みなさまこんにちは。
オンラインショップの朝倉です。
ブログを更新しました。
しばしお付き合いください。
前回はヤマタノオロチ退治の後
スサノヲの妻クシナダが身ごもり
出産の場所を探したと伝わる神社や
伝承地の途中までご紹介しました。
今回は前回の続き、
産所(うぶしょ)のヒント「烏帽子掛」への
ハイキングコースの看板から再開します。
その前に。
よろしかったら前回のブログをどうぞ。
~ クシナダの出産〈前編〉熊谷さん・河邊神社~
「下熊谷癒やしの森」という
ハイキングコースの奥に
目指す岩はあるようです。
「烏帽子掛」のフリガナが
「えぼしがけ」とあり、
やはり「崖」を指しての呼称でしょうか!?
額束には「松林天満宮」の文字。
産所はこの辺でしょうか!
ですが確定するものがありません。
鳥居から石段を上がるとお社があります。
天満宮ですので菅原道真が
祀られているはず。
敷地内にお不動さんがいらっしゃいました。
入り口の看板にお地蔵さんが
描かれていましたので神仏習合の色が
濃いのかも知れません。
参拝し、天満宮の右奥から昇っていきます。
下ったと思ったらまた登ります。
うねるような階段ですね(^^;)
途中からチェーンが
脇に付けられていますね。
鉄塔を右手に鉄塔を右手に見て更に登ります。
写真は下から見てますね(^^;)
見ると撮りたくなるんです、下から(笑)
山が岩でゴツゴツしてきました。
まもなくして三角点に到着。
峰はもう一つあります。
もう一つの峰が「烏帽子掛(崖)」の様です!
看板には「烏帽子懸け石仏案内」とあります。
またもや「がけ」の字が変わりました。
その仏像の中に碑が一体。
「烏帽子懸明神」とあるようです。
「明神」や「大明神」は神仏習合の際の
神様の称号という事ですので
コチラには神様がいらっしゃる
という事でしょう。
それにしても「えぼしがけ」。
烏帽子が欠けた?
烏帽子を掛けた?
烏帽子の形の崖?
あれこれ想像が馳せます。
コチラには見渡せる山の説明と
「烏帽子掛け」の地誌の出自が
書いてありました。
その中にはヒントや
答がありました!
謎解きゲームのようです。
看板には
「三谷山の麓の嬉敷谷(うれしきたに)で
稲田姫の出産のおり・・・」
産所は嬉敷谷!
この場所より北に行くと嬉敷谷が在るように
イラストが描いてあります!
そして
江戸時代の地誌『雲陽誌』に
「松林山として此処に
烏帽子掛という山あり。
古老伝に云う。駒方明神
住昔(おうじゃく)ここに鎮座なり。
故ありて上熊谷(現在の河辺神社)へ遷宮す。
その旧跡なり。」
と書かれています。
私の解釈ですが
「松林山」という山の
「烏帽子掛」という峰の様に思います。
ですので山の名前は「松林山」。
入り口の神社は「松林天満宮」でしたので
この山の名前で間違い無いと思います。
先の説明は
「松林山の烏帽子崖に
その昔、駒方明神があった。
訳あって上熊谷へ遷座した。」
と読めるのではないでしょうか。
駒方明神は河邊神社と同一神社と
考える様です。
これはご祭神名が一部同じであることから
判断していると思われます。
河邊神社のご祭神名は
「櫛名田比売」「奇稲田姫」の表記ではなく
「久志伊奈太美等与麻奴良比売命」。
(クシイナダミ トヨマヌラヒメ ノミコト)
意味は割愛します(^^;)
対して駒方明神は久志伊奈太美命で
同一神と考える様です。
では「駒方」の神社名は何処から?
これは私の想像ですが
「久麻(隅)方(くまがた)」
ではないでしょうか?
「隈々しい方にある神社」の意味です。
また、地名や風土記の研究では有名な
関和彦氏(故人令和2年3月逝去)の著書、
出雲国風土記註論に、熊谷には
「軍(軍団)」が配置され、
関わる「馬場」の伝承が有るということから
馬=駒の説明があります。
さて、私の独断の認定で河邊神社の元宮は
此処では無かったのではないかと思います。
もしかしたら里宮として
麓へ遷座された後、
現在の河邊神社へと変遷を
重ねたかもしれません。
ですがこれほど霊妙と言いますか
神域と見ることができる場所に
元はあったのではないかと思います。
さて!もう一箇所!
