めのうさとえすこな散歩

神社な日常 知って得する神社のあれこれ ~ 令和3年 熊野大社 神在祭 参列 熊野大社上の宮跡 編 ~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
読みものを更新しました。
しばしお付き合いください。

 

11月5日に伺った朝山神社の、
遥拝所で
申し込んだ御朱印が
先日自宅に届きました。

神在月の文字が見えますね。

 

さてさて。
本日は熊野大社の神在祭の様子を
ご紹介します。

熊野大社のHPによると

当社に伝わる
『宝暦14年 熊野大社并諸末社荒神指出帳』
によると
江戸期の上の宮で旧暦の10月11日に
「神在御神事」旧暦10月26日に

「神等去出之御神事」とあり、
いつのころからか奉仕されなくなり

現在に至っておりますが、
この度古典祭典であります「神在祭」を

復活させご奉仕することとなりました。

とあります。
宝暦14年は西暦1764年。
これが平成25年、2013年に復活しましたので
実に249年ぶりの神在神事だったのですね。

御守所に参列の意志を伝えると、
その場で検温して頂きました。36度3分。
参列の許可を頂き、手指の消毒をして
拝殿に昇殿させて頂きます。
拝殿内に椅子が用意され、
すでに10名ほどの方々が
座っていらっしゃいました。

14時。開祭です。
修祓、お祓いから始まります。

宮司一拝。
参列者も宮司に合わせて一拝します。

祝詞の奏上。
奏上後、神官たちの拝礼です。

この後、三人は伊邪那美神社の前に赴き
祝詞の奏上です。
神社前には「八百万神々奉斎処」とあり
八百万の神々はイザナミの御前で、
縁結びの会議、「神議り(かみはかり)」を
されているようです。

拝殿に戻り、宮司玉串拝礼。
続いて氏子総代、参列者代表と
玉串拝礼を行っていきます。
参列者は代表に倣い、一緒に拝礼します。

締めの宮司一拝。

祭祀が終わり、宮司から挨拶がありました。

この祭祀は元々「上の宮」で
斎行されていた神事だった事など
お話になられ、最後に
「大神様の『おかげ』を頂いて
お帰りください。本日はようこその
お参りでした。」と締められました。

お話にあった「上の宮」ですが、
元々は熊野大社は「上の宮」と
「下の宮」2社からなる神社でした。

明治の末、1906年の事、
明治政府の政策、一町村に神社は一社とする
「神社合祀令」の際に全国にあった
約20万社のうち、7万社ほどが合祀されたり
摂社として遷座したそうです。
政策の通りに合祀していった県もあれば、
そうで無かった県もあるそうで、
地域差が見られるみたいですね。

熊野大社は下の宮に統合され現在に至ります。
上の宮は「熊野大社上の宮跡」として
現在は境内跡の敷地と、お社があった
場所に石碑を残すだけとなっています。
熊野大社の手水舎を背に右手に
400m余りの場所に上の宮跡はあります。
川沿いに道を進むと・・・
社叢(神社の森)が見えてきました。

そして看板。もうすぐです。

着きました。

参道跡です。
境内跡には五本の石碑が残っています。
石段が正中と考えると正面にある
石碑がこちら「伊邪那美神社跡」。

その向かって左に事解男(コトサカオ)神社跡。

右に速玉神社跡。

イザナミを祀る神社に
このコトサカオ、ハヤタマオを
祀る神社が多くあります。
これは日本書紀の異文に由来するようです。

火の神を生んだ火傷が原因で命を落とした
イザナミ。イザナキはその後を追い
黄泉の国へ下ります。
ですがイザナミは変わり果てた姿に。
離縁を決めたイザナキは唾を吐き
その唾から生まれた神がハヤタマオ。
次に掃き払って生まれた神が
コトサカオと日本書紀にあります。

何のことやら・・・と初め思いました。
どうやら唾を吐くということは
約束を強固にする意味があるのだとか。
そしてイザナキ・イザナミの関係を
掃き払った事により、事物を明らかにし
収拾させたという意味があるそうです。

古事記ではイザナミがイザナキを黄泉の国の
入り口まで軍団やイザナミ自身が追い詰め
大岩を挟んで言葉のやり取りがありましたが
日本書紀は男女の感情のもつれを
示唆する様な場面ではなく、間に入る
神に寄って整然と事が運んだようです。

その他にも五所社、八所社跡の石碑。

更に背後にある「三笠山」の途中に
巨石と久米神社跡の石碑があります。

巨石からは水が滴り、鉢に溜まっています。
「妙見水」と呼ばれ、眼病治癒や妊婦さんが
服すと母乳が満たされると説明にありました。

更に登ると山頂には遥拝所があり
天狗山にある熊野大社の元宮、
磐座を遥拝する場所になっています。

毎年5月の第4日曜日の山開きの際、
元宮で祭祀を行っていましたが

ここ数年は行われていません。
2018年の祭祀の一コマがこちら。

斜面の上の方に元宮の磐座があります。

2019年からは遥拝所での祭祀になりました。

2020年、2021年は関係者のみの祭祀となり
ちょっと寂しい気もします。

スミマセン、脱線しました(^^;)
熊野大社の神在祭が独特なのは
縁結びの会議「神議り」とイザナミを敬い
参集される2つの由来が混合されている、
そんな風に感じられずにはいられません。

上の宮跡正中には伊邪那美神社。
また現在の熊野大社本殿の両脇は
本殿から優位置の向かって右には
ご祭神のスサノヲの妻クシナダが、
向かって左にイザナミの社殿がありますが
イザナミの社殿の方が立派で、
優位置の関係になっていません。

上の宮の背後、三笠山の久米神社跡は
イザナミの御陵の様相も感じ取れます。
島根県安来市の「比婆山」にある
神社が「比婆山久米神社」という社名です。
比婆山久米神社 里宮。

比婆山久米神社 奥宮。

比婆山は古事記でイザナミの亡骸を
葬った山と書かれてあります。
三笠山は御陵、つまりイザナミの御霊を
納めた山なのでは??
なんて妄想が馳せます。

本日は熊野大社の神在祭の様子を
ご紹介させて頂きました。

本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛くださいますように。

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