めのうさとえすこな散歩

神社な日常 知って得する神社のあれこれ ~ 令和4年 素鵞社 福杓子祭参列編 ~

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みなさまこんにちは。
いつもお読みくださり
ありがとうございます。

読み物を更新しました。
しばしお付き合いください。

前回は2月25日の道真忌を前に
菅原道真の生誕伝承が残る
菅原天満宮をご紹介しました。

25日は金曜日で午後から休業の日。
帰路の途中もう一度参拝しようと
考えていたのですが、
習慣とは恐ろしいもので
見事にいつもの帰り道を
素直に帰ってしまいました。

気づいたのは冷蔵庫を開け、
汲んできた水のペットボトルを
見つけた時でした /(^^;)
もう参拝に出かける気力は失せてましたので

とりあえずその水でコーヒーを淹れました。

美味しいコーヒーが出来ました。

さてさて。
今回は2月28日、出雲大社の境内摂社
素鵞社の例祭「福杓子祭」参列の様子を
ご紹介させていただきます。

毎年旧暦1月28日に斎行されるこの神事。
昨年は3月11日に斎行されました。
昨年は「復興祈願祭」があり、
例年より遅く開祭されたのを覚えています。

今年はもっと早く始まるかも、と
30分ほど前に素鵞前にスタンバってました。
既に社殿は開扉され、階段前には履物があり
神職の方が昇殿されているようです。

ふと社殿の脇の砂箱に目をやると
見たことのない案内がありました。

「御砂はお納めになりました箱内で
同量をお受け下さい。」とあります。

昨年の神在の期間の最も参拝者が賑わった日、
砂箱が空になった噂を耳にしました。
本来なら持ってきた砂と同量持ち帰れば
無くなることはないのですが、
ご存じない方が交換用の砂を持参せず、
砂箱から砂だけ持ち帰られたのでしょう。

開祭前に準備中の神官からも
「御砂」のお話がありました。
社務所に御砂の問い合わせが多いそうです。
御砂の戴き方や、
御砂をどうすれば良いのか、などなど。

元々は家を建てる際に、稲佐の浜から
取ってきた砂を砂箱に収め、
同量の砂を戴きます。
その砂を土地の東西南北さらに中央に撒き
地鎮をするといった、地元の民間風習が
始まりなんですね。
その際、稲佐の浜から持ってくる砂は
本来、海に入り海底の砂を取り、
乾かした後、素鵞社の砂と交換したそうです。
海に浸かって砂を取るといった行為は
「禊(みそぎ)」なのでしょう。

民間風習ですから、出雲大社は関与しなくても
良いことなのかもしれません。
その対応や、素鵞社の軒下に
砂を入れる人がいて困っていたり、
砂箱を増やして対応されたり、
はたまた最近ではフリマアプリに
出品があったりと大変だなあと思いました。
このフリマアプリに関する事が
神官からあった時は、神前に集まった
参列者から悲鳴にも似た声が上がりました。
心が痛いですね。

脱線しました㎜(_ _;)㎜

 

開祭を前に、三々五々
参列者が増えていきます。

素鵞社前はそれほどスペースがありません。
石段下にも人が増えてきました。
50人以上にはなったでしょう。

出雲大社教の方でしょうか、毎年
玉串拝礼をされる方の姿があったり、
ここ数年は他県から来られたような
大勢のグループの方々の参列も
目に入ってきます。
毎年参列されるその方々から見れば私も、
またカメラ持ってきてるなとか
思われているのかもしれませんが(^^;)

修祓(しゅばつ→お祓い)、斎主一拝、
祝詞奏上と粛々と祭祀が進行していきます。

参列者の代表者の玉串拝礼に合わせて
参列者全員が二拝四拍手一拝で拝礼します。
神事が終わり、社殿から三宝に乗った
御札と福杓子が下ろされました。

斎主からお話があったのですが
今年は私が居た場所と逆の方を向かれて
お話されましたので、残念ながら
聞き取れませんでした。

いよいよ御札の授与です。
皆さん複数戴いていきますね。

御札は「カマドに貼ってください」と
言われます。火難・水難除けの御札です。
また杓子はご飯をよそう
「飯取り(めしとり)」から
「災禍をめしとり幸福を戴き納める。」
に掛けた言霊の縁起物です。

福杓子。

御札。

昨年見つけたのですが、
御札には「透かし」があります。


「素」の墨字に重なり「大」の透かし。

「護」の所に「社」の透かし。
2つ合わせて「 大 社 」と読めます。

昨年は杓子を使うと宣言したのですが
私、ここ一年ご飯を炊いていないんですね。
「めしとる」事がありませんでした(^^;)
まずはご飯炊かなきゃですね。

この御札と福杓子は節分の時には
御守所に並んでました。
拝殿前に大杓子があるうちは
御守所で授与されている様です。

家に帰ったら早速御札を貼ろうかと。
私は上に重ねて貼っていく派です。

この杓子の起源は解らないそうですが
須佐神社の神事をまとめた昭和初期の
記録の中に「杓子祭」の記載があります。
それによると
「旧暦二月一日に執行。参拝者に授与する。
これはその大神(スサノヲ)が国土御経営の折
アシナヅチ、テナヅチ両神が大神の
膳手(かしわで→台所方)を努めた由来に
基づいている。」
(郷土に就いての調査
東須佐村尋常・高等小学校 昭和8年頃。一部意訳。)

私の想像ですが出雲大社の福杓子祭と
祭日も近く
スサノヲに因む事から
同じ起源かも
しれません。
残念ですが、須佐神社の記録にはなぜ
杓子を授与したかの記載はありません。
興味深いですね (^^)b

それにしても寒さの緩んだ
穏やかな日の祭祀でした。

本殿の屋根で日向ぼっこ?する鳩たち♪♪

 

本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛くださいますように。

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