めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲⑪ ~天の岩戸隠れ スサノヲの追放 三種の神器~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

 

前回は岩戸に隠れてしまった
アマテラスの復帰大作戦と
スサノヲに罪を償わせたお話でした。
「復帰大作戦」は私の命名です(笑)

今回は前回の話の中の
アマテラス復帰大作戦の際作られた
勾玉に関するお話と纏わる神社や諸々の
ご紹介をさせていただきます。。

アマテラスが隠れてしまった時、
知恵の神様は天の安河原の川上から
硬い石を取らせ、天の金山から鉄を採取させ
鍛治の神様を探し鉾を作らせ、
鏡の神様に鏡を作らせ、
勾玉の神様に沢山の勾玉を作らせました。

この時の鏡と勾玉が三種の神器の中の
2つになると伝わっています。

鏡は鉄製で勾玉は石製というのが
素直な考え方でしょうか?

その三種の神器の勾玉を作った神様が
祀られている神社が玉造温泉近くのこちら。
玉作湯神社
松江市玉湯町玉造508

神社名の通り、「玉」と「湯」、
湯=温泉の神社です。

祀られている神様は
勾玉の神様は勾玉の神様
そしてオオナムチ(オオクニヌシ)、
スクナヒコナ他にもう一柱です。

オオナムチ(オオクニヌシ)は
玉造温泉を見つけた神様です。
温泉守護の神様として祀られています。

スクナヒコナは温泉療法や薬そして
秘呪(まじない)の神様と
神社のご由緒には書かれています。

この勾玉の神様は
平安時代の807年に編纂された
「古語拾遺(こごしゅうい)」という
神道資料の本に、
「出雲国玉作りの祖なり」と
書かれています。
という事はこの地で祭祀用の勾玉を作る為
朝廷に奉仕する職務に就いていた職人集団の
「玉作部(たまつくりべ)」は
勾玉の神様の子孫という事になります。

その玉作りに欠かせない原材料の
瑪瑙や碧玉が採れた山が温泉の東側の
「花仙山」です。

標高200mほどの丘の様な山。
この山から採れる碧玉は
他に類の無いほど高品質な結晶で
「出雲石」と呼ばれ珍重されました。

榊の葉の色にも似た深緑のこの石は
永遠の命の象徴だったのでは
ないでしょうか?

そしてオオナモチ、スクナヒコナのコンビは
全国の温泉に纏わる神社に祀られている
事が多いようですね。

日本三名泉に数えられる玉造温泉は
733年に編纂された出雲国風土記にも
記載があり、一度入浴すれば肌はツヤツヤ、
二度入浴すれば万病をことごとく除く。
それで「神の湯」と呼ばれていると
書かれています。


島根県指定文化財 出雲国風土記(日御碕神社本)
[日御碕神社蔵]
※島根県立古代出雲歴史博物館HPより引用。

このように、風土記掲載で
名前の付いている温泉は2湯のみで、
玉造温泉は風土記の時代から
その薬効の素晴らしさと
神様との繋がりが深い温泉で
特別だったのかもしれません。

その繋がりが現れているのが
境内の「湯山」の石碑。
「湯山主大己貴命御神蹟」と
文字が見れます。
(ユヤマヌシ オオナムチノミコト ゴシンセキ)

温泉は山の主、オオナムチ(オオクニヌシ)
が湧かせていることを示唆する石碑です。

「願い石叶い石」で有名な
「真玉」のところには
「湯山主之大神」の文言があり、
やはりオオナムチのの恩恵であることが
示されています。


「玉」と「湯」の繋がりは他の神社にも

見ることができます。
湯野神社境内社 玉作神社。
島根県仁多郡奥出雲町亀嵩1284

杉木立の参道を抜け
湯野神社本殿右脇に鎮座しています。

ご祭神は前述の玉作湯神社と同じ3神です。

元々この玉作神社は「玉峰山」の
山頂付近にあり、明治になり
湯野神社境内に遷されたようです。

この神社の近くにあるのが
亀嵩温泉(かめだけおんせん)。
古い歴史を持つ温泉ですが
風土記に掲載は無いようです。

玉峰山はその名の通り「玉」に関わる山。
その昔、水晶の採れた山ですが
残念ながら玉を作っていた遺跡は
この付近には見つかっていないようです。

もし玉を作った遺跡があれば
石の採れた山、温泉、そして勾玉の神様、
温泉の神様二柱という共通項が
あることになります。
なんとも興味深いですね!

