めのうさとえすこな散歩

神社な日常 知って得する神社のあれこれ ~ 美保神社 境外末社巡り編 ~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。


毎週水曜日に投稿させて頂いているブログ、
「新コスメにまつわる神話や風土の話」に

「築地松」の事を書かせて頂きました。
1月13日の回です。

その17 ~築地松のある風景~

偶然にも「荒神谷博物館」で
築地松の写真展示を予定しているそうで
写真出しませんか?と
声をかけて頂きましたので
ちょっと張り切って写真撮ったりしてました。

先日、休みというのに
朝早くに目が覚めてしまいました。
歳ですかね(^^;)
外を見たら快晴でしたので
そそくさと身支度を済ませ
写真を撮りに♪♪ 築地松と
朝日のコラボを撮りたかったのです。

夜明け前ですから「題名は『未明』だな!」
なんてほくそ笑んでいますと、なんと
カメラのSDカードを忘れるといった失態!

日の出は迫ってましたので今更用意も出来ず
首からデジカメ一眼をぶら下げ

携帯で写真を撮るといった
マヌケなカメラマンでした(笑)

写真ですか?
こちらです(^^;)
携帯のカメラ機能って進化してますね!

この写真はサイズが携帯設定の
横長サイズでしたのでボツにしたのですが
日が昇る前は数枚しか撮れてなかったので
ここでお披露目させてください(^^;)
私事で失礼しまし
たmm(_ _)mm


さてさて。

前回のブログ「神社な日常」で
美保神社の「七日ゑびす祭」を
紹介させて頂きました。
今回も引き続き美保神社を
ご紹介させていただきます。

今回は観光協会美保関支部の職員の方から
案内して頂いた情報も含めて
境外の末社巡りをご紹介します。

さて美保神社ですが
「両参り」って言葉をご存知でしょうか?

島根半島の東西の端っこには
西に出雲大社、東に美保神社があり
御祭神のオオクニヌシとコトシロヌシは
「大黒さん」、「ゑびすさん」と呼ばれ
しかも親子の神様なわけです。
この二柱の神様の参拝は「両参り」と
呼ばれています。
対して一方だけだと「片参り」なんて
呼んでるそうですね。

コトシロヌシは御親のオオクニヌシが
最も信頼を寄せている御子神。
古事記登場の地も多い土地です。

前回ご紹介したように
地元の皆さんの結束も固く
神事に対する姿勢は目を見張る様な
直向きさを感じます。

そして割と距離の近い場所に摂社末社が
存在していて、巡拝は決して楽ではありませんが
ぜひ巡ってほしいオススメの場所なのです。

では、早速鳥居の所から。

鳥居の所でまず目につくのが「恵美須社」。

エビス社は他にもあることから
こちらは「浜恵美須」と呼ばれています。
その昔は現在より海面が高かったようで
お社は湾にもっと近かったようですね。

美保神社の境外末社は順次
遷宮され真新しく清々しいですね!
「常若(とこわか)」といわれ
新しくすることで、神様のご神威が
よみがえるのだそうです。

こちらの恵美須社
コトシロヌシが祀られているのですが

御本殿にもいらっしゃるのになぜ?って
思いますよね(^^;)
元々コトシロヌシはこちらに
いらっしゃったそうで

津波などで流されると奥に奥に社殿が
移動して建てられ、現在の位置になったそうです。

そして一の鳥居と二の鳥居前から始まる
「青石畳通り」。

緑色凝灰岩が敷き詰められたこの道は
美保関が北前船の寄港だった事に由来します。

船は荷物を下ろすとバランスが崩れるため
港でそのご当地の岩を積んだりしたそうです。
今では「バラスト(バランスストーン)」と
言われています。

美保関が最終地の船はその必要も無くなり
積んだ石を置いて帰港されたのだそうです。
その石を敷き詰めたのが始まりでした。
ですが、量が足りなく
同じ質の石を探したところ美保関町の北西
「雲津」という所で
見つかり
「森山石」と呼ばれるそうです。

