めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲⑧ ~禊と三貴子の誕生 その2~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

 

前回はイザナキ♂の禊で
三貴子が生まれた話と
その候補地が島根にもあるという
お話をさせていただきました。

その島根の候補地で生まれたのは
ツクズミノミコト。
もしかしたらツクヨミか?
という話でしたね。

今回はスサノヲが生まれたと
伝わる場所のご紹介です。

古事記のイザナキ♂の禊で
生まれたというお話と、
全く違う伝承が残っている神社があります。

石上(いしがみ)神社 出雲市塩津町279

境内の由緒には
御祭神 布都御魂命(フツノミタマ)
旧社名 宇美社
旧御祭神 海童(ワダツミ)
出雲国風土記(七三三)に宇美社と
掲載されるのは当社のことである。
と、宣言するように堂々と書かれています。

これはこの神社の社名に変遷があり
その事によってご祭神も変わって行き
社名変更の申請をしたが叶わなかった
ちょっとややこしい歴史がある事を
含んでいるようです。

旧社名、旧祭神から現在の社名、御祭神に
変わってしまった理由の発端は由緒に
よると次の通りです。
要約してみます。

1069年平安時代、津波によって
社殿と民家が流されてしまった。
しばらくして民家が回復してきた頃

ご神体の霊石が海の底に沈んでいるという
神告があり、これを引き上げて
現在地に祀った。

境内は海の直ぐ近くです。

こちらの神社は本殿が無く
拝殿の後ろには玉垣があり、
ご神体が鎮座しています。

御幣といわれるもので
守るように覆われています。

御幣は竹の先に紙垂(しで)という
ギザギザの形の紙が取り付けらています。
この場合はお祓いの意味があります。

緑色のシートの様なもので包まれていて
直接目にすることは叶いませんが
石のご神体だそうです。

このご神体、神様が宿る石(磐座いわくら)
すなわち石神(いしがみ)。これが
→石上(いしがみ)→石上(いそのかみ)
と変遷し奈良の石上神宮が連想され
祭神を誤ったと由緒には書いてあります。

奈良の石上神宮のご祭神は
刀剣の神霊で
フツノミタマ。
「フツ」は
刀剣がものを斬る擬音です。

こういった過去があり、
ご祭神が海神ワタツミからフツノミタマへ。

ですが、肝心の旧社名「宇美社」の由来が
見当たりません。
この宇美社の由来が平田町にある宇美神社
由来書に書かれています。
出雲市平田町宮ノ町688−1 宇美神社

由来の前にこちらの宇美神社
前出の石上神社の関係を。

先程の石上神社は風土記の時代、
宇美社と呼ばれていた神社との事です。
そして平田町の宇美神社。こちらは、
熊野三山から勧請した(分霊した)神社で
過去は熊野神社と呼ばれていた様です。

拝殿の中に熊野神社の社額があります。

この地域の七社の神社が一緒になり、
明治5年、宇美神社に改名しています。

平田の宇美神社の社名由来は
ご祭神のフツノミタマが
海からやってきたので
「宇美」なんだとか。
フツノミタマは一般的には
日本書紀の
国譲りの際の
天上界からの使者です。

私としてはワタツミが祀られている時点で
「海(宇美)神社」でいいような
気がするんですがダメでしょうか?

脱線してますね(^^;)
そうです、スサノヲが生まれた場所ですよね!

塩津の石上神社近辺の住民には
「スサノヲは塩津で生まれ、山を越えた唐川で
育った」という伝承が根付いているようです。

宇美はスサノヲが生まれたので「生み」。
また新たな由来が出てきました。
しかし、これも違和感があります。

生まれたので「生み」???
素直に考えれば
生んだので「生み」ではないでしょうか?

福岡にも「宇美八幡宮」という神社があり、
由緒には
神功皇后がこの場所で応神天皇
(八幡神)を生んだので「宇美(生み)」

とあり、生んだ皇后が主に書かれています。
生まれた御子神が由来では無いようです。

原田常治氏の著書「古代日本正史」という
本に書かれていることには、
スサノヲの父の名前は「フツ」、
スサノヲの名前は「フツシ」。
スサノヲの息子ニギハヤヒの名前は
「フル」と
書かれています。

これを塩津の石上神社の由緒に当てはめると
フツノミタマはスサノヲの父神となります。
海から上陸したのは
スサノヲの父というわけです。

これを裏付けるかのように新羅に
次のような伝承があります。
海藻を採っている漁夫が突如現れた岩に乗り
「出雲」と呼ばれる国に流された。

更に身重の妻もその後を追うように
同じ様に岩に乗り流され出雲で再開する。
夫は製鉄と米作を伝え、妻は桑を植え養蚕と
絹を作る技術を伝えた。

流された夫の名はフツ。
そして同じ様に流された身重の妻は
偶然にも出雲で再開、そして出産。
この子がスサノヲということになります。

という事は「生み」の出自は
生んだ立場の親、「フツ」と解釈できます。
「フツヌシ」の信憑性が出てきました。

私のチョイ足しの案ですが、更に発展させ
子神スサノヲ「フツシ」の主(親)の意味の
「フツシヌシ」。
言いにくいので縮まりフツヌシ。

それで石上神社のご祭神が「フツヌシ」。
この考え方ですと素直に入ってきませんか?
ちょっと強引でしょうか(^^;)

実際の所、幕末から明治にかけて
学者や役人がやって来て、
石上神社の古文書や宝物を研究のために
持ち出したそうです。
実は未だ戻って無いそうなんですね。
その古文書等が戻れば何か解ることが
あるのでしょうかね(^^;)

先程、スサノヲは塩津で生まれ
唐川で育ったと書きました。
唐川といえば韓竈神社があります。
出雲市唐川町408


自然石の石段。
参拝の時はスニーカーがオススメです。


最大幅45センチの岩壁の参道。
しかも斜めに傾き足元は
中心が盛り上がっています。
3次元の通り辛さ(^^;)

韓竈神社の鳥居の前を流れる川の所に
「岩船」と呼ばれる巨石があります。

川に下りてみると船の舳先に見えてきます。
先程の新羅の伝承に重なるかの様です。
ただし、この岩船の伝承は乗ってきた船が
岩になったというもので、
元々岩が流れ着いたのでは無いようです。

ちょっと違うようですね。

神社の名前の「韓竈(からかま)」は
半島(韓国→からくに)から伝わった
製鉄炉(竈→かま)と
考えられます。
新羅のフツの伝承と石上神社の伝承、
そして韓竈神社に繋がりが感じられます。

またスサノヲが
新羅から船で渡ってきたという話は
日本書紀の異伝にも書かれています。

書紀には「埴船(はにふね)」、
土で作られた船と
書かれていますので、
岩として残る理屈が素直に納得できます。

スサノヲ由来の岩船は幾つかありますで
いつか特集してみたいと考えています。

古事記の三貴子の誕生とはまた別の
スサノヲの誕生伝説。
いつか石上神社の神宝の所在が解り
新事実が世に出ることを
切に願っている次第です。

本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。

 

過去のブログは下記からどうぞ。

古事記と出雲① ~黄泉の国譚 比婆山その1~

古事記と出雲② ~黄泉の国譚 比婆山その2~

古事記と出雲③ ~黄泉の國譚 黄泉比良坂~

古事記と出雲④ ~黄泉の國譚 黄泉の穴~

古事記と出雲⑤ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その1~

古事記と出雲⑥ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その2~

古事記と出雲⑦ ~禊と三貴子の誕生 その1~

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