そう「嬉敷谷」です!
先程の三角点の向こうに道がありました。
とにかくあると信じて北へ向かいます。
標識がアチコチありますが国道への
距離が書かれているだけで
「嬉敷谷」の文字はありません。
谷が深く、水が流れています。
水があるということは住むことが出来ます。
あやしい・・・
ですが決定付ける根拠が見つかりません。
かなり山を下りました。
行くときは近かった高速道路は
遥か上方を通っています。
無かったのかなぁと諦めかけ
見えてきた民家に尋ねるか迷いました。
この時、朝の7:45。
民家のチャイムを鳴らすには
勇気がいる時刻でした。
とその先に!
見つけました。
今まで歩いてきた所が「嬉敷谷」の様です。
クシナダが「くまぐましき・・」と
比喩した奥まった谷です。
長男をこの谷で出産したのですね!
そうか!
私、「奥まっていい場所だ」と言ったのは
谷奥でと思っていましたが、
手前から奥まった谷を眺め言ったのかも
知れないですね!
なにせ身籠っている訳ですから。
見つかってよかった(T_T)。
この谷の入り口は、ハイキングコースの
逆側の入り口になっていました。
駒方明神は現在の河邊神社と
書いてあります。
烏帽子掛けのある山の後ろには
「大仙山」と書いてあり
もしかしたら「松林山」が
「大仙山」なのかもしれません。
今回は私の想像が多く、検証すべき点が
多々ありますが、一件落着!
・・・と思いたいのですが、
新に次の課題も頂いてしまいました。
烏帽子掛の看板にあったコチラです。
赤い四角の所に「並九神社」とあります。
先程の嬉敷谷近くにあった
コチラの神社でしょうか?
ですがここは嬉敷谷と烏帽子掛の間にあり
前出の地図と位置が違います。
そして!
実はここ雲南市木次町下熊谷以外に
「下熊谷」があるのです。
南側に山があります。そして問題の
谷はあるのかまだ確認していません。
さらに字は違いますがコチラにも
「並九神社」があります。
「立」を2つ並べた字ですが「なみ」と
読む字のようです。
ご祭神はスサノヲ、クシナダ、そして
二神の長男・・・
なにか関わりが!?(^^;)
もう一つの下熊谷。そして同じ社名の神社!
ワクワクしてきますね♪
これだから神話探訪は
やめられないんですよね♪♪
解り次第「神社な日常」で
ご紹介したいと考えています。
To be continued ♪
お付き合いくださって
ありがとうございます。
本日はこの辺で。
またの機会に。
ご自愛くださいますように。
過去のブログは下記からどうぞ。
古事記と出雲⑤ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その1~
古事記と出雲⑥ ~黄泉の國譚 出雲以外のイザナミ御陵 その2~
古事記と出雲⑨ ~天岩戸隠れ アマテラスとスサノヲの誓約(うけい)~
古事記と出雲⑪ ~天の岩戸隠れ スサノヲの追放 三種の神器~
古事記と出雲⑬ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その1 箸拾いの地~
古事記と出雲⑭ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その2 ヤマタノオロチとは?~
古事記と出雲⑮ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その3 伝承地「八頭」~
古事記と出雲⑯ ~スサノヲの降臨 八岐大蛇退治その4 八塩折の酒~
古事記と出雲⑰ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その5 佐久佐女の森~
古事記と出雲⑱ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その6 酒船?酒壷?~
古事記と出雲⑲ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その7 雨叢雲剣出顕の地~
古事記と出雲⑳ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その8 船通山~
古事記と出雲㉑ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治 ちょっと寄り道 五十猛尊~
古事記と出雲㉒ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その9 岩伏山~
古事記と出雲㉓ スサノヲの降臨 ~八岐大蛇退治その10 八本杉~
古事記と出雲㉔ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その11 尾呂地神社 ~
古事記と出雲㉕ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その12 ちょっと寄り道 クシナダ姫 ~
古事記と出雲㉖ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その13 長者の福竹・大森神社~
古事記と出雲㉗ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その14 大野津神社と雨乞の神事~
古事記と出雲㉘ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その15 雲根神社~
古事記と出雲㉚ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その16 佐世神社 ~
古事記と出雲㉛ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その17 須賀神社 ~
古事記と出雲㉜ スサノヲの降臨 ~ 八岐大蛇退治その18 熊谷さん 河邊神社 ~