みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。
前回はヤマタノオロチ退治の後、
クシナダの出産にまつわる神社や元宮
そして神蹟をご紹介させて頂きました。
今回は出雲市斐川町出西に残るスサノヲ、
そしてクシナダにまつわる伝承地を
ご紹介させて頂きます。
この伝承地は14日の水曜日にアップした
新コスメにまつわる神話や風土記の話その29
でご紹介した「剣御崎荒神」と
関わりの深い伝承地です。
隣のお宅の方が整備されているそうです。
そのおかげで清浄な森になっています。
祠は石から石ノミで削り出したような
痕が目に止まります。
その上にお漬物でも漬けるかのように
石が乗っています。
お墓?と思ってしまいそうな佇まいです。
鳥居前の石碑によると
稲城明神の祭神はクシナダヒメ。
(稲田姫命とあります)
何故かタヌキの置物があります(^▽^)
そして簡潔にまとめると
次のように書かれています。
スサノヲはクシナダを「稲城」にかくまい
斐伊川の上流「天が淵」にて
大蛇退治をなされた後、この里に帰られ
クシナダと結ばれた。
西方200mにある「弥山」から
稲城の森に「妻問い」をされた。
スサノヲが朝帰りされる里という意味で
「朝妻の里(あさつまのこざと)」という
里名がある。
文中の「稲城(いなぎ)」は
稲わらを積み重ねて作った「柵」、
または「砦」と考えられているようです。
オロチから姫を匿うため、稲わらで砦の様に
バリケードをこしらえたのでしょうか。
「天が淵」はクシナダの両親が住んでいたと
伝承のある万歳山の麓、
斐川町木次の斐伊川沿いにある神蹟で
ヤマタノオロチの棲みかと伝わる場所です。
天が淵。2020年10月撮影。
そして大蛇退治を成し遂げクシナダの元へ
戻ったスサノヲは稲城の森に宮を建て
「八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに
八重垣作る その八重垣を」と
歌を詠まれたとの伝承があります。
その伝承を伝える神社がこちら。
久武神社 出雲市斐川町出西1834。
本殿に上がる石段前の案内に
稲城の森に宮を建てられ
「八雲立つの・・・」の歌を読まれた事が
書かれています。
稲城の森に建てられた宮に
二神は暮らしたわけではなく
当時の一夫多妻の風習である
「妻問い」をされたと伝承にあります。
これはいわゆる「通い婚」と解釈すれば
いいのではと思います。
古代の一夫多妻は、妻は一人一人
夫とは別の所に住み、
夫は夕方に妻の元へ通い、
朝には帰るといったローテーションを
繰り返したようです。
古事記では「よばい」とあり
これは名前を「呼び合う」事から
転化した言葉です。
古事記の時代は男性が女性の名前を聞く事が
求婚の意思表示となり、
女性が応えて名前を教えると
結婚の許諾という事になります。
プロポーズの言葉で悩まなくても
良い時代だったようですね。
クシナダは先程の稲城の森の宮に住み、
夫スサノヲはどちらに住んだのでしょうか?
その場所は前出の稲城の森の石碑によると
「西方二百米の弥山の麓」とあります。
『斐川の地名散歩』によると
「稲城の宮から約二百メートル離れた
山腹に大社造りの社を建て
そこにおすまいになった。」とあり
「大社造り」と具体的です。
「弥山」は冒頭にもリンクを貼って紹介した
ブログに登場する岡田さん所有の山で
「麓」や「山腹」の表現から山頂の
神社跡では無く、剣御崎荒神の場所であると
いう事でしょう。
実際は西方では無く南南西でしょうか?
