石の音、ときどき日常

新コスメにまつわる神話や風土の話 その11 ~出雲國風土記~

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出雲発 祈りをテーマとした
温泉水×和漢コスメ誕生。

この冬、めのやから新しく誕生する
コスメブランドについて、
今回は古事記、出雲國風土記を通し
出雲國が古代より医療・医術の國だった事を
ご紹介していきたいと思います。

今回は「出雲國風土記」について
一度原点回帰させて
いただきたいと思います。

その11 ~唯一完本といわれる出雲國風土記~

さてさて件の風土記、
何気にサラっと今まで
書いておりましたが
改めて説明させて頂きますね。

今では地方誌の名前に使われたり
している「風土記」。
またNHKさんの番組タイトルで
耳にすることもありますね。

風土記とはいったい何なんでしょう?
簡単に言うと地方の報告書、
地誌といわれますが、その内容は

「国勢調査」といったところでしょうか!?

713年、この年は古事記が編纂された年、
この年に当時の天皇から風土記の編纂の
勅命が出されます。

地方の状況を正式文書で報告しなさい!
みたいな感じの勅命です。
報告の内容は5つ。
①郡や郷の名前。
②産物(鉱産物や農産物や動植物)。
③土地の肥沃の状態。
④地名の起源。
⑤古老が今に伝えていること。
などです。

特に①は「好字(こうじ)」を使い
二字で表現するようにという
「好字二字令」(または好字令)という
勅命も出ました。
好字とは「良い字」や
「読みやすい字」といった
解釈がされているようです。

当時の日本は律令制度を整備し、
その律令に基づき国を
治めようとしていくわけですが
そのためには各国の事情を知る必要が
あったわけですね。

古事記で日本の歴史を明確にし
日本書紀で国を統一した

天皇の正統性を明らかにし
海外にも発信出来るようにした。

そんな風に外堀を埋め
いよいよ日本を一つにまとめようと
したのでしょう。

その当時の国の数は66とも68とも
いわれていますので、
国の数だけ風土記があるはずです。
×

ですが現在残っているのは五カ国(゜゜;)
出雲国常陸国播磨国肥前国豊後国
五大風土記と呼ばれています。
この当時の風土記を
「古風土記」と分けて呼ぶようです。

これらは全て「写本」で
原本が残っているものは無いそうです。
そしてこの中でもほぼ完本で
残っているのが「出雲國風土記」なのです。

他の四つの風土記は一部分のみだったり
他の書物に抜粋されていたものから
風土記の記述だと解った様
なんですね。

何故残らなかったのでしょう?
一説には、前出の五項目を国に報告すると
地元の特産が国に
奪われてしまうのではないか?なんて
風土記の提出に賛同した国ばかりでは
無かったのではないか、ですとか
そもそも提出して無い国があるのでは?
なんて説もあるそうですね。
しかし60カ国以上の風土記が
現存しないのは謎です。

逆になぜ出雲國風土記は残ったのでしょう?
これは私の私見ですが、

出雲國風土記が持つ、その文学性と
さらに武士のこの時代の風習が重なったのが
その理由の一つかと思います。

江戸時代には武士の嗜みとして
書物を写し神社に寄進する、
何て事があったようです。

事実、日御碕神社に残る出雲國風土記は
尾張藩主・徳川義直が寄進したもので
「日御碕神社本」と呼ばれています。
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※日本遺産 日が沈む聖地出雲HPより引用

出雲國風土記は武士の目にも止まり
写してみようと思わせる
何かがあったのでしょうね(^^)

そして国への報告書なのですが
その冒頭「意宇郡(おうぐん)」の
地名由来は神話から始まります。
なんと大胆な報告書 !!(゜_゜;)

この冒頭は擬音の面白さや
この地に基づく神話など
古事記や日本書紀にも無い
オリジナリティがあり、
読む人を引き込む力があったのでは
無いかと感じます。

では出雲國風土記の冒頭を
ちょこっと。

出雲の国を作った神様が
改めて国を見直すと
狭く作ってしまったので
国を縫い足さなければと
国の余りを見つけ

4回土地を引いて、繋ぎ合わせる
といった、通称「国引き神話」と呼ばれる
何とも壮大なお話から始まります。
現代語訳にしてみますね。

(国を作られた神様は)
国の余りが無いかと

新羅(しらぎ→朝鮮半島)の岬を見渡すと
余りがあったと仰って
幅の広い鋤(すき)で
大きな魚のエラを突くように
土地を断ち切り、切り離し
三つ撚りの丈夫な綱を掛け
霜枯れた蔦(つた)を
くるやくるやとたぐるように
川船をもそろもそろと川上に引くように
国よ来い国よ来いと引き寄せ
縫い付けた国は許豆(こず)の地溝より
西の方、杵築の国。
繋ぎ止めたる杭は石見と出雲の境の
佐比売山(現在の三瓶山)。
引き寄せたる綱は薗の長浜。

こんな風にあと3回、隠岐の島や
能登半島から余った土地を引いてきます。
その3回とも下線の部分を繰り返すんです。
文学的と申し上げたのは
そんなところなんです。

「ほぼ完本」・・・
実は欠落部分があるため「ほぼ」と
いわれています。
これは「島根郡」の項で
書かれている神社の総数に対し
記載されている神社の数が
10社足りないのです。

10社欠落しているため完全では
無いのですね(^^;)

