めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲㉑ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治 ちょっと寄り道 五十猛尊~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

前回はヤマタノオロチ伝承のある山、
船通山をご紹介しました。
今回はこの船通山に関わる神話や
神蹟をご紹介します。

この船通山は出雲国風土記には「鳥上山」、
日本書紀には「鳥上峯(とりかみのみね)」
と記されています。
現在の名前になったのは日本書紀の
ある逸話が関わっているようです。

日本書紀の異伝にはスサノヲの天降りの地は
「新羅(しらぎ)のソシモリ」とあります。
御子神のイソタケルと天降りました。
(神代第八段一書四)

ですがスサノヲは
「この土地には居たくない。」と言い
埴船(土で作った船)で東に渡り
出雲国の簸(ひ)の川上にある
鳥上の峯に至るとあります。
「簸の川」は「斐伊川」、

辿り着いた鳥上の峯は
船通山といわれています

関わりのある神社がこちら。
鬼神神社(きがみじんじゃ)。

島根県仁多郡奥出雲町大呂2058-2
ご祭神はイソタケルとスサノヲです。


船通山に行く途中にあります。

鬼神神社前から望む船通山。
右手に斐伊川が流れています。

そして特筆すべきは鳥居脇にある磐座です。
これは前出の埴船が岩になったと伝わり
「岩船大明神」と呼ばれています。

石神として信仰されていたこの磐座は
高さは2mほどですが、地下は数mに及び
誰一人として動かせないと
由緒にあります。

またその由緒では、この船で船通山を越え
この地に降りたったと伝え、
あくまで「船通」の文字に忠実に
伝えているように感じます。

そして社殿の裏山の中腹には
イソタケルの御陵があります。

石碑の脇には「御陵型 長円墳」とあり、
築土高さ10m、面積2267㎡の

楕円形の古墳があったようです。
どうやらその跡がコチラのようです。

・・・ちょっと解りませんね(^^;)

イソタケルは多くの樹々の種を携え
新羅に降臨したのですが、
新羅には撒かず日本中に撒いたので

日本は緑豊かな国になったと書紀には
別の逸話の様に書かれています。
スサノヲとイソタケルは

別行動だったのかもしれませんね。

ちなみに、新羅から埴船で辿り着いた場所と
伝わっているのが出雲市の西隣の大田市。
地名は五十猛町(いそたけちょう)。
そのままイソタケルです。

この辺りには半島文化といいいましょうか
渡来の小正月の風習や「韓神(からかみ)」と
名の付く神社など、そして
上陸の場所の伝承のなどありますが
それはまたの機会か、他のブログで
ご紹介出来たらと考えております。

 

お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。

 

過去のブログは下記からどうぞ。

古事記と出雲① ~黄泉の国譚 比婆山その1~

古事記と出雲② ~黄泉の国譚 比婆山その2~

古事記と出雲③ ~黄泉の國譚 黄泉比良坂~

古事記と出雲④ ~黄泉の國譚 黄泉の穴~

古事記と出雲⑤ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その1~

古事記と出雲⑥ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その2~

古事記と出雲⑦ ~禊と三貴子の誕生 その1~

古事記と出雲⑧ ~禊と三貴子の誕生 その2~

古事記と出雲⑨ ~天岩戸隠れ アマテラスとスサノヲの誓約(うけい)~

古事記と出雲⑩ ~天の岩戸隠れ スサノヲの追放~

古事記と出雲⑪ ~天の岩戸隠れ スサノヲの追放 三種の神器~

古事記と出雲⑫ ~スサノヲの降臨 追放されたスサノヲ~

古事記と出雲⑬ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その1 箸拾いの地~

古事記と出雲⑭ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その2 ヤマタノオロチとは?~

古事記と出雲⑮ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その3 伝承地「八頭」~

古事記と出雲⑯ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その4 八塩折の酒~

古事記と出雲⑰ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その5 佐久佐女の森~

古事記と出雲⑱ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その6 酒船?酒壷?~

古事記と出雲⑲ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その7 雨叢雲剣出顕の地~

古事記と出雲⑳ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その8 船通山

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