めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲56 大国主命㉑ ~ 八十神討伐にまつわる地名 加茂神社(屋代神社)・屋裏八幡宮 ~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

前回は八十神討伐にまつわる地名「木次」や
討伐後に宮を置いたと伝わる
「三屋(みとや)神社」をご紹介しました。

前回の締めに
「さて次回は、雲南の地名に
なぜか共通する文字があります。
そんな文字とオオクニヌシとのつながりを
探ってみたいと思います。」
と書かせて頂きました。
その共通する文字とは八十神討伐に
関わりがある様です。
その文字は「屋」。
これは後に改められた字で
元々は「矢」の字でした。
その文字の通り弓矢の「矢」に由来する事が
出雲國風土記には書かれています。

◆屋代郷(やしろのさと)。
 オオクニヌシが盛り土から矢を射られた。
 だから矢代(やしろ)という。
(後に屋代と字を改める)

この盛り土というのは原文では
「垜(あむつち、あずち)」と
書かれています。
弓矢の的をかけるため
土を山の様に盛ったもので
今でも弓道場に見られますね。

株式会社スピナ HPより転載。

関和彦氏はこの盛り土について
矢をここに射ったのでは無く、
この盛り土から八十神へ向かって
射った。と著書「風土記註論」で
説明しています。
なるほど、この盛り土は
バリケードの様にも見えます。

屋代郷にあったのでその社名が残ると
考えられる神社があります。
出雲國風土記にも掲載のある屋代社
といわれている神社がこちら。
加茂神社 雲南市加茂町加茂中996。

拝殿には「風土記 屋代神社」の扁額が
掲げられています。

ご祭神はコトシロヌシ。
ご由緒にも

『平安時代の「延喜式」に、大和国の
鴨事代主命とご同神なりと記載され・・』
とあり、大和国ですので奈良県ですね。

「賀茂」と聞くと京都の上賀茂・下鴨神社を
連想しますが、御由緒には「この一帯は
中世に京都の賀茂神社の社領となり
「福田庄」と呼ばれていた。」とあります。
元々はオオクニヌシの八十神討伐の
舞台っだったのでしょうが、中世に入り
大和地方の勢力が入ってきたのか
その影は薄くなったのかもしれません。

また、「屋代郷」を今に伝えるかの様に
楼門に扁額を掲げている神社があります。
ヤマタノオロチ退治の際にも登場した
こちらの神社です。
御代神社 雲南市加茂町三代485。

 

加茂神社と3km余の距離はあります。
もしかしたらこの辺り一帯が
戦場だったのかもしれませんね。

そして出雲國風土記には次のような
地名由来がある郷が書かれています。

◆屋裏郷(やうちのさと)。
オオクニヌシが笶(や)を

 殖(た)てなさった所である。
 だから矢裏(やうち)という。
(後に屋裏と字を改める)

「笶をたてた」この竹冠に矢と書く字、
「笶」は「笶竹(のだけ)」という
植物の事です。
笶竹はその昔、弓矢に使われたそうです。
ですので、「ノダケを植えられた」と
いう意味になります。「殖」は
日本書紀には「殖(ウマワル)」=繁殖させる
という意味でも使われている言葉ですので
オオクニヌシがノダケ畑を作った
という事でしょうか?
この「屋裏」を冠する神社がこちら。
屋裏八幡宮 雲南市加茂町東谷1133

もちろん「屋裏郷」にあったわけですので
古来からこの場所にあった神社と
考えてしまいますが、
今に至るまで紆余曲折あった神社の様です。

明治の時代までこの地域には六社の神社が
ありました。ですが、合祀や水害などで
昭和の時代にこの八幡さま一社に
なってしまいました。
その事を示すかのように、
境内には荒神さんでしょうか、
石の祠が六社並んでいます。

こちらに全社合祀された頃は
風土記の頃の「屋裏」の
地名は
すでに途絶えていたのですが、

氏子の皆さんの願望として社名の頭文字に
「屋裏」を冠し平成11年、
屋裏八幡宮になりました。

合祀を経たためか「八幡宮」ですが
主祭神はアマテラス。配祀神として
11柱の御神名が書かれています。

この神社の興味深い点は合祀された
とある神社にあります。
その神社は「矢櫃神社」。
社名の「矢櫃(やびつ)」は
矢を収めた蓋付きの箱の意味。

矢に関する神社がまたしても出てきました。

この神社は跡地が今でも残っています。
加茂岩倉遺跡の駐車場から道路向かいの
竹林へ入っていきます。
やがて竹林が杉林に変わる頃、
巨石が見えてきます。

矢櫃神社跡。

縦約5m、横約6.5mの巨石があります。
私と比べるとこんな感じ。

私の左側の岩でも縦約2m、横約3mです。
圧倒されるほどの巨石。
特別な場所に違いありません。
古代の祭祀の場所だったのでしょう。
矢を櫃に収め、勝利祈願を行った

場所なのでしょうか?

ご祭神はオオクニヌシ?
と思いきやスサノヲ。

八十神からちょっと離れました。
ですが、スサノヲと「矢」といえば
思い当たる神社があります。
八口神社 雲南市加茂町神原98.

御祭神はスサノヲ。
この神社の由来はヤマタノオロチ退治の際、
濃い酒で酔った大蛇の首を切り落とした、
という由来と、酔った大蛇に弓矢を射った
という二つの由来があります。
矢を射ったということは「矢口」という
事でしょう。
もし、その矢を用意し、必勝祈願したのが
矢櫃神社であったら話が面白いな!と
一人ほくそ笑む私なのでした。
ええ、根拠は見つかりませんが(^^;)

今回は「矢」に関わる雲南市の神社を
ご紹介いたしました。

 

本日もお付き合いくださって
ありがとうございます。
またの更新をお楽しみに。
ご自愛下さいますように。

大国主命編 過去のブログはこちら

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古事記と出雲㊲ 大国主命② ~ オオクニヌシのお爺さんお婆さん 長浜神社編 ~

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