めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲75 スサノヲの系譜③ ~ 鬼村の鬼岩 大屋町 大年神社 編 ~

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みなさまこんにちは。
いつもお読みくださり
ありがとうございます。

読み物を更新しました。
しばしお付き合いください。

 

さてさて。
前回は出雲市大社町にある
「大穴持御子神社(三歳社)」と「三歳社」を
ご紹介しました。

今回は出雲市の西隣、大田市大屋町にある
大年神社とその地域にまつわる伝承や
巨石をご紹介します。
何やら盛り沢山の雰囲気ですね。
ええ、盛り沢山です(^^;)

まずは大年神社。
島根県大田市大屋町鬼村681

「神社検索(島根)」によると
ご祀神は「大年幸魂大神」とあります。
「オオトシ サキミタマ オオカミ」。
オオトシの穏やかな魂の一面が
祀られている様です。
更に、「神社検索(島根)」には
ご由緒が次の様に書かれています。
勧請年月日不詳。社伝によれば、
此里の開祖神にして、地名鬼村といえるは、
鬼郡の意で、禍神や荒振る神の巣窟たりし、
この地を大年の神が平定せられて、
開化の里となしたまうたと伝える。
境内外地にあった抓津姫命①も合祀してあり
同地区に大屋姫命②の神社もあり
出雲系神社の石東地方における
開拓の拠点とも考えられる。
社領一石。

抓津姫命①(ツマツヒメ)はスサノヲの娘神で
兄神にイソタケル、姉神にオオヤツヒメの
兄妹神で日本書紀に登場します。
日本中を植林して巡り、日本を
緑豊かな国にした功績を持つ兄妹神です。

ご由緒にはこの地域の開祖神とあり、
荒ぶる神(勢力?)、つまり
「鬼」を
平定したとい事でしょうか?
「鬼郡の意」とは集落の広さの単位は

郡>村ですので、広い地域に渡って
荒ぶる勢力が存在したのでしょう。
ご祭神も「大神」と尊称で記されていますので

大きな功績を讃えてのことだと感じます。

また大屋姫命②(オオヤヒメ)は
「神社検索(島根)」にある
大屋姫命神社の御由緒には
大屋姫命は須佐之男命の息女として、
此の地にお住いになり大屋郷と名づけられ、
周辺の造林開拓あらせられ鎮座し給えりと
古老の伝えあり。

とあり、「造林開拓」のワードから推察すると
前出の「オオヤツヒメ(大屋津姫)」と
同一の女神の様です。
祀られている神社がこちら。
大屋姫命神社 大田市大屋町大屋261-1

神社のロケーションからすると
大屋姫命神社の方が地域を見渡す場所に
建立されていて、この土地の地主神としては
神社の立地だけをみれば
オオヤヒメの方が相応しいように思えます。
現在の地名は「大屋町」。
この地を平定し、安けく住みやすい
集落にしたのはオオトシで、
元々この土地の地名由来にもなる
地主神はオオヤヒメという事でしょうか。

話を大年神社に戻します。
大年神社がある大屋町鬼村、
日本で「鬼村」の地名はここだけだそうです。
そしてこの「鬼村」を
象徴するかの様な巨石があります。
こちら。「鬼岩」。

※2022年3月撮影。

高さは約15m、幅の広い方で15m
狭い方は5mほどで、側面に数個の
穴が並んでいます。
穴の中には仏像が納めらています。

この巨石の手前には案内板や
屋根付きのベンチが設置され
キレイに整備されています。
その屋根付きベンチの中には
「おにむらだより」という鬼村下自治会が
2012年9月に発行した号外(鬼庭伝説特集号)が
額装され掲げてあります。
これによると『鬼の一夜城』と
『落雷で生まれた「鬼岩」』という
2つの伝承が載っています。
要約すると
◇『鬼の一夜城』
近くの山に住む鬼が「城を作らせてくれ」と
村人に話を持ちかけたが断られた。
困った鬼は観音様に相談したところ
「夜明けまで城を造れば許す」といわれ
その気になった鬼は
山の奥から大きな岩を運び出した。
観音様は言ってはみたものの
本当に造られては村人が困るので
夜中に鶏の鳴き真似をして
鬼に夜が明けたと思わせた。
そう信じた鬼は途中で岩を投げ出し
逃げていってしまった。

