めのうさとえすこな散歩

神社な日常 知って得する神社のあれこれ ~ 令和3年 売豆紀神社 神等去出祭・・・ ~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
読みものを更新しました。
しばしお付き合いください。

まずは冒頭お詫びを㎜(_ _)㎜
前回の読み物の終盤に、
「今年の神在祭も残すところあと一社。」と
書板通り、後一社の売豆紀(めづき)神社に
取材に行く気満々でした。
それはもう意気揚々でした。
前週から
「来週の金曜日は
売豆紀神社の神送り!」と
予定表にもしっかり書き込み、さて金曜日。
充電を済ませたカメラと御朱印帳を
バッグに入れ、さあ、昼休み。
インスタをチェックしてた時気づきました。
売豆紀神社の神送りは木曜日でした・・・

というわけで、令和3年度の神在祭に関わる
神社をコンプリートしようとした
今回の企画は、最後の最後で頓挫するという
結末になってしまいました・・・
申し訳ありません(T_T) 

誠に恐縮ですが、
昨年の令和2年の神等去出神事の読み物を
貼っておきますのでよかったらぜひ!

神社な日常 知って得する神社のあれこれ
売豆紀神社 神等去出祭 編

さてさて。
昨年の売豆紀神社の読み物ですが
かなり渾身の読み物でした(^^)b
(自画自賛です。)
我ながら補足のしようもない感じ。
猫のエピソードなんて、リポートする上で
この上無いありがたい出来事でした(^^;)

というわけで、今回は神在祭の由来を
再度、考察して見たいと思います。

神在祭の由来といえば
出雲大社に代表される「神議り」、そして
佐太神社に代表される「母神の孝行」と
この2つが代表でしょうか。
更にこの2社に関わるように参集される
そんな由来の神社がそれぞれあります。

出雲大社に参集される前に立ち寄られる
朝山神社。そして
その後に「直会」行う万九千神社。
この「直会」は「打ち上げ」的な

意味合いを持つ宴会の事です。

片や母神イザナミが亡くなった10月に
母神を敬い参集されるという由来の
佐太神社に関わる神社があります。
佐太神社に行かれる前に
まずは立ち寄られる神魂神社。
神魂神社から佐太神社に向かわれ、その後
立ち寄られる多賀神社と売豆紀神社。
多賀神社はスサノヲがサルタヒコに
船を出させ、エビス神に釣りをさせ
その様子を眺めるといった、いわば
レクリエーション的なセレモニーの後に
神々は地元に帰られると伝わっています。

売豆紀神社は美麗のご祭神の元へ
佐太神社をお立ちになった後に
参集されると伝わっています。

そしてこの「神議り」と「母神の孝行」を
合わせた様な由来を持つと個人的に思うのは
熊野大社です。

熊野大社も参集された神々は「神議り」を
行われると伝わっていますが、
八百万の神々が集まられるのが
イザナミのお社です。
出雲大社系には「神議り」に母神イザナミは
関わっていないようですが、熊野大社は
ちょっと違うようですね。

由来にはまだまだ諸説があり、
出雲古代歴史博物館のHPにはその諸説の中の
一説として「出雲大社祭神10月統治説」
といった説が書かれています。

その説は
 様々な理由から、1年のうち10月だけは、
アマテラスではなく、出雲大社祭神が
日本を統治しているので、
出雲大社に集うとするものです。
なお、この考え方は中世に
行われていたようですので、
出雲大社祭神とはスサノヲのことだと
考えられます。
(2 なぜ神々は出雲に集うとされているのですか。より抜粋)

と書かれています。
その事に基づくかのように
出雲大社に集まられた八百万の神々が
神議りを行う「上の宮」のご祭神は
「スサノヲ」と「八百萬神」。

オオクニヌシではないのが
ちょっと不思議ですが、出雲大社のご祭神が
スサノヲだすると、繋がる感じでがします。

また神在祭が五穀豊穣の感謝祭である、
「新嘗祭」に関係するという説も
この事は私、まだ勉強不足で、しっかりした
説の裏付けが解った時に書かせて頂こうかと
考えております。

一ヶ月以上に渡りご紹介して参りました
神在神社の祭祀やその様子の読み物。
次回、頂いた御朱印や御札について
書かせて頂きたいと思っております。

 

本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛くださいますように。

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