めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲⑮ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その3 伝承地「八頭」~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

 

12月に入りました( ̄へ ̄)
ですが本日12月4日は
旧暦の10月20日なんですね。
実は旧暦の神在月の下旬です。

旧暦」とわざわざ書きましたのは
出雲市を中心とするいくつかの神社は
旧暦に従って神在祭を行います。

現在八百万の神々が
参集されていらっしゃる神社は
熊野大社、万九千神社この2社が
旧暦で神在祭を行う神社。

そして新暦で行う
売豆紀神社、合わせて三社ですね。
売豆紀神社は9日に
万九千神社と熊野大社は10日に
神送りをされます。

期間中にご参拝の
タイミングがありましたら
八百万の神様へのご挨拶を
お忘れなく♪♪

 

さてさて。
ヤマタノオロチ編その3です。
前回のその2ではオロチの正体に
まつわる2つの説をご紹介しました。

今回は「その1」に続き
オロチの棲みか、またスサノヲの
后神となるクシナダヒメの両親の
住んでいた場所など
まだあるオロチ伝承をご紹介します。

 

八岐大蛇伝承地奥出雲八頭編

奥出雲町佐白には「八頭(やと)」と
という地名があります。
もうピンときますね!
その名の通り八つの頭で「八頭」。
八岐大蛇の伝承が残る場所です。

ネットで調べると
この近くにある「奥出雲多根自然博物館」の
「やすさん」という方がヒットしました。
伝承地をご存知の方のようです。

まずはその博物館を訪ねます。
入館料を払い、駆け足で博物館を見学。
ただ話を聞くだけじゃ失礼ですもんね。
事務所で滝の話を伺います。

・・・ご存知の方がいません(T_T)
やすさんはいらっしゃらなかった様です。

こうなれば自力で!
頂いたパンフレットや
ネットの情報を頼りに行ってみます。

まずは元八重垣神社跡。

この場所には以前八重垣神社がありました。
明治時代に政府が施行した
「一村一社制」により
神社を統合してしまったのです。

現在は近くの伊賀武神社の
境内に遷座されています。

非常に美しい作りの社殿です。
先程の神社跡の石碑の石垣と
こちらの社殿が乗っている石垣は
同じサイズだそうです。
そのまま移築したのですね。

写真は奥出雲を巡る
バスツアーに参加した時のもので
社殿は開扉されていました。
ガラスケースに置かれているのは
先代の御神体だそうです。

先にも書いたとおり
この敷地は伊賀武神社の境内。
「その2」でご紹介した伊賀多氣神社とは
読みが一緒ですが違う場所にあります。

お気づきの方もいらっしゃると思います。
「八重垣神社」。
松江市の八重垣神社は
明治以降、社名を変えたのですね。

旧八重垣神社跡の付近には
スサノヲの后神、
クシナダにまつわる神蹟が残っています。

鏡が池。

クシナダがこの池を水鏡にして
髪を櫛で整えたと伝わる池です。また
ヤマタノオロチを酔わせた毒酒を作った水は
この池の水を使ったのだとか。
毒酒とは「体に毒」の毒と同じで
飲むと体に障る事の意味です。

実際に昭和の初期まで、この水は
酒造に使われていたのだそうです。

元結掛けの松。

旧八重垣神社跡の入り口の目印のように
県道脇にあります。

神話の時代の女性の髪型は
現在の巫女さんの様に
一つ結だったみたいです。
その髪を束ねる「元結(もとゆい)」を
この松に掛け、髪を束ねたと
伝わる松で、折れては生え変わり
現在は7代か8代目だとか。

その先にクシナダの両親、
アシナヅチ、テナヅチが住んでいたと
伝わる「長者屋敷跡」。

両親は「長者」と呼ばれていたようです。

ここまでは解りやすい場所にあります。
さあ、お目当ての八頭坂または
八頭峠と呼ばれる旧道、
そして滝と池を探します。

県道が出来る前は峠道で
旧八重垣神社跡の脇・・・
というとここでしょう!

この日は雨。
傘を携え、足元を防水の
トレッキングシューズに履き替え
道らしきところを登って行きます。
なんとなく道らしいので
それらしいと検討をつけて
登って行きました。

最初は道っぽい感じでしたが
進むにつれそうは言い難くなって行きます。

クマザサです(T_T)
足に触れるクマザサが膝から上を
どんどん濡らしていきます。
気にしていられません、進みます。
多分これが八頭坂。
クマザサが生い茂ってはいますが
道としての踏み固められた地面の
感触が今でもあります。

やがて水の流れを見つけました。
という事はこの先に滝の可能性が!