といった伝承があり、これが元で
地名を「鬼村」、
この岩を「鬼岩」と呼び、
固い岩には
五本の指の跡が
はっきりと付いていると伝わっています。
観音信仰がこの岩と結びついたのか
前後に観音さまや馬頭観音が
いらっしゃる様です。

次に1999年に鬼村出身の方の寄稿が
新聞に載った時の記事の一部です。
◇『落雷で生まれた「鬼岩」』
昔、大嵐があり村外れに雷が落ちた。
その時の天変地異で大きな岩が飛び散り
そのうちの一つは村境にそびえ立つ
巨大な岩で、その他数個は田の中に散乱した。
その岩の上を雷の子どもたちが
飛び跳ね遊んでいた。
その岩は何時の頃からか鬼岩と名付けられた。

確かに、近くには「腰掛け岩」や「誕生岩」と
名前の付いた巨石があります。
田の中に散乱した岩はこちらでしょうか。
腰掛岩。

結構な大きさがあります。
私と比べるとこの大きさ。
手のひらの向こうが鬼岩です。

誕生岩。

誕生岩は雷の子どもたちが
飛び跳ねていた岩で、雷の子どもが
生まれたので「誕生岩」?

私の想像ですが、元々この地の産土神は
オオヤヒメだったのでしょう。
そこに違う勢力が入ってきたのかもしれません。
その理由は製鉄のための砂鉄の
採取だったのではないでしょうか。
その勢力はこの集落の外からやって来て

たたら製鉄を始める。
山や野は荒れていってしまった。その勢力、
つまり「鬼」を平定したのがオオトシ。

やがてたたらはこの地の産業となる。
この地の産業の理由は
鬼岩と大年神社の間にある

墓地で偶然見つけた墓地にある神社です。

こちらの神社の由来は解りませんが
金屋子神は中世以降の信仰の様です。

それ以前からこの地にたたら製鉄が
あったのかもしれません。

この地より海岸線にはスサノヲや
イソタケルが半島から上陸した伝承地
「五十猛(イソタケ)」があるということは
半島から新羅の人たちがやって来た可能性も
あるのではないかと思います。
それを平定したのがオオトシであり
神社に祀られているのでは・・・
私得意の妄想かもしれませんが。

やがて、鬼岩を中心に伝説が生まれ
「鬼と観音さま」や「鬼と雷さま」の話が
出来ていった、そんな想像をしました。

一つ不思議なのは、この鬼村から
さほど遠くない場所にイソタケルを祀る
「五十猛神社」があります。
五十猛神社 大田市五十猛町2349-1

イソタケルは古事記には登場しませんが
オオクニヌシの逸話の中で、
八十神に徹底的に追われるオオクニヌシを
スサノヲの元へ逃した神、「オオヤビコ」と
同一神との説もあります。

Wikipediaによると
『先代旧事本紀』分注に
「亦云 大屋彦神(オオヤビコノカミ)」とある。
これは、(イソタケルは)
またはオオヤビコの神といわれる」とある。
との事で、それが根拠になっているようです。
もし、大屋姫命神社に「大屋彦」と
「大屋姫」の二神が祀られていたら?
つまり、イソタケルと妹神の二柱は
大屋町界隈に鎮座されていて・・・
または、オオヤビコがオオヤビメに
変わってしまったら・・・

ちょっと話が飛びすぎの様ですので
この辺で止めておきます。
オオトシとイソタケルの妹神が
繋がらず、妄想する私なのでした。
繋げなくていいのかな?

ご紹介した大年神社を撮影中、
氏子の方がいらっしゃいました。
その氏子さんの話によると
鬼がこの土地に住みたいとオオトシに
頼んだ時、一夜で城を建てることができたら
いいだろうと鬼に告げたのですが
本当に建てそうなので、鶏の鳴き真似」で
鬼に朝が来たと思わせ諦めさせた、といった
神楽の演目があるのだそうです。
観音さまの伝承と似た話の神楽のようですね。

 

本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛くださいますように。

 

スサノヲの系譜 の過去ブログはこちら

古事記と出雲73 スサノヲの系譜① ~ オオトシ再登場 編 ~

古事記と出雲74 スサノヲの系譜② ~ 2つの三歳社 編 ~

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