みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。
さてさて。
前回はヤマタノオロチ由来の場所を探し
雨の山を彷徨ったお話でした(笑)
今回はヤマタノオロチに飲ませた
「酒」について進めていきます。
八塩折の酒は日本酒?
それともぶどう酒?
古事記には「八鹽折酒(やしおりのさけ)」
とあり「何度も醸した濃い酒」と
解釈されている訳を目にすることが
多くあります。
何度も繰り返し醸すって
どんな造り方なんでしょうね?
ところで出雲市平田町には
「木綿街道」と呼ばれる場所があります。
古い町並みが佇む、どこか
懐かしい風情がある場所です。
江戸時代、宍道湖西岸からの
水路を利用した物資の流通により、
古くから市場町として栄えた町です。
その名残の水路が今もあります。
江戸時代には木綿の生産が盛んになり、
集積地として繁栄しその名で呼ばれています。
この地方には「再仕込み醤油」と呼ばれる
醤油で醤油を仕込む醸造法があります。
山口県柳井市が発祥といわれる
この醸造法で造られる醤油は
刺身醤油にオススメな醤油なんですね。
一般の濃い口醤油に比べ
旨味の強い醤油になるそうです。
八塩折の酒も酒で酒を造るのでしょうか?
調べると「貴醸造」という
醸造法があるそうです。
これは、通常米100に対して水130を使って
日本酒を造るところ、貴醸酒は
米100に対して水70と酒60を
仕込み水のように使って造るそうです。
水でなく酒を原料にすることから
大変コストがかかるそうですね。
この作り方かと思いきや
この醸造法は1973年に開発された
新しい醸造法のようです。
さらに調べますと、灯台元暗し、
「醞(しおり)法」という
醸造法が見つかりました。
一度搾った酒の中に
蒸米と麹を入れて再び発酵させる、
そうすることによって
甘く強い酒が出来るのだとか。
この通り「八醞(やしおり)」は
酒に原料をまた入れて濃い酒を造る、
その繰り返しでどんどん度数の高い
酒を作っていったのでしょうか?(^^)
「何度も醸した濃い酒」が
出来るわけですね。
素朴な疑問ですが
酵母菌ってアルコールで
死なないんですかね?
先の貴醸造も高額ですが
水を使わず作ったら
結構な強さの酒が出来るような
気がしますが(^^;)
しかしながら、一説には八塩折の酒は
果実酒ではないかという説も
あるようです。
私としては「毒酒」と呼ぶなら
ジュースの様に飲みやすくて
お酒を感じない方が
体に毒になのではないかと思いますが^^
ヤマタノオロチに飲ませた八塩折の酒は
いったいどんな酒だったのでしょうね?
では、オロチ退治の八塩折の酒にまつわる
神社や伝承地をご紹介します。
こちらは拝殿のみで本殿が無く
拝殿の後ろにそびえる山、
御室山(みむろやま)をご神体として
拝する形式の神社で
神奈備式と呼ばれる神社です。
八塩折の酒を醸すのに
お宮(御室)を構えたと伝承の残る山です。
濃い酒は一朝一夕に出来たわけでは
なさそうですね(^^;)
オロチがやってくるまでの
時間との戦いで醸したのでしょうか?
もしかしたら寝る間も惜しんで
酒を造り、そのための仮眠の館を
建てた場所かも・・・
想像が馳せます(^^)
この神社の近くにあるのが「釜石」。
酒を醸した釜が石となって残っている
と伝わる神蹟です。
釜が幾つかあったようですね。
その中の一つをよく見ると
石ノミの痕があります。
過去にはもっと大きな岩で、
パッカリ割られたようですね。
以前、道路が通る前はこの釜石から
布須神社へ通じる参道だったようで
もしかしたら石段や石垣に
使われたのかもしれません。
もしかしたらもっと多くの巨石が
この辺りにあったのではないでしょうか?
先程の布須神社の石段には
同じ様な石ノミの痕がある段があり
「まさか釜石???」なんて
思ってしまいました。
もしかしたらその可能性は
あるかもですよね?
この神蹟にガイドとして
案内した方から聞いた話ですが、
参加者に詳しい方がいて
山葡萄の群生地だとおしゃったとか。
もしかしたら八塩折の酒は
ワインだったのでしょうか!?
八塩折の酒が日本酒とは限らない根拠が
そんな所にも有るのかもしれません。
もう一社、同じ社名の
布須神社が同じ雲南市にあります。
布須神社 島根県雲南市加茂町延野251
実は以前に「布須神社」をナビで検索し
たどり着いたのがこちらの神社でした。
ネットの写真と違うので
不思議に思いましたが、
そう思いながらも参拝したのを
覚えています。
この神社の背後の山も「御室山」。
スサノヲが妻クシナダと
お宮を建て住んだ(伏した)ことがあるという
伝承があり、「伏す」から「布須」が
社名の由来とご由緒にあります。
なるほど山伏は山住んでるから
山伏なんですね(゜゜;)
またこの辺りにはヤマタノオロチと
池に関わる伝承があり
ヤマタノオロチ退治の剣を洗った池が
神社より1㎞離れた場所にあったそうですが
土砂で埋まってしまい跡形も無いそうです。
その池は血で赤く染まり
付いた名前が「赤池」だそうです。
水の色が赤いとは考えにくいですので
タタラ関係で鉄分で赤い池底だったり
したのでしょうか?
無くなってしまい残念です。
境内にも池の伝承があるようです。
この神社の境内には布須池という池が
あったのだとか。
社殿が火災に遭った時に
御神宝の剣を池に投げ入れたのだとか。
大正初期に池を調べた所、
銅鏡と直刀の破片などが見つかったそうです。
ただ、その直刀の破片は鎌倉期のものだとか。
現在は土砂崩れで埋まってしまった池ですが
駐車場の脇にあったという事ですので
停まっている青い車の向こう側辺り
だったのかもしれません。
蛇行しているアスファルトの参道も
元々は鳥居から真っ直ぐ
参道があった雰囲気ですが
土砂崩れで石段が崩れたのかもしれません。
私としては釜石近くの布須神社は
住んだ意味の「伏し」が由来で、
後出の布須神社は「御神宝の剣」
という事が由緒にあることから
刀剣がものを切る音「フツ」から「フス」に
転じた様な気がしてなりません。
という事は釜石付近が醸造の場所なら
八塩折の酒はぶどう酒(果実酒)
だったかもしれませんね(^^;)
今回はヤマタノオロチを酩酊させた毒酒、
八塩折の酒についてご紹介しました。
お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。
過去のブログは下記からどうぞ。
古事記と出雲⑤ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その1~
古事記と出雲⑥ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その2~
古事記と出雲⑨ ~天岩戸隠れ アマテラスとスサノヲの誓約(うけい)~
古事記と出雲⑪ ~天の岩戸隠れ スサノヲの追放 三種の神器~
古事記と出雲⑬ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その1 箸拾いの地~
古事記と出雲⑭ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その2 ヤマタノオロチとは?~
古事記と出雲⑮ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その3 伝承地「八頭」~