水量は少ないとありましたので
チョロチョロの流れですが
登っていきます。

・・・あれ?
流れは見えなくなりやがて消滅。
結局滝は見つからず。
ネットで見つけた滝の写真がこちら。

※島根の滝(宝)探し
奥出雲町の滝 八頭滝より引用。

ちゃんとした滝ですね(^^;)
先程の谷川は水量が少なすぎる様でした。

滝は見つけられそうに無い雰囲気・・・
しかし次の目的地があります。
そちらは諦めずに登っていきます。

それは「波越峠」という峠。
池ノ谷に棲むオロチが暴れた時
池の水があふれ峠を超えたという
伝承から名付けられたのだとか。

峠ということはこの辺の山の
尾根の高い所か、または道らしき所を進み
やがて下る所がそうかもしれません。

道なき道を進むとやがて伐採され
開けた場所に出ました。

雨が止み、彼方に虹が出ています。

池が今でも残るか
GoogleのMAPで付近を調べますが
池らしき所は無いようです。

とりあえずここを波越峠と
確定出来るものは探せず
辺りを散策します。

(。。;)!!むむむっ!

巨石があります。

高さ4mくらいあります。

オロチ伝承の土地に
これだけ目立つ巨石が
名も無く屹立しているものでしょうか?

もしかしてこれは峠を越えようとした
波ではないでしょうか!?
滝が見つからなかった
私の悔しさが結びつけた
言い訳かもしれませんが(^^;)

この巨石に何かしら
伝承を付けるとしたら・・・
そんな妄想に取りつかれ
しばらくここから離れられませんでした。

ん?
谷に水たまり?

下りてみます。

干上がったのか、流れはありませんが
滝らしき流れ口が先にあります。

水量があればもっと大きな水溜りで
あったのではないでしょうか?

その上に巨石。そして峠らしき尾根。
確証は持てませんがいつかこの写真を携え
多根自然博物館のやすさんを訪ねねば!
心に誓う私なのでした。

この後、近道をしようと
県道へ向かったのですが
途中谷に滑ってしまい這い上がることが
出来なくなったのは内緒です。
泣きたくなりました。(T_T)

・・・谷?
川が流れてます。
這い上がることはあっさり諦め

川を下りますしばらく下ると滝が!!

前出の島根の滝探しの写真と比べてみます。


・・・やっぱり違いますね。

この後、無事に県道に出ました。
下半身は泥だらけ。
でもまた山に入らなきゃ!
滝を見つけるまでは!!
懲りずに心に誓う私なのでした。

そして帰り道。
県道のトンネル近くに伝承地が。

「樋ノ谷」。
道路を横切る川、
この川が流れる谷のことでしょう。

石碑もあります。

今でこそ「樋ノ谷」と
字が充てられていますが
伝承に従い字を充てると「火の谷」。
スサノヲに切り刻まれたオロチは
火を吐き散らしながら
もだえたのだそうです。
この場所はオロチ退治の
場所なのです。

後ろ髪を引かれながら
次の目的地に急ぐ私。
近道をして道に出ようとした訳は
美保神社の境外摂社の
例祭に
参列するためでした。
泥だらけで不調法と思いながらも
しっかり参列して来ました(笑)


今回は雲南市の他にも
ヤマタノオロチ伝承が残る場所、
「八頭」をご紹介しました。

滝と池は見つけ次第ご紹介させて頂きます。
ドタバタな内容のブログでしたが
ご笑読くだされば幸いです。

お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛下さいますように。

 

過去のブログは下記からどうぞ。

古事記と出雲① ~黄泉の国譚 比婆山その1~

古事記と出雲② ~黄泉の国譚 比婆山その2~

古事記と出雲③ ~黄泉の國譚 黄泉比良坂~

古事記と出雲④ ~黄泉の國譚 黄泉の穴~

古事記と出雲⑤ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その1~

古事記と出雲⑥ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その2~

古事記と出雲⑦ ~禊と三貴子の誕生 その1~

古事記と出雲⑧ ~禊と三貴子の誕生 その2~

古事記と出雲⑨ ~天岩戸隠れ アマテラスとスサノヲの誓約(うけい)~

古事記と出雲⑩ ~天の岩戸隠れ スサノヲの追放~

古事記と出雲⑪ ~天の岩戸隠れ スサノヲの追放 三種の神器~

古事記と出雲⑫ ~スサノヲの降臨 追放されたスサノヲ~

古事記と出雲⑬ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その1 箸拾いの地~

古事記と出雲⑭ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その2 ヤマタノオロチとは?

 

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