めのうさとえすこな散歩

神社な日常 知って得する神社のあれこれ ~ スサノヲ上陸の島? 韓島神社 編 ~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

 

「古事記と出雲」で、只今進行中の
オオクニヌシ編。その第一回で
「八千矛山大国主神社」をご紹介した際、
神社のご由緒にオオクニヌシが
『出雲の国より高麗に渡り給い
帰途
当村のつづき邇摩(仁摩)の海、
唐(韓)島に着き給い・・・』
あるのをご紹介しました。この韓島を
今回はピックアップさせて頂きます。

韓島神社。島根県大田市仁摩町宅野。

港の向こうの島にあるこの神社は
船でないと参拝出来ないようで

防波堤から遥拝してきました。
ですので正確には
『韓島(からしま)近くまで』
行ってきました(^^;)


鳥居の向きからして社殿は

高い所にある建物の方でしょう。

「なつかしの石見の国」というHPには
仁摩町宅野の沖およそ
200mに位置しています。

付近には麦島、逢島が並んでいますが、
最も陸に近く大きい島です。
面積は0.5haです。

その名の由来は韓人または
唐人の上陸にちなむと
伝えられています。

島には素盞嗚尊
(すさのおのみこと)を祀る
韓島神社があります。
とあり、ご祭神はスサノヲの様です。

「古事記と出雲」でご紹介した「神島」は
段階的に海岸に近づき上陸した場所と
伝承される神蹟ですが、「韓島」も
シチュエーションが似ている場所です。
上陸伝承比定地ということなのでしょう。
そして「神島」「韓島」の読みは
この地方の方言に充てると両方とも
「かんしま」となり、混同されたとも
考えられますね。

八千矛山大国主神社の由来には
「八千矛山に御鎮座大国主神とて、

出雲の国より高麗の渡り給い帰途
当村のつづき邇摩(仁摩)の海、
唐(韓)島に着き給い、大樹の松に
雨露を凌ぎの由にて、基地を今の
笠松と申し伝え、蒼生尊仰奉りて、
仮に奉遷し候処となすそれより
八千矛山に宮居を定め給う(みこもり穴か)
によって大国と申す由 云々・・・

(拝殿改築記念 八千矛山大国主神社由来より抜粋)
とあり、オオクニヌシが朝鮮半島を

行ったり来たりし、その際の
到着地が韓島と伝えています。

人々が仮に祀った場所が「笠松」、
後に八千矛山にお宮を建てたとあります。
「大国(おおぐに)」の地名由来が
その後説明されています。

古代は八千矛山大国主神社近くまで
入海だったと考えられますので
韓島から内地へ船で
進んだのかもしれません。

オオクニヌシが半島を往来した
という伝承は中々耳にしないですが
スサノヲの伝承と入れ替わった様な
感じもしない訳ではないですね。

個人的に興味深いのは
日本書紀に通じる埴船(はにふね)が

岩となった「岩船」があるようなのです。
この事は「石見神祇史稿」という
地誌にあることが
案内板に記されています。
※画像は「島根観光ナビ」より転載。

案内板にも「景勝地」の文言があり、
海がキレイで心癒される場所でした。
国道9号線周りで石見銀山に行かれた際に
ちょっと寄り道もイイかもしれませんね。

お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。

 

「韓島」が登場するブログはこちら。
古事記と出雲㊱ 大国主命① ~ その出生地はどこか?~

またよく似たシチュエーションの
「神島」が登場するブログはこちら。
古事記と出雲㊻ 大国主命⑪ ~ 救世主 オオヤビコはスサノヲの御子神? ~

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