石の音、ときどき日常

新コスメにまつわる神話や風土の話 その㊶ ~ 斐伊川の洪水と受け継がれる祈り 立虫神社・雲根神社 編 ~

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出雲発 祈りをテーマとした
温泉水×和漢コスメ kiu 祈雨 。

めのやから誕生した
コスメブランドについて、
出雲地方に伝わる神話や
まつわる風土、伝承をご紹介します。

出雲国風土記に「出雲大川」、
古事記には「肥川(ひのかわ)」と

記載のある現在の「斐伊川」。
当時は「暴れ川」だったようで
ヤマタノオロチは斐伊川が
モデルという説が浸透しています。

川の氾濫による洪水で、その社殿が遷座され
現在に至る神社もあるようです。
そんな神社を訪ねてみました。

洪水と祈りの場所の遷座の軌跡

斐伊川には8つの支流があるそうです。
そんなところも八頭八尾といわれる
『ヤマタノオロチ=斐伊川』の図式の
信憑性を高めているのかもしれません。

この川は天井川として有名で
幾度となく洪水を起こしました。
近世になると人工的に川の流れを変える
「川違え(かわたがえ)」を行い
流域を少しずつ変えていったようです。

※渇水時には赤い川床が広がる斐伊川。

その中でも一番規模の大きい川違えは
寛永12年(1635年)の洪水の際に
行われたもので、
この工事によって
それまで
西に流れていた流れを東に変え、
宍道湖に流れるようになりました。

今では堤防やダム、放水路などで、
大雨の際、川の水位が上がった時の
対策が施されていますが

放水路が完成する7年前、
平成18年(2006年)の大雨の際に
洪水がありました。

梅雨前線が活発化し、
宍道湖が観測開始以降2番めの
水位を記録したそうです。
この時、松江市内は浸水被害に遭い、
斐伊川下流部、中流部においても
一部堤防の陥没や浸水被害が発生、
甚大な被害が発生しました。

堤防を超えんばかりに増水した当時の斐伊川。
※国土交通省HPより転載。

太古、斐伊川は流れが定まらず
水は低地に自然に流れ、その間に州ができ、
そこへ自然に人が住み着く
といった具合でした。

やがて流れが定まり、川の流れが
端に寄せた土砂が自然堤防を作りました。
この自然堤防は「古土手(ふるどて)」と
呼ばれ地名にもなっています。
出雲市上津にその地名が残るようですが
探せず、検索すると出雲市平田町の
「古土手」がヒットしました。
斐伊川沿いにあり、コチラも
自然堤防の跡だったのではと想像します。

斐伊川の歴史において
初めて人工の堤防を築いたのが
先の1635年の洪水の時。
「若狭土手」と名付けられました。

※178070出雲市歴史文化基本構想
第2節出雲市の文化財の現状を参考。

自然堤防ではきっと、
大雨には耐えることは

難しかったのではと想像します。

過去の洪水によって、遷座を余儀なくされた
神社が幾つかあるようです。
その中の一つがこちら。
立虫神社。


※2020年3月撮影。

万九千神社のHPによると
もとは斐伊川の中洲に鎮座していましたが、
江戸時代前期、寛文10年(1670年)、
洪水の影響により、
現在の万九千社境内に遷されました。
とあります。
元宮の詳細は書かれていません。
川の中洲の底にあるのでしょうか。

隣に建つ万九千神社。

また雲根神社も境内に遷座された
境内社を持つ神社です。
雲根神社 出雲市大津町430。

※2020年12月撮影。

その中でも社名に関わりのあるのが
石神社(いしがみのやしろ)。

石の囲みに無造作に置かれた石。
この石塚にはいわれがあります。
この近くに
ヤマタノオロチの頭が流れつき
村人がそれを哀しんで石塚を作って祀ったが
夜になると塚から怪火が出ます。そこで
スサノヲの心霊を勧請したところぴたりと
止まったといわれています。と、この様に
島根県出雲県土整備事務所の立てた看板に
逸話が書かれています。

そして雲根神社の社名由来が
先程の「石塚」に関係しています。
これには紆余曲折があります。
雲根神社の元々の社名は「稲田姫社」。
クシナダのみ一柱を祀る神社でした。
ですが鎌倉時代に出雲大社の社領になり

それとともに「石塚社」の社名の方の
認知度が
上がっていったようです。
そのため地名も「石塚」となりました。
やがて中世の終わり頃、大社領が縮小され
地域一帯が石塚村として一本化されます。

中世の頃も斐伊川沿いは洪水が多く
特に天正元年(1573年)の洪水被害は甚大で
土地の様子を大きく変えてしまいました。
神社のご由緒にも「おそらくそのため」と
前置きし、神社合祀問題が起こり・・・と
説明しています。
結果、この土地の土地神さまを祀る
稲田姫社に石塚社が合祀され
ご祭神をスサノヲ・クシナダの二柱とし、
社名を「石塚」の「石」から
「雲根」としました。
これは「雲は石(岩)から生ずる」
つまり「石は雲の根(発生源)」といった
由来から名付けられました。

洪水によって土地の形が変わり
その事によって地域が変わり、地名が変わり
やがて環境が変わっていったのでしょう。
土地神さまの神社の名前まで
変わってしまいました。

祈りの場は遷座を重ねながら現在まで
受け継がれています。
横並びに鎮座する石塚や祠には
洪水でも途絶えることの無かった
そんな人々の想いも
後世に引き継いで行くのでしょう。

お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。

ではまたの機会に。
ご自愛くださいますように。

 

よろしかったら合わせてお読みください。
雲根神社を書いた過去ブログはコチラ。

古事記と出雲㉘ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その15 雲根神社~

 

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【新コスメにまつわる神話や風土の話】過去のブログは下記から

新コスメにまつわる神話や風土の話 その21 ~ 社日 土の神様 ~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その22 ~ 彌久賀神社 境内社 疫病神社 編 ~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その23 ~ 日の沈む方角と神在月 編 ~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その24 ~ 雨乞いの石神さん 立石神社 編 ~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その25 ~ 雨乞いの石神さん 鞍掛山 龍岩 編 ~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その26 ~ 雨乞いの石神さん 王院山 立石群 編

新コスメにまつわる神話や風土の話 その27 ~ 神様がいらっしゃる山 本宮山 編 ~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その28 ~ 国引き神話 風土記以外の伝承 編 ~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その29 ~ 谷あいの民家、集落の祈りの山(斐川町出西・神氷) 編 ~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その30 ~ 潮汲み 出雲大社 編 ~

新コスメにまつわる神話や風土の話 その31 ~ 大社町と「うさぎ」を結ぶ峠道 ~

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