めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲㊿ 大国主命⑮ ~ スセリヒメ終焉の地 唐王神社 前編 ~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

 

前回はスセリヒメを祀る神社や
オオクニヌシとスセリヒメの
伝承のある山をご紹介しました。

それでは古事記のストーリーを
進めていきます。

お互い一目惚れして結ばれた
オオクニヌシとスセリヒメ。

そしてスセリはオオクニヌシを
父神スサノヲに紹介し、
スサノヲは
オオクニヌシを住まいに招き入れます。

スサノヲはオオクニヌシを
部屋に泊めるのですが、
その部屋は「蛇の部
屋」でした。

毒蛇のイラスト

スセリはオオクニヌシに
「蛇の領巾(ひれ)」を渡し、
「蛇に咬まれそうになったら
三回振って打ち払ってください。」
と告げます。この「領巾(ひれ)」とは

女性が肩から掛けるスカーフの様な布です。

スセリに言われた通り、領巾を三回振ると
蛇は静まり、オオクニヌシは無事に
眠る事が出来ました。

翌朝、何事も無いかのごとく起きてきた
オオクニヌシ。
その夜、スサノヲは今度はオオクニヌシを

「ムカデと蜂の部屋」に泊めます。
ムカデ・百足のイラスト怖い蜂のイラスト
この時もスセリは
「ムカデ・蜂の領巾」を
渡し、
先日と同じ様に振る様にと言います。
またまた、何事も無いかのごとく
起きてきたオオクニヌシ。
その影にはスセリの援助がありました。

蛇・ムカデ・蜂・・・
スサノヲの試練なのか、それとも
愛娘を嫁に取られたイジメなのでしょうか?
古事記には「蛇の領巾」を渡す時、
その妻スセリヒメのみこと、
蛇の領巾をその夫に授けて
とあり、オオクニヌシとスセリは
すでに「妻」「夫」と書かれています。
蛇やムカデの部屋に泊まれとは
舅(しゅうと)となったスサノヲの
ジェラシーにも思えますね。

さてさて。
今回ご紹介する神社はこちら。
唐王神社 鳥取県西伯郡大山町唐王725。

鳥居の額束には「松籬社」とあります。
読みは多分「まつかさしゃ」。

今でもネットでは「唐王松籬神社」の表記も
見ることがあります。
これは明治になり菅原道真が勧請された時の
社名のようで、神紋も天満宮の梅紋(梅鉢紋)。
ご祭神はスセリヒメと菅原道真です。

社名や神社のある地名の「唐王」。
「唐」は中国の王朝と同じ漢字ですが
唐王神社公式サイト ~マムシ・毒虫よけの守り神
によると
唐王とうのうという村名は、実に奇妙です。
鳥取県神社誌にありますように、
往古殆ど交通(ゆきき)のなかった頃は、
海の向こうや遠方の国は
みな加羅(から)と称していました。
ですから夜見の国から
船で来られた須勢理比売命を、
(から)の王と称してきました。
それが村名になったとのことです。
とあります。
私としては「唐」は
「遠」に通じる様な気もしています。

そして「王」は大国主大神の妻である事に
由来しているようです。鳥取県神社誌には
又大国主大神の后神(きさきがみ)なるを以て
唐王御前神と稱(たた)へ奉りしなり。
とあります。
この「唐王御前神」の「御前」は敬称ですので
「遠く黄泉の国からいらっしゃた、偉大な
オオクニヌシのお妃である神様」と
いう意味でしょうか。
読み違えると、
「中国大陸から渡ってきた唐の王族」に
なりかねないですね。

伝承ではスセリはこの地に
船でやってきました。
数度住まいを移し、最終的に落ち着いたのが

この神社の場所だったようです。
境内に写真で紹介されていました。

興味深いのは
題名にもあります「スセリ終焉の地」。
鳥取県神社誌には
本殿の下に方一間余の石の玉垣あり、
其中に高五尺余の古造の碑石あり。
中古仏者の為に惑わされ、
命の尊陵たるを知らず。
往々祭祀を廃絶し社字衰頽(すいたい)す。

と書かれてあります。
「命の尊陵(そんりょう)」とあります。
「命」は「みこと」、
この場合スセリの事です。
そして「尊陵」の「尊」も「みこと」
「陵」はお墓で「神様のお墓」の意味です。
本殿の下に眠っているようです。
スミマセン、取材時はこの事を知らず
碑石の写真はありません mm(_ _)
mm
今もあるのか、次回確認しておきます。

「仏者」ですからお坊さんがよく解らず
スセリの尊陵と知らずに祭祀を止めてしまい
伝承が廃れた。とのようです。
神仏習合の時代の事でしょうか?

正妻といわれるスセリヒメがなぜ、
出雲から離れたこの地にいらっしゃり、
そして終の棲家としたのか、
これも鳥取県神社誌に所見があり
大国主大神は永く日隅宮(出雲大社)に鎮座し
須勢理比売命は比地に鎮座す。
故に該神社域内宏大なりしこと、
往古の規模を存せり。
オオクニヌシは出雲へ住まわれ
スセリはこの地に鎮座するわけは
当時、この広大な地域を治めたという
その当時の規模を表している。
といった見方のようです。

先の公式サイトには
現在のように医薬が発達していなかった時代
蝮や毒虫は人々の暮らしに
危険この上ない存在だったと想像できます。
明治初期の氏子が12,300人で、
その範囲は中山町から東出雲町にまで
及んでいたのはそれ故でしょう。

文中の「中山町」は2005年に合併し
「大山町」になりましたので
唐王神社の信仰圏は松江市の東端から
大山の麓まで広がっていたことになります。

「虫除け」は中々無いご神徳であり
非常に重要だったのでしょうね。

さて、次回は唐王神社を
もう少し掘り下げてみたいと思います。
「後編」に続きます。

 

お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。

 

大国主命編 過去のブログはこちら

古事記と出雲㊱ 大国主命① ~ その出生地はどこか?~

古事記と出雲㊲ 大国主命② ~ オオクニヌシのお爺さんお婆さん 長浜神社編 ~

古事記と出雲㊳ 大国主命③ ~ オオクニヌシのお父さん 日御碕神社 編 ~

古事記と出雲㊴ 大国主命④ ~ 稲羽の素兎 白兎神社 編 ~

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