現在の貨物船は海水をタンクに出し入れし
石を積むことは無いそうですが
名称は「バラスト」と変わって無いそうです。

老舗旅館の裏口やお店があり、
ゆっくりの散策がオススメです。

しばらくすると交差点があり
そちらにも恵美須社があります。

この辺りは市が立ったそうで
「市恵美須」と呼ばれています。

歩いていて気づかれるでしょうか?
通りにはマンホールの蓋が点在しています。
北前船の時代にはマンホールはありませんので
現代になってから下水道が敷かれたようです。

マンホールはエビスさんの必須アイテム?の
鯛やご当地
美保関灯台、
当時の関所にあった五本松をモチーフに
松などがデザインされています。

下水道工事の際、
全ての石畳にナンバーを付けて
剥がし、
施工後同じ様に敷き直したのだとか!

景観保護のために苦労されたようです。

更に進むと青石畳は終わります。
その先から住宅ゾーンになっていきます。

此処から先の美保関らしい景観がこちら。

軒の下に通された垂木が乗っている
「出桁(でげた)」と呼ばれる
支え。
ネットで調べると同じ字を宛てて
「だしげた」と呼ぶ地域があるようです。

微妙にデザインが違い、比べて見て歩くのも
楽しいですね♪

この辺りも古民家が増えてきているそうですが
旅館が買取り、リノベを施し「別館」として
泊まれる家が数件あるそうです。
こちらがそうでした。
大正時代に建てられた家だそうです。

そしてこちらもそうみたいです。

趣がありますね。

では東の方にある末社をご紹介して行きます。

①地主社(じぬししゃ)。

美保神社ではご祭神をコトシロヌシ
もしくは「ミホススミ」と
説明されますが、観光協会の方は

「ミホススミ」と明言されてました。

ミホススミは
出雲国風土記にその神名があり、
この神様がいらっしゃるので
「美保」という、と地名由来の神様で
この地の産土神(うぶすなかみ)、
この土地を守る神様と伝わっています。
「地主」の名前が物語っていますね。

このお社の下にはストーンサークルが
あるそうです。
縄文時代からこの場所は
祈りの場所だったようで、
美保関で最も古い祈りの場所だったようです。
勾玉や土馬が出土していると
観光協会の方からガイドされました。

ちなみに以前の地主社はこんな感じ。

2018年7月撮影。

地主社の近くに石段があります。

登っていくと左手に②天王社があります。
ご祭神はミホツヒメ。

こちらもキレイになりました!
以前の天王社はこちら。

2018年7月撮影。

敷石の向きも変わり社地も柵が作られました。
神様も喜んでいらっしゃるかなと
自然に思えちゃいますね(^^)

ご祭神のミホツヒメは美保神社本殿の
左殿、大御前にいらっしゃる神様。
ミホツヒメも「みほ」を冠する神様です。
一説には古事記や日本書紀の、所謂
「記紀神話」が浸透したご時世に
入れ替わったのではないかといわれています。

「天王」って響きが支配者の様にも
思えてしまいますが、「天」はこの女神が
天上の国出産まれたことを表し、「王」は
血筋、尊い神様の血筋を表しているのでは
ないかと想像します。

そして「ミホツヒメ」の名前のは
その手に「稲穂」を携え降臨したという故事が
由来となっているようです。

降臨の地と伝承されるのが
このお社のある山なのだとか。

2018年7月撮影。

①地主社の奥にあるお社が③幸玉社。
コチラはミホツヒメの御陵といわれています。

説明順で地図に①②③④と番号を振りましたが
参拝順としては①③②④がスムースです。

今回の最後④客人社。
ご祭神はオオクニヌシ。

境外社の遷宮で一番最初に行われましたので
他の末社と比べて年数が経っているように
見えちゃいますが海の近くの神社は
経年変化が早いようです。

美保神社の境外末社は13社あります。
今回はそのうちの6社をご紹介しました。
また機会を改めて残りの末社のご紹介を
させて頂きたいと思います。
現在遷宮中の末社もありますしね^^b

美保神社参拝の際は今回の6社は
比較的行きやすいと思います。
ぜひ合わせて参拝がオススメです♪

今回は美保神社の近辺と境外末社の
ご紹介をさせていただきました。

お付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛下さいますように。

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