛び跳ね、対岸に渡る菟。
そして、もう対岸に下りようとした時に

「お前たちは、私に騙されたのだ!」と
ウサギは言ってしまいます。
言い終わるな否や、サメに捕らえられ
毛を剥がされてしまいました。

それで泣いていると、
先に来た八十神に言われた通りに
していましたところ、肌がことごとく
裂けてしまったのです。

そこでオオクニヌシはウサギに教えます。
真水で体を洗い、蒲の穂を敷き詰め
その上に寝転びなさい。
そうすれば元の肌に戻るだろう!と。

ウサギはオオクニヌシに従い、
元通りになりました。
これが「稲羽の素兎」の話です。
今では「兎神」といわれています。

兎神は「ヤガミヒメは八十神を選ばす
袋を背負った従者ですが、必ず
貴方を選ぶでしょう!」と告げます。

兎神の言う通り、ヤガミヒメは
「皆さんの言うことは聞きません、
オオクニヌシに嫁ぎます。」と宣言します。

と古事記のお話は一旦ここまで。

「沢山の異母兄弟」を古事記では
「八十神(やそがみ)」と表現していますが
「八十」は漠然とした数を表し
「八雲」や「八百万(やおよろず)」の様に
使われ、実数ではありません。
ご存じの方も多いと思います。
「八」より大きい数字「八十」ですので
「大勢」と読める様です。

また、
「兄弟(あにおと)」と書かれていますが
途中「庶兄弟(ままあにおと)」と書かれ
異母兄弟の意味になります。

この場面で物議を醸すのが
「素兎」でしょうか?
本居宣長も著書「古事記伝」の中で
「素」は「裸(あかはだ)」という意味か。
そうであれば「シロ」とは読まないだろう。
と書いています。
加えて、他に読み方があるのか検討が必要。

とも書いていて、なんと読むかは
結論づけてはいないようです。

サメから毛をむしられた時の表現が
「ワニ(サメ)が我を捕らえ、
悉(ことごと)く、我の衣服
(きもの)を剥ぎき。」とあり、
「毛を全てむしった」と解釈できます。
「衣服」を「ころも」とフリガナを
振っている訳もあり、多分にして
着ているもの、「衣服」を剥ぎ取って
「裸」と字を充てているのかなと想像します。

素兎にまつわる神社がこちら。
白兎神社  鳥取県鳥取市白兎603。


※2020年9月撮影。

ご祭神は「白兎神」。
正に古事記にある「兎神」ですね。

神社の立つ場所が「身干山」だそうで
八十神に言われて風にあたっていた場所の
伝承地に社殿があるようです。
本殿は明治の頃の遷座とあり
以前はごみ焼却場の近くにあったと
聞いたことはあるのですが、
場所は定かでないようです。

伝承として、ウサギが体を洗った真水、
その池と伝わるのがこちらの御身洗池。

干ばつが続いても水位が変わらないことから
不増不減の池の別名があるようです。

さらに詳しい考察は
昨年の9月のブログを御覧くださると
いいかもしれません(^^;)

新コスメにまつわる神話や風土の話 その2
~古代出雲は医薬の国だった 稲羽の素兎編~ 

さて、オオクニヌシと素兎の像が
白兎神社と出雲大社にもあります。
同じ様なポーズを取っているんですね。
白兎神社の像がこちら。

そして出雲大社の像がこちら。

石像と銅像の違いの他にも
見た目の年齢が違いますね!
ちょっとアップで。

白兎神社のそれ。

そして出雲大社。

大勢の異母兄弟の荷物持ちの末弟とすれば
前者の方がそれらしいかなと感じます。
みなさんはいかがでしょうか?

 

お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。

 

過去のブログはこちら

古事記と出雲㊱ 大国主命① ~ その出生地はどこか?~

古事記と出雲㊲ 大国主命② ~ オオクニヌシのお爺さんお婆さん 長浜神社編 ~

古事記と出雲㊳ 大国主命③ ~ オオクニヌシのお父さん 日御碕神社 編 ~

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