みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。
前回の八岐大蛇退治その11では
大蛇の尾を祀る神社をご紹介しました。
今回はスサノヲからスサノヲの妻、
クシナダ姫に視点を変えて
まつわる神社をご紹介します。
古事記では櫛名田姫(くしなだひめ)、
日本書紀では奇稲田姫(くしいなだひめ)、
または稲田媛(いなだひめ)とあり
「櫛」や「奇」は「霊妙な」とか
「神秘的な」といった意味があり、
「稲田」は字の通り「稲と田」の事。
「霊妙な稲田の女神」という事になります。
このクシナダの伝承が奥出雲にあります。
まずはクシナダを祀る神社がこちら。
稲田神社。島根県仁多郡奥出雲町稲原2128-1
以前、「古事記と出雲⑳船通山」や
「㉑ちょっと寄り道」でご紹介した鬼神神社や
船通山に近い所にあります。
境内の蕎麦屋さん、「ゆかり庵」で
ご存じの方もいらっしゃるかと思います。
2016年7月撮影。
ゆかり庵は2月17日(水)まで
冬季休業ですので間もなく再オープンですね♪
この住所「仁多郡」は風土記にも記載があり
「仁多郡」の地名は、
所造天下大神(大国主命)が
「是は爾多志枳小国(にたしきおくに)なり」
(ここは潤いがあって肥沃な土地である)と
言ったことから、つけられました。
と島根県のHPにある「出雲国風土記登場地」
から入った「出雲国の村々」仁多郡の項に
説明があります。
「爾多志(にたし)」は元々は
「湿って水気が多い」という意味で
稲作に適した土地だったようです。
現在でも「仁多米」は
ブランド米になっていますね。
稲田神社は氏子さんの戸数に対し
規模が大きい神社で、諸々の事情により
遷宮までかなりの期間がありました。
その間、雨漏りが続きブルーシートで
応急処置がされていて
拝殿の影に佇む旧拝殿、本殿は
寂れた感じがしていましたね。
2018年11月9日に遷宮が斎行され
旧拝殿は撤去され、本殿は
立ち姿も美人な社殿に戻りました。
2019年5月撮影。
境内に寄進者の小林徳一郎氏の碑があり
篤志家としての氏が寄進されたものの中に
出雲大社の一の鳥居や門前通りの
松の木などもあります。
同じ人なんですね。
この辺りはクシナダが産まれた場所であり
「産湯の池」やアシナヅチが
ヘソの緒を切った竹べらを
地に逆さに刺したところ、芽が出て
笹薮になったと伝わる「笹の宮」などが
神社近くにあります。
※ゆかり庵Facebookより転載。
今でも湿地が残っています。
風土記の時代の「にたし」き土地の
名残のように感じます。
笹宮の笹は安産のお守りで、
妊婦に配られたそうですが
現在はその風習は無くなってしまったと
説明板にありました。
スサノヲとクシナダの六世孫が
オオクニヌシと古事記にはあります。
天降りから紆余曲折あり夫婦になる
スサノヲとクシナダ。
ヤマタノオロチ退治なくしては
国譲りどころか国作りも
どうなっていたことやら想像も付きません。
前出のゆかり庵も含めこの辺りもそば処。
参拝の際はお昼にお蕎麦がオススメです♪
お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。
過去のブログは下記からどうぞ。
古事記と出雲⑤ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その1~
古事記と出雲⑥ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その2~
古事記と出雲⑨ ~天岩戸隠れ アマテラスとスサノヲの誓約(うけい)~
古事記と出雲⑪ ~天の岩戸隠れ スサノヲの追放 三種の神器~
古事記と出雲⑬ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その1 箸拾いの地~
古事記と出雲⑭ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その2 ヤマタノオロチとは?~
古事記と出雲⑮ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その3 伝承地「八頭」~
古事記と出雲⑯ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その4 八塩折の酒~
古事記と出雲⑰ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その5 佐久佐女の森~
古事記と出雲⑱ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その6 酒船?酒壷?~
古事記と出雲⑲ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その7 雨叢雲剣出顕の地~
古事記と出雲⑳ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その8 船通山~
古事記と出雲㉑ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治 ちょっと寄り道 五十猛尊~
古事記と出雲㉒ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その9 岩伏山~
古事記と出雲㉓ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その10 八本杉~
古事記と出雲㉔ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その11 尾呂地神社 ~