めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲㊸ 大国主命⑧ ~ オオクニヌシの受難その2 赤猪石・赤猪神社跡(元宮) ~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

 

さてさて。
前回は「赤猪岩神社」を
ご紹介させて頂きました。

本日は「赤猪神社跡」と
「本物といわれている赤猪岩」を
ご紹介させて頂きます。
ちょっとややこしいので
赤猪神社跡」と文字色を替えますね。

赤猪岩は手間山登山道の途中、
赤猪神社跡は手間山山頂にあります。
※赤猪岩神社脇の溜池から望む手間山。

まずは「本物といわれている赤猪岩」を。
実際、そう書かれている立札があるんです。

行き方は赤猪岩神社境内の端から
古道へ入っていきます。

途中、猪よけの柵がありました。
開けて元通り閉じて進みます。

やがて、ソーラーパネルの敷地が
右手に見えてきます。

パネルの向こうにはイザナミの
葬られた山と伝承がある母塚山が見えます。
この辺りは神話伝承が残る土地なんですね。

ソーラーパネルを過ぎた所に標識が。

「手間山」は八十神が
焼いた大岩を転がした山。
古事記に記載された同じ名前の山です。
そしてこの看板に従い山へ入っていきます。

登山道の入り口には
「本物といわれている清水川の赤猪岩」と
書かれている立札があります。

更に進むと先程の立札の写真と
同じ岩があります。「赤猪岩」です!

岩の上には注連縄があり、
特別な岩である雰囲気が漂います。

ですが、転がる様な岩には見えません。
はて???
なぜ転げそうに無いこの岩が「赤猪岩」と
呼ばれるのでしょう?

その答えは大正5年(1916年)に書かれた
『伯耆誌』の「巻二」にありました。

その地誌には「赤猪石」という項目があり
「この石は林間にあって、九分は土に埋まり
一分だけ見えるだけで全体を見ることが
出来ない。更に上に平石を置いている。」
要訳するとその様に書かれています。

さらに、
「ここに住む人たちは

某神山の上から転ばした岩だと伝え、
この岩に上る事があれば祟りがおきた。
村人で話し合った結果、土をかぶせ
平石を置く事にした。」
と加えてあります。

子供ですら畏れおののき
失礼の無いようにしていたと
さらに書かれてあり、
かなり丁寧に祀られていたようですね。

伯耆誌の伝承によると
この場所でオオクニヌシが
を落としたとなるわけです。
「祟りがあった」というのも
神様の死への畏怖の念かもしれません。

さらに登山道を登り山頂にある
赤猪神社跡を目指します。

登山道の途中に
巨石が転がっている場所がありました。

八十神たちが大岩を火で真っ赤に
燃やしている場面を頭に思い浮かべ
更に登っていきます。

登山口の立札から50分ほどで
山頂へ到着です。赤猪神社跡

放置された鳥居は笠木・島木が崩れ
遷座されてから100年近く経った
時の流れを物語っているかの様です。

灯籠がある事から、この辺りに
社殿があったのでしょう。

この場所には戦国時代、
お城があったようで「要害山」の
名前でも呼ばれているようです。

前出の伯耆誌には「岩坪山」の名称もあり
この山から岩を切り出したか採掘したか
その様な山だった様です。

赤猪岩神社は
大正6年(1917年)に
久清神社を、
大正11年(1922)年に赤猪神社
合祀して現在の「赤猪岩神社」になった事が

昭和10年刊行の「鳥取懸神社誌」に
書いてあります。

それによると久清神社のご祭神はスサノヲ。
赤猪神社のご祭神はオオクニヌシと
その母神とあります。
現在の赤猪岩神社のご祭神が
スサノヲとオオクニヌシという
珍しい組み合わせで祀られているのは
そんな理由からの様です。

登山口の立札に「本物といわれている・・」
とあったのは、赤猪岩神社の岩は
「偽物」という意味ではなく
もしかしたら
平岩で蓋をされた、
よく似た状況で存在する

巨石の存在があった為、祭祀の場所として
山中から祈りの場所を動かしたのではと

私なりに想像しています。

赤猪岩神社の近くには古墳が幾つかあり、
赤猪岩神社の封印している巨石も

石室の一部に見えなくもありません。

※寺内八号墳。赤猪岩神社から
歩いて数分の場所に
ある古墳です。

上部に平岩が乗る状態は
赤岩を封印する赤猪岩神社の
それと似ています。

また伯耆誌には
「三崎村に『御石』という
3m半四方の岩が90cmほど地上に頭を
出している。これが「赤石」ではないかという
人もいるがそうではない。
三崎村の山は平らで転がせない。
手間山の北側、膳棚山から転がすには
距離が遠すぎる。」とあり、
「赤石」は件の「赤猪石」、「三崎村」は
現在の「三崎」の地名で現存しています。

その地区の中心にはやはり古墳があり
石室が露出しているようで、

それを「赤石」と呼んでいるのでしょうか?
円墳があり、平らな山とはその円墳を
指しているのかもしれません。

また「三崎」は現在の赤猪岩神社に
隣接する地区。もしかしたら
赤猪岩神社の巨石を指している
可能性もあるのでは

思えなくもありません。
赤猪岩神社の祭祀の記録があればと
探してはみたのですが
見つからず、詳しいことは
解らずじまいでした(^^;)

お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。

 

過去のブログはこちら

古事記と出雲㊱ 大国主命① ~ その出生地はどこか?~

古事記と出雲㊲ 大国主命② ~ オオクニヌシのお爺さんお婆さん 長浜神社編 ~

古事記と出雲㊳ 大国主命③ ~ オオクニヌシのお父さん 日御碕神社 編 ~

古事記と出雲㊴ 大国主命④ ~ 稲羽の素兎 白兎神社 編 ~

古事記と出雲㊵ 大国主命⑤ ~ 稲羽の素兎 白兎海岸 編 ~

古事記と出雲㊶ 大国主命⑥ ~ ヤガミヒメの故郷 賣沼神社 編 ~

古事記と出雲㊷ 大国主命⑦ ~ オオクニヌシの受難その1 赤猪岩神社 ~

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