しかし、神社は報告する項目に無いのです。
そんな神社の記載があるところなど

当時の編集者はかなりの気合で
風土記を作っていったようです。

かかった期間は実に20年!
それほどまでに緻密な報告をした理由は
編集者の役職と
その出自にあったかもしれません。

編集の指揮を取った
「出雲臣広嶋」は出雲の国造。
国の祭祀を取り仕切り

国を治めていました。
細やかに風土記を編纂したのは
彼が朝廷から派遣された
官吏だったからという
見方が強いようです。

勅命に素直に従ったのですね

お陰で今ではその当時、
出雲が薬草を主とした
医薬大国であったことや
地名に関わる神話や由来。
そして山中に残る巨石に宿る
神様の名前に至るまで、
現在明らかになっている事の背景には
出雲國風土記という報告書が
関与している為といっても
過言では無いと思います。

今でも出雲國風土記に関わる
神蹟や景色がここ出雲には残っています。
最後にその風景を紹介します。

繋ぎ止めたる杭は石見と出雲の境の
佐比売山(現在の三瓶山)。
引き寄せたる綱は薗の長浜。

古事記で国譲りの場面に登場する稲佐の浜、
そこから南に伸びる海岸線「薗の長浜」です。
この浜が国引きの綱です。
そして湾曲した
海岸線の先に目立つ山は「三瓶山」。
風土記に描かれている「佐比売山」です。
その綱を繋ぎ止めた杭です。

許豆(こず)の地溝。
本文には
「折絶(おりたえ、または 
たえ)」と
書かれています。
4回に分けて国を引いた時の境目です。
拡大してみます。

山が途切れ平らな土地になっています。
こういった地形が島根半島には
3ヶ所あります。
引いてきた4つの国の
つなぎ目というわけです。
その中で一番わかり易いのが写真の
「許豆の折絶(こずのおりたえ)」です。

そしてこの事に関連するのが
その付近の地名です。
出雲市国富町。

「国富」は好字が充てられたのかも
しれません、もともとは「国留」。
引いてきた国が離れたり
流されたりしない様に付いた地名です。
その元となったのがこちら。

民家の敷地に鳥居があります。
この囲いの中に石が並んでいます。

御幣と並んでいる石。
これは「要石」と呼ばれ
引いてきた国と国を
繋ぎ止めている「杭」と
いわれています。

実は古地図に要石の場所がいくつか
描かれている物があるのですが
こちらの要石以外は見つかって
いないようです。

頂いた古地図のコピーなので
書き込みがあるのですが
4ヶ所に要石が確認できます。

また御幣の前にある石は
地すべりが起きたときや
新築の時にこちらから
持ち帰り祀るといった
民間信仰があるそうです。

国を引いて国土を広げた神様は
最後に「おえ(終わった」と叫び
持っていた杖を地面に突き刺します。
「おえ」が転じて「意宇(おう)」の
地名由来と出雲国風土記には
書かれています。
その伝承の場所がこちら。

「意宇の杜」。
神様が突き刺した場所に木が生え
森になったと伝承がある場所です。

今でもこの場所は10月1日祭祀が行われ
その時の御幣が刺されたままでした。

現在はタブの木、エノキ、ヤマモモの木が
群生しています。

風土記の時代から伝わる伝承と
今尚受け繋がれている祭祀。
そのお陰で伺い知れる
当時の伝承やその面影。
ここ出雲は往古の時間が
今でも動き続けている場所なのですね。


今回は
出雲國風土記について
ご紹介させていただきました。
本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。

ではまたの機会に。

 

 

新ブランドについて◆

出雲の人は雨が降れば土地を清め、
風が吹けば厄を吹き払うといって
目には見えない存在を身近に感じ
大切にしています。

遠い昔から人々の生活と共にあった
出雲の薬草。
遠い昔からやさしく、
柔らかく湧き続けている玉造の温泉。

この土地の人たちは自然に感謝し、
生があることへの感謝を静かに宣って
繋いできました。

一日の終わりに、
自分の中のささやかな儀式のように、
明日に祈るように。

「リセット、癒し、整える」ことで
健やかに明日を迎えるためのプロダクトです。

 

◆おなじ風土のもとに織りなす文化が共鳴し循環することを目指して◆

化粧品は温泉水と自然由来の成分から製造。
出雲地方で生まれた文化が造り手と共に共鳴し
循環していくことを目指しています。

主成分は島根県産の真菰(まこも)、
やまもも、塩、そして日本古来の御守り
「勾玉」を継承している
めのや本店から湧き出ている玉造温泉水。

真菰はしめ縄や神事にも使われ、
「神が宿る草」と呼ばれており、
やまももはイザナミイザナギの
黄泉の国のくだりに登場。
神の名前を持つ果物と呼ばれていました。

いずれも出雲風土記に登場する薬草です。
古代出雲は医薬の国とも
いわれていたことからも、
古来より出雲の人にとって
薬草は身近な存在でした。

日本古来より伝わる薬草と
洗い浄めるという文化。
気持ちをリセットし、
心身を癒しながら
みずみずしい肌へと導きます。

この冬の発売を
どうぞ楽しみにお待ちください。

 

 

新コスメにまつわる神話や風土の過去のブログは下記から

新コスメにまつわる神話や風土の話 その1  ~ 玉造温泉 ~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その2  ~古代出雲は医薬の国だった 稲羽の素兎編~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その3  ~古代出雲は医薬の国だった ヤガミヒメ編~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その4   ~古代出雲は医薬の国だった 大国主の蘇生編①~

新コスメにまつわる神話や風土の話その5   ~古代出雲は医薬の国だった 大国主の蘇生編②~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その6 ~伝説の医者がモデル?スクナヒコナ編~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その7 ~ちっちゃな神様の足跡を追う スクナヒコナ編②~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その8 ~ちっちゃな神様の足跡を追う スクナヒコナ編③~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その9 ~ちっちゃな神様の足跡を追う スクナヒコナ編④~

 

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