めのうさとえすこな散歩

古事記と出雲㉗ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その14 大野津神社と雨乞の神事~

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みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。

前回の八岐大蛇退治その13では
クシナダ姫とその御親神が
オロチから峰を越えて逃げる、
その道程にある神蹟、神社を
私なりの「日原」の考察を加えて
ご紹介させて頂きました。

今回は宍道湖の湖岸に残るオロチ伝承と
縁の深い神社をご紹介させて頂きます。

その神社がこちら。
大野津神社 松江市大野町243。

国道431号線を出雲市から松江市内へ
向かう途中、宍道湖の湖岸にある神社です。

「神話縁の地 周遊ドライブマップ」によると
大野津神社は、スサノヲが
ヤマタノオロチを退治した時、
角と骨が流れ着き、「角森」と
呼ばれるようになったと言われます。
と書いてあります。
制作:中海・宍道湖大山圏域市長会/中海・宍道湖観光協会会議

不思議ですね(^^;)
過去のヤマタノオロチ伝承は
斐伊川沿いに集中しています。
江戸時代中頃以前はヤマタノオロチ退治の
舞台である斐伊川は宍道湖では無く
日本海側に、西に向かって流れていました。
斐伊川で退治されたオロチの角や骨が
宍道湖に流れ込むのは
ちょっと難しい様な気がします。

新たな伝承でしょうか?
ちょっと調べてみました。
元々はこの地域には港があったので
「舟津」と呼ばれていました。

後に森に囲まれていたので「津の森」と
森を指して呼んだようです。
今でも大野津神社最寄りの駅名が
「津ノ森」となっています。


国道と一畑電鉄が並走しています。

神社の名前もこちらの町名「大野」、
そして「津」。
津は船着き場の意味がありますので
つまりは「大野の船着き場」が

社名の由来となっています。

「津ノ森」が同じ響き、「角森」に
なってしまった事が容易に想像出来ます。
明治の初期の遷宮が由来ではないかと
出雲風土記考証稿本が解説しているようでうす。

そしてこの神社では昭和の初期まで
斎行されていた「神事」の詳細が
社頭の由緒に書かれています。

また昭和45年に発刊の「大野郷土誌」に
昭和14年に斎行された雨乞神事が、

その続刊「続大野郷土誌」には昭和9年に斎行された
雨乞神事の詳細がそれぞれ
細かく記録されています。


大野公民館の方が快く閲覧させて
くださいました。ありがとうございます。

郷土誌によると、大野津神社は
御神体として「蛇骨」を有しており
その大きさの記載もありました。
長さ5~6寸(15~18㎝)、太さ1尺、

巡り12、3ほどで、いつからあるかは
わからないと書かれています。
雲陽誌(江戸時代の地誌)には
大蛇の遺霊 国人を悩さんとして此の所に至る。」
とあるようです。
湖岸ですので「流れてきた」といった
解釈なのでしょう。

文頭の「大蛇」。
大きな蛇なのかヤマタノオロチなのか
個人的には最初悩みました。
一般的にはこの記載が
「ヤマタノオロチの骨」の根拠に
なっている様です。
想像するにこの「骨」から「角」が連想され
「津の森」の響きと合わさり「角森」と
伝わったのではないでしょうか。

文献によると神事は大変厳粛な様です。
「二夜三日をかけ、祓いの祝詞を
1万回奏上・・・」とあります。
そのため、「心身共に極めて
強健な神職を選び奉仕神職として
お願いをする。」とあり、
近隣の神社に応援を要請しています。
10名~5名の神職が交代で
祝詞を奏上された様です。
昭和9年は5名だったそうですので
一人当たり2000回の奏上!
気が遠くなりますね(^^;)

潔斎を済ませた神職は
藁蛇にご神体の蛇骨を押入れ
台に掲げ、船で宍道湖に漕ぎ出します。

目印になる4つの山を結んだ地点に
件の藁蛇を沈め雨乞のご祈祷を行ったとか。
郷土誌にはその場所も載っていました。

続大野郷土誌129Pより転載。

左上の神樋山は「石神山」とありましたので
出雲市多久町の大船山でしょう。
対角にあたる松江市来待の「大平山」。
そして地図の右上「本宮山」は大野津神社の
北側にある山、対角にあるのは
出雲市斐川町学頭にある「大黒山」
この4つの山を結んだ場所の湖底には
石の鳥居が沈んでいるのだそうです。
方向的には写真の方向です。

矢印の所に大黒山が確認できました。

郷土誌には藁蛇を全部沈めると
洪水になるとあります。
もうこれはただのヘビではなく
ヤマタノオロチの神威としか
考えられないですね。
郷土誌を読むに連れ、ヤマタノオロチだ!
と半信半疑だった私も思うようになりました。

昭和初期、まだ灌漑施設が不整備だった頃
この様な神事が行われていました。
神事の後、雨に恵まれたそうです。

今回は、80余年前までは
ヤマタノオロチが生活の中に
雨乞神事として、その霊威を奮っていた
お話でした。

お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。

 

そうそう。
古代の時代は島根半島は北側が島で
宍道湖は海と直に繋がっていたようです。
当時はクジラも入ってきていたとか。
宍道湖の湖底ではクジラの骨が
見つかることもあるそうです(^^;)

 

過去のブログは下記からどうぞ。

古事記と出雲① ~黄泉の国譚 比婆山その1~

古事記と出雲② ~黄泉の国譚 比婆山その2~

古事記と出雲③ ~黄泉の國譚 黄泉比良坂~

古事記と出雲④ ~黄泉の國譚 黄泉の穴~

古事記と出雲⑤ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その1~

古事記と出雲⑥ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その2~

古事記と出雲⑦ ~禊と三貴子の誕生 その1~

古事記と出雲⑧ ~禊と三貴子の誕生 その2~

古事記と出雲⑨ ~天岩戸隠れ アマテラスとスサノヲの誓約(うけい)~

古事記と出雲⑩ ~天の岩戸隠れ スサノヲの追放~

古事記と出雲⑪ ~天の岩戸隠れ スサノヲの追放 三種の神器~

古事記と出雲⑫ ~スサノヲの降臨 追放されたスサノヲ~

古事記と出雲⑬ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その1 箸拾いの地~

古事記と出雲⑭ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その2 ヤマタノオロチとは?~

古事記と出雲⑮ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その3 伝承地「八頭」~

古事記と出雲⑯ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その4 八塩折の酒~

古事記と出雲⑰ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その5 佐久佐女の森~

古事記と出雲⑱ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その6 酒船?酒壷?~

古事記と出雲⑲ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その7 雨叢雲剣出顕の地~

古事記と出雲⑳ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その8 船通山

古事記と出雲㉑ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治 ちょっと寄り道 五十猛尊~

古事記と出雲㉒ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その9 岩伏山~

古事記と出雲㉓ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その10 八本杉~

古事記と出雲㉔ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その11 尾呂地神社 ~

古事記と出雲㉕ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その12 ちょっと寄り道 クシナダ姫 ~

古事記と出雲㉖ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その13 長者の福竹・大森神社~

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