この先の神話になりますが
アマテラスの孫神は三種の神器を携え
地上に降臨します。「天孫降臨」ですね。

その時、アマテラスから渡されるのが
「鏡」「剣」「勾玉」です。

・・・お気づきの方は
いらっしゃいますでしょうか?

冒頭に書かせて頂いた
知恵の神様は天の安河原の川上から
硬い石を取らせ、天の金山から鉄を採取させ
鍛治の神様を探し鉾を作らせ、
鏡の神様に鏡を作らせ、
勾玉の神様に沢山の勾玉を作らせた。

この中に「鉾(ほこ)」があります(^^;)

実はこの時作られた物で
「鉾」はほとんどの古事記の訳本に
載っていないのです。

一冊だけありました。(朝倉調べ)
それは冨山房インターナショナルから
出版されている「マンガ古事記」です。
(奈良毅:監修 柿田徹:絵)
以前はサンマーク出版から出ていました。

そのマンガには
「鍛冶師の神様を探し鉾を作らしめた」
と書かれています。
榊の木に作らせた勾玉や鏡を取り付け
鉾は榊の木に立てかけてあります。

他の本やマンガには鍛冶の神様を探した、
呼び寄せたという事でしょうが
その後、鍛冶の神様に何をさせたのか
具体的な記述が無いと言えば無いのです。

マンガ古事記を監修された奈良毅氏は
想像で鍛冶の神様が鉾を作ったと
書いたわけでも無い様です。

それは鉾の伝承があるからです。
ご存知の方も多いこちら。

高千穂峰山頂の天の逆鉾です。
この鉾の由来は様々あるようです。
イザナキ・イザナミが国作りの際に
渡された「天の沼鉾(ぬぼこ)」だとか
日本書紀のオオクニヌシが国を譲る際に
天の使者に渡した鉾だとか・・・

由来の一つにこんな伝承があります。
天孫が降臨する際、
アマテラスが
鉾を降臨する孫神に渡そうとしたのですが
受け取り損ねてしまい、

天の国から地に落としてしまいます。
その鉾が高千穂峰に刺さってしまった。
といった伝承なのだそうです。
高千穂峰に登る前にビジターセンターの
方から伺った話です。

アマテラスが持っていたという事は
天の岩戸の際、鏡と勾玉と一緒に作られた
鉾である可能性は高いと思います。
作り主はやはりあのときの鍛冶の神様では
ないでしょうか?
そのために知恵の神様は
鍛冶の神様を探したのかもしれません。

もしかしたら神器は「鏡」「勾玉」「鉾」の
3つだった可能性もアリですね。

今回は三種の神器について
書かせていただきました。

お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。

 

過去のブログは下記からどうぞ。

古事記と出雲① ~黄泉の国譚 比婆山その1~

古事記と出雲② ~黄泉の国譚 比婆山その2~

古事記と出雲③ ~黄泉の國譚 黄泉比良坂~

古事記と出雲④ ~黄泉の國譚 黄泉の穴~

古事記と出雲⑤ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その1~

古事記と出雲⑥ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その2~

古事記と出雲⑦ ~禊と三貴子の誕生 その1~

古事記と出雲⑧ ~禊と三貴子の誕生 その2~

古事記と出雲⑨ ~天岩戸隠れ アマテラスとスサノヲの誓約(うけい)~

古事記と出雲⑩ ~天の岩戸隠れ スサノヲの追放~

 

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