200m西は久武神社の場所のようですが
「弥山」と呼ばれる山は
そこではないようです。
「妻問い」ってこんな近くでも
同居しなかったんですね。
「斐川の地名散歩」、
また出西コミュニティセンターで頂いた
パンフレットには久武神社は
四度の遷座の後、現在地にあると
書かれています。
その理由は久牟社→久武社→久茂(くも)社
最終的に久武社と名前の変遷が
四度あることが理由のようです。
またこれは「雲社(くものやしろ)」
ではないかと推察されているようです。
弥山の所有者、岡田さんは久武神社の
遷座は3度とおっしゃられます。
また興味深いのは
斐川町の出西、求院、富村、氷室、そして
神守を合わせたこの辺りの地域が
風土記の「出雲郷(いずものさと)」と
いわれています。
風土記の出雲郷の所には
郷の名前の説明は国名の説明に同じ
と書いてあります。
国名の説明を探してみると
国引きの神様が「八雲立つ」と
おっしゃったので「八雲立つ出雲」と
書いてあります。
これは出雲の国名由来の一つです。
国引きの神様が仏経山の山頂から望んだ
「八雲」とはどんな雲だったのでしょう!?
何度も出てきますが「斐川の地名散歩」の
池田敏雄氏の解説によると
この辺りは斐伊川が山間部から平野部に
流れ込む場所で、斐伊川の影響で生じた霧が
むくむくと平野部に流れる、
そんな情景を「八雲立つ」と推測して
いらっしゃいます。
これを読んで私は先の「稲城の森」と
重ねて考えてみました。
もう一度スサノヲの詠んだ和歌を。
「八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに
八重垣作る その八重垣を」
(幾つもの雲が湧き立っている
妻を籠もらせる八重の垣根のようだ
そう、幾重にも見える垣根のようだ)
この「妻籠み」→「妻を籠もらせる垣根」、
なるほど「稲城」と重なります。
八重垣(八重の垣根)は
稲わらを幾つも積み重ねて作った「柵」、
稲城の事かもしれません。
そして湧き立つ雲は、這う様に拡がる
「霧」を「雲」と詠んだのかも。
今まで「雲」=「空」と考えていましたが
私なりに見解が広がった気がしました。
この和歌を詠んだ候補地は
宮を建てた須賀神社の元宮のある八雲山。
八重垣神社の佐久佐女の森。
また、国引きの神様が詠んだと伝わる
神名火山、現在の仏経山。
そして今回の稲城の森。
幾つかの候補地がありますが
その情景に見えた昔人が
「ここに違いない」と伝え、
今に至っているのかもっしれません。
そうそう。
ヤマタノオロチ退治。
稲城の森から出向いたスサノヲは
仁多まで追い詰めて退治したとか。
という事は船通山でしょうか?
それとも尾呂地神社がある
さくらおろち湖の辺りでしょうか?
退治されたオロチの首が流れ着いた事が
地名由来の場所が雲市斐川町上直江に
あるようです。
今回は斐川町出西に残る
ヤマタノオロチの伝承をご紹介しました。
お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。
過去のブログは下記からどうぞ。
古事記と出雲⑤ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その1~
古事記と出雲⑥ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その2~
古事記と出雲⑨ ~天岩戸隠れ アマテラスとスサノヲの誓約(うけい)~
古事記と出雲⑪ ~天の岩戸隠れ スサノヲの追放 三種の神器~
古事記と出雲⑬ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その1 箸拾いの地~
古事記と出雲⑭ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その2 ヤマタノオロチとは?~
古事記と出雲⑮ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その3 伝承地「八頭」~
古事記と出雲⑯ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その4 八塩折の酒~
古事記と出雲⑰ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その5 佐久佐女の森~
古事記と出雲⑱ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その6 酒船?酒壷?~
古事記と出雲⑲ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その7 雨叢雲剣出顕の地~
古事記と出雲⑳ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その8 船通山~
古事記と出雲㉑ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治 ちょっと寄り道 五十猛尊~
古事記と出雲㉒ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その9 岩伏山~
古事記と出雲㉓ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その10 八本杉~
古事記と出雲㉔ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その11 尾呂地神社 ~
古事記と出雲㉕ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その12 ちょっと寄り道 クシナダ姫 ~
古事記と出雲㉖ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その13 長者の福竹・大森神社~
古事記と出雲㉗ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その14 大野津神社と雨乞の神事~
古事記と出雲㉘ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その15 雲根神社~
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古事記と出雲㉛ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その17 須賀神社 ~
古事記と出雲㉜ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その18 熊谷さん 河邊神社 ~
古事記と出雲㉝ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その19 クシナダの出産〈後編〉烏帽子懸明神・嬉敷谷 ~