めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲㊻ 大国主命⑪ ~ 救世主 オオヤビコはスサノヲの御子神? ~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

 

前回は八十神に騙され、またもや
命を落としてしまったオオクニヌシが
母神に見つけられ甦るところまで
話を進めました。
そして母神から木の国の「オオヤビコ」
という神様を頼るようにと言われます。

母神に言われた通り、オオヤビコを訪ねた
オオクニヌシ。ですが八十神たちは追いつき
弓に矢をつがえ、正に射ろうとした時、
オオヤビコは木の根の隙間から
オオクニヌシを逃します。
その時、オオクニヌシに根の国の
スサノヲを頼れと言います。

スサノヲの再登場となるわけですが
今回はこのオオヤビコを取り上げてみます。

さてさて、件のオオヤビコ。
本居宣長は著書「古事記伝」の中で
「イソタケルの神と一つなるべし」つまり
オオヤビコはイソタケルである
と書いています。
その理由を日本書紀の逸話を用いて
説明しています。

古事記では、アマテラスの治める
天の国での傍若無人な振る舞いで

追放されるスサノヲですが、
日本書紀の異文には、御子神のイソタケルと
新羅の国の「ソシモリ」に天降りしたと
書いてあります。
新羅に天降りしたスサノヲは
「ここには居たくない」と土で作った船で
出雲の国へ渡ってきます。
その天降りの際、イソタケルは様々な
種類の木種を持っていたのですが、
新羅には蒔かず、携えたまま日本に来ます。
そして妹神二柱と日本全土に種を蒔き

緑滴る国にしました。
その功績を持ってイソタケルは

「功(いさお)の神」と称えられ、
紀伊国の大神がこの神様だと記されています。
ここから「木の国にいらっしゃる神さま」
オオヤビコ=イソタケルというワケです。

宣長はその他にも出雲と紀伊の国に
同じ社名の神社の存在を挙げています。
これはイソタケルと妹神二柱の女神の
神社で、スサノヲが出雲から紀伊へ
移り住まわせたと解釈している様です。

土の船(埴船→はにふね)が着いた場所は
「鳥上峯(とりかみのみね)」とあり、
これは現在の船通山という山です。

以前、書かせて頂きましたブログに
イソタケルを祀る神社「鬼神神社」や
乗ってきた埴船が岩となった「岩船」の事を
書いております。よろしかったらどうぞ。
~八岐大蛇退治 ちょっと寄り道 五十猛尊~

今回はそのブログの最後の方に書きました
大田市五十猛(いそたけ)の神社や
神蹟をご紹介します。

さて。
大田市五十猛。
そもそも地名が「いそたけ」。
ずばりイソタケルです。

伝承としては前述のスサノヲが
新羅から埴船で出雲へ渡ってきた際の
上陸の地がこの地であることが

地名由来となっているのですが、
奥出雲と同様、スサノヲではなく
イソタケルが主になっている地域です。

その上陸の伝承が残る神蹟があります。
神島。島根県大田市五十猛町。

※和田珍味本店駐車場からの眺望。

大田市役所のHPのよると
大岬(五十猛町大浦地区)の東、
約200mに浮かぶ島で、
大浦の浜からよく見える。
 スサノオノミコトが
新羅国から出雲の国に向かわれる途中、
上陸地点を探すのに船を泊めて、
対岸を観察された場所といわれている。
とあります。

さらに
神上(しんじょう)=五十猛町
 スサノオノミコトが神島から対岸を観察され、
ここなら上陸に適しているとお考えになり、
本土に上陸された浜続きの島。
神島から浜に向かって約400mの地点にある。
とあります。

浜続きの島という事ですので
こちらのことでしょう。

これは聞いた話なのですが
神様がいらっしゃる際、
海から陸に上がることが多い様です。
その時、島を経由するのだとか。
これは、
荒魂(あらみたま→荒ぶる魂)の状態で
神様はいらっしゃったた後、島を経由し

