めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲⑦ ~禊と三貴子の誕生 その1~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

さて。
前回までは黄泉の国のお話と
出雲や広島、和歌山の伝承地を
ご紹介させていただきました。

今回からはイザナキ♂
禊(みそぎ)の
お話を
進めさせていただきます。

古事記をご存知の方は、
「それって日向(ひゅうが=宮崎)
の神話じゃないの?」と
疑問に思われるかもしれません。

確かにそのとおりです(^^;)
なのですが、ここ出雲地方にも
伝承地があるのですよ!
今回は古事記に囚われず
視野を広げてご紹介したい
と考えております。

まずは古事記のお話の続きを。

黄泉の国の入口を巨石で塞ぎ
イザナミ♀と別れたイザナキ♂

黄泉の国ですっかり穢れてしまい、
禊をしなければならないと言います。

ここで、今までは「イザナキノミコト」と
書かれていたのが「イザナキノオオカミ
(伊邪那伎大神)」とランクアップします。
これから成す大業の
前触れの様な気がします。

さてその禊の場所ですが
古事記には辿り着いた場所は
「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」
(つくし の ひむか の たちばな の
おど の あわきはら)と書いてあります。

この阿波岐原の場所の特定には
諸説ありますが、
海に近い川辺というのが通説の様です。

 

そしてイザナキ♂の持ち物や
脱ぎ捨てた衣服から
十二柱の神々が生まれました。

 

イザナキ♂はまだ禊をしていません。
川の流れを気にしているようです。
「上の瀬の流れは早く、
下の瀬の流れは緩やかだ」と
中程の瀬に入り体をすすぎ、身を清めます。
そして水底に潜り、水面に浮かぶまでの間に
次々に神々を生みます。

最後に
左目を洗いアマテラスを

 

右目を洗いツクヨミを

鼻を洗いスサノヲを生みます。

黄泉の国より戻り、禊によってイザナキ♂
十四柱の神様を生みました。
最後に生まれたアマテラス、ツクヨミ
スサノヲは特別でイザナキ♂は
「生み生みて生みのはてに三貴子
(さんきし、
みばしらのうづびこ)を得た」
と宣言します。

そしてイザナキ♂は喜びながら
自身の首に着けていた
玉飾りをアマテラスに授けます。
その首飾りの玉が触れ合って
音が出る様子が古事記に書かれてます。

そしてアマテラスに
高天原を治めよと命じます。
高天原は神々が住む天上の国です。
ツクヨミには夜の国を、
スサノヲには海原を治めよと命じます。

とまあ、ここまでが黄泉の国から戻った
イザナキ♂のお話です。
この禊が神社参拝の際の
「手水」の起源といわれています。

さて、補足を。
「穢れ(けがれ)」。
「気枯れ」の意味と聞きます。
内面的な汚れの様です。

また、自分自身が直接的に触れたり、
行ったりしなくとも、
穢れた場所に近づいたり

心悪しき人とすれ違ったりでも
穢れをもらって穢れてしまうそうです。

そう考えると、
清廉潔白と思って生活していても
知らないうちに穢れは溜まっちゃう
ようですね。要注意です。

それに対して「禊(みそぎ)」。
「水そそぎ」の略で
穢れを水で洗い清める儀式の事です。
イザナキ♂が水に入ったり
潜ったりした事は
正にそれなわけです。
神社参拝時の手水はその簡易版。
しかし世界遺産の沖ノ島の参拝時には
衣服を全て脱ぎ、海に入り心身を清めます。
イザナキ♂の禊に倣っているのでしょう。

古事記説明の文中に書いた
イザナキ♂の禊の場所の「阿波岐原」。
候補地は諸説あり、
特定出来ないと書きましたが、
一般的に認知されているその候補地は
宮崎の「みそぎ池」ではないでしょうか?
その名も阿波岐原森林公園の中にあります。

公園の中には江田神社があります。
宮崎県宮崎市阿波岐原町産母(やぼ)127

江田神社のご祭神はイザナキ♂
そしてイザナミ♀が合祀されています。

「江田神社」。
社名の由来はなんだろうと
あれこれ考えました。
この池は古事記の時代には
入り江だったのでは!?と

「江多」かなぁですとか。
結論として、前述したイザナキ♂
三貴子を生み終えた後、
「生み生みて生みのはてに三貴子を得た

の発言から「得た」神社
なのかもしれません。

私、この場所に行った時、
禊池と江田神社は事前に
チェックをして行ったのですが

公園内に偶然見つけた神社があります。
みそぎ御殿。

社殿の写真はないのです。
その訳は。

流石にシャッターを押せませんでした。
ご祭神はアマテラス、ツクヨミ、イザナキ、
イザナミ、風の神シナツヒコ、
風の女神シナトベ、食物神トヨウケ、
伊勢神宮の建設地を探して
東奔西走したヤマトヒメ、
そして祓いの女神セオリツヒメという
そうそうたるメンバーが祀られています。
あれ?禊池の近くというのに
スサノヲがいません。
根の国へ行ってしまったからでしょうか?

