みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。
明日から8月ですね。
私、毎月1日に続けている習慣があります。
出雲大社さんの参拝なのですが
その前に稲佐の浜で潮(海水)を竹筒に汲み
その潮で大社境内を清めながら感謝の参拝を
させていただいています。
「潮汲み」という民間風習です。
以前、ご紹介もさせて頂きました。
新コスメにまつわる神話や風土の話 その30
~ 潮汲み 出雲大社 編 ~
潮汲みは弁天島のすぐ傍らで行っています。
そして常世国(とこよのくに=神様の
永遠の国)のある海の向こうに
二拝四拍手一拝。
弁天島に鎮座されているお社にも
同じ様に拝礼し、先月一ヶ月の無事の感謝と
今月の無事の祈念をします。
それから出雲大社さんへ向かいます。
この弁天島について
ちょっと書かせて頂きます。
「弁天島」ですので、「弁財(才)天」が
祀られていた島だったわけです。
この弁天島は日本全国にあり、
Wikipediaによりますと
弁天島(べんてんしま、べんてんじま)は
弁天(弁才天)に由来する島名で、
日本には各地に存在する。
インドに起源を持つ弁才天は
財産の神として崇められるのみならず、
水神としての性質を併せ持ち、
海難事故を避けたり、大漁を祈願する
漁師たちの守護神として日本各地の
小島に祀られてきた。
とあり、実に全国34箇所の弁天島が
挙げられています。
南極にもあるようですよ(^^;)
稲佐の浜の弁天島は明治初期までは
弁財天を祀っていましたが
それ以降、トヨタマビコもしくは
トヨタマビメが祀られています。
島の上に鎮座している神社名は
「沖御前神社(おきのごぜんじんじゃ)」。
弁天島のまたの名前「沖御前」が
社名の神社です。
この「沖御前」は文字通り「沖」に
あったことに由来しています。
この浜の近くに
テトラポットが置かれたことや、
港の防波堤が作られたため、
寄せた砂が戻らなくなり、
陸続きになったのだとか。
40年ほど前は現在信号のある交差点が
波打ち際だったという話も聞きました。
その当時、まだ日御碕までの県道が
出来ていなかったそうで、海上交通が
日御碕までの主な交通手段だったそうです。
その時の船着き場が「くじら島」です。
1981年頃の写真。人物背後の島がくじら島。
80年代の様子。
子供会の地引網体験だそうです。
弁天島は「島」ですね(^^;)
楽しそうな雰囲気の伝わる写真ですが、
この島の背後には
離岸流が発生していたと聞きます。
沖に流されてしまった痛ましい事故も
あったそうです。
Wikipediaの説明にもあった様に
「海難事故を避けたり」といった
願いもあったと感じます。
現在はこのくじら島は浜の砂の中に
埋まっています。
※2018年4月撮影。
沖御前神社は旧暦6月15日に例大祭が
斎行されます。今年は7月24日でした。
知人のFacebookより写真をお借りしました。
写真提供:飯塚拓也 氏
この方のFacebookの書き込みには
「昔やぐらを組んで橋を掛けて参拝した」
という方がいらっしゃいました。
もしかしたら弁天島が「島」の時代だったかも
しれませんね。
その方がおっしゃるにはこの祭祀は
「灘祭(なだまつり)」と呼ばれるそうです。
実は弁天島は松江市にもあります。
こちら。
向かって左が「和田津見社」。
こちらはトヨタマヒコ、トヨタマヒメそして
オオワタツミの三柱がいらしゃいます。
向かって右の筑紫社のご祭神は
宗像三女神といわれる海の女神たちです。
弁天さんはこの三女神の
「イチキシマヒメ」という女神に
置き換えられる事がありますが、
美保関では三女神が祀られています。
皆様のお住いのところや旅先で
「弁天島」に出会った時、
弁財天では無く、海の神様や女神が
祀られている事がありましたら、
それは神仏分離を経て
今に至っているのでしょう。
もしかしたら、今も弁財天がいらっしゃる
そんな弁天島もあるかもしれませんね。
いずれにせよ、その島は
海に関わる人達の祈りの場所だったと
感じずにはいられません。
離れた場所からでも構いませんので
拝礼してみてください。
本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛下さいますように。
※2021年1月26日出雲の日ブルーライトアップ。