和魂(にぎみたま→穏やかな魂)に
変わるのだとか。

出雲大社の縁結の会議に参集する
八百万の神々は、琴引山に降臨し
神戸川を下り日本海に出て
稲佐の浜に上陸するといわれています。
稲佐の浜には弁天島がありますので
弁天島を経由するのかもしれませんね。

そしてこの地域には「新羅」「イソタケル」
がキーワードの神社が
あります。

まず上陸した浜の近くにあるこちら。
韓神新羅神社(からかみしらぎじんじゃ)。
島根県大田市五十猛町 大浦2719

上陸した神島の南方にあります。
主祭神はスサノヲ。
イソタケルではないのです(^^;)

神島はこんもりした半島の向こうです。

この神社が日本でここだけといわれるのは
社名に「韓神」とある事。境内の由緒には
「日韓関係の深い神社として
注目されている」と書かれています。

イソタケルは別の神社に祀られています。
こちら。五十猛神社(いそたけじんじゃ)。
島根県大田市五十猛町2349-1

こちらの主祭神はイソタケル。
宮山という山に祀られたイソタケルと

妹神二柱を遥拝した神社との
伝承も
あるようです。

スサノヲを祀る先程の新羅神社とは
本殿の造りが違いますね。
新羅神社は大社造りですが、コチラは
流造となっており、何かしらの
意図があるのでしょうか!?

共通点もあり、拝殿の注連縄や
下げられた
シメノコの付け方や、
本殿の建物の
高床の柱に
板屏の囲いを施す様式は
共通の様です。

韓神新羅神社の注連縄。


五十猛神社の注連縄。


シメノコ。
注連縄の形やシメノコに
笠が被せられている様なデザイン、
そしてシメノコの位置は
注連縄の撚り合わせの隙間ではなく
注連縄に直に刺されている様で
二社とも同じです。

シメノコの被せられている笠ですが
以前、大阪の玉造稲荷神社の
資料館で拝見した朝鮮半島の勾玉の
頭を隠すような飾りに似ているような
感じがします。

そしてもう一つの共通点。
韓神新羅神社の本殿の高床の柱の囲い。


五十猛神社の本殿の高床の柱の囲い。
なぜでしょうね、柱の間を板で塞いでいます。
横の梁がちょっと違いますが
ちょっぴり備えられた欄干も共通です。

普段目にする仕様との違いが
どことなく「新羅」と言いたくなるような
そんな違和感がありますね。
『 韓神 』から脳裏に刷り込まれた
私の勝手な観念かもしれませんが(^^;)

今回はオオクニヌシの危機を救った
オオヤビコ=イソタケルにまつわる
神蹟と神社をご紹介しました。

お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。

 

大国主命編 過去のブログはこちら

古事記と出雲㊱ 大国主命① ~ その出生地はどこか?~

古事記と出雲㊲ 大国主命② ~ オオクニヌシのお爺さんお婆さん 長浜神社編 ~

古事記と出雲㊳ 大国主命③ ~ オオクニヌシのお父さん 日御碕神社 編 ~

古事記と出雲㊴ 大国主命④ ~ 稲羽の素兎 白兎神社 編 ~

古事記と出雲㊵ 大国主命⑤ ~ 稲羽の素兎 白兎海岸 編 ~

古事記と出雲㊶ 大国主命⑥ ~ ヤガミヒメの故郷 賣沼神社 編 ~

古事記と出雲㊷ 大国主命⑦ ~ オオクニヌシの受難その1 赤猪岩神社 ~

古事記と出雲㊸ 大国主命⑧ ~ オオクニヌシの受難その2 赤猪石・赤猪神社跡(元宮) ~

古事記と出雲㊹ 大国主命⑨ ~ オオクニヌシの甦り 清水井 清水川神社 ~

古事記と出雲㊺ 大国主命⑩ ~ オオクニヌシの受難その3 大石見神社 編 ~

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