さて、冒頭にも書きました、
「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」
(つくし の ひむか の たちばな の
おど の あわきはら)」

訳してみますと、
筑紫の国の
朝日の射す
橘の木の青々と生い茂った
海に近い
河口あたりの阿波岐原。

と訳せます。

お気づきになりました?
「日向」を現在の日向、宮崎にも訳せますが
「日に向かう」という修飾として使えば
「日の射す」「朝日の射す」と訳せます。
ですが宮崎で無いところも当てはまります。
となれば、「筑紫」が九州と考えられますので
やはり九州のどこかという感は否めません。

さて、冒頭書きました島根の
禊の場所の候補地ですが、

お待たせしました、こちらです。
千酌浦。

出雲國風土記には
イザナキの御子ツクズミノミコトが
ここに鎮座していらっしゃる。
それなので「ツクズミ(都久豆美)」と
いうべきであるが、今の人は
「チクミ(千酌)」と呼んでいる。
と書いてあります。

イザナキの御子のツクズミ・・・
ツクヨミとも考えられます。
そして、「筑紫」となると
九州限定なわけですが
もしそうでなく「千酌」だったら・・・
「千酌の阿波岐原」。
古事記は口伝伝承といわれています。
何かしらの言い間違い、聞き間違い
書き間違いがあったとしても
不思議ではありません。

古事記のこの場面を読んでいると
いつも疑問が生じます。

黄泉の入口が出雲にあると書いてあるのに
穢れを禊するのが日向・・・
ずいぶん遠くありませんか???

ナビで検索すると、
徒歩で4日と8時間と出ます。
あるき続けてです
一日8時間歩いたとして13日間。
しかも穢れたまま( ̄へ ̄;)
神様だから瞬間移動?
それにしてももっと近くに
いい場所は無かったのでしょうか?

2017年12月。
出雲神話・日向神話連携フォーラム
という講演会が松江市で開催されました。

質疑応答でやはり日向の禊についての
質問が上がりました。
出雲からなぜ禊に日向まで

行かなければならなかったのか?

その時の講師の方の考えは、
これから神話の舞台となる
日向國の前フリではないか。

といったものでした。
しかしながら、説得力に
かけるような気がしてなりません。

整理します。
禊の場所は日当たりの良い、
海に近い河口。ここに絞ってみます。

前出の「ツクズミ」が「ツクヨミ」だとして。
そして「筑紫」が「千酌」の誤りだとしたら。
千酌は東に向いており、地図にあるように
千酌川の河口に位置しています。
タラレバで恐縮ですが、10日以上掛けて
宮崎に行くまで現実的に感じます。

何より、黄泉比良坂から日本海まで
最短距離に在る海が千酌浦なのです。

千酌川。

橘が生い茂っていたかは不明ですが
幾つかの条件はクリアしてますね。

イザナキの禊の場所は出雲だという
事を説くつもりは無いのですが、
その候補になる土地が出雲にもある
ということを、知っていて欲しいと
思う私なのでした。

こちらに来られたら神社の参拝も是非。
爾佐神社。松江市美保関町千酌1061

境内のどこかに雨乞いのカエルさんが居ます。
参拝の際は是非探してみてください。

賽銭箱には神紋「扇」。
佐太神社の正中殿の神紋も扇。
爾佐神社は佐太神社と
つながりのある神社であることが
解ります。

ご祭神はツクズミ、イザナキ、イザナミ。
古事記とは異なり
一貴子のみの誕生でしょうか?
では他の二柱は???

次回はツクヨミと同じく
イザナキの禊から誕生した
スサノヲの生誕伝承地をご紹介します。

本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛下さいますように。

 

 

過去のブログは下記からどうぞ。

古事記と出雲① ~黄泉の国譚 比婆山その1~

古事記と出雲② ~黄泉の国譚 比婆山その2~

古事記と出雲③ ~黄泉の國譚 黄泉比良坂~

古事記と出雲④ ~黄泉の國譚 黄泉の穴~

古事記と出雲⑤ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その1~

古事記と出雲⑥ